吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~
25 不思議な音が聞こえてきます
別邸の大まかな場所を案内されたアナスタシアはゾルンの計らいでアーヴェントと共に二階の談話室で休憩がてらお茶会をしていた。添えられた話題は案内された別邸に関するものだった。
(お仕事で使う別邸だからこその造りや装飾が施されているのね……確かにこういう落ち着いた環境でするお話は捗りそう……でも……)
目の前のテーブルにはゾルンが淹れてくれたお茶と菓子が広げられていた。アナスタシアはお茶を口にしながら、部屋の様子をゆっくりと観察する。いつも暮らしている屋敷との雰囲気の違いを比べたり、造りや装飾を眺めるのはとても楽しいものだ。
だが、アナスタシアの表情はとても落ち着いているとは言い難いものだった。頬と両耳はうっすらと赤みがかり、手にもったカップを掴む手にも力がこもる。それに何よりも視線が部屋のあちこちを彷徨っていた。その原因は二人の様子を見守るゾルンには一目瞭然だった。
「アナスタシア、さっきから部屋の至る所を見回しているがそんなに談話室の装飾が気に入ったのか?」
「い、いえっ! あの……そうですね。とっても素敵だと思います……」
「そうか。気に入ってもらえたなら俺も嬉しいな」
嬉しそうなアーヴェントの声がテーブルの向かい側から聞こえ、てこない。何故ならお茶やお菓子が並べられたテーブルの向こうの椅子には誰の姿もないからだ。ではアーヴェントの声はどこからアナスタシアの耳に届いているのかといえば、かなり近い場所から聞こえていた。厳密にいえば、彼女の真横から聞こえて来ていたのだ。アーヴェントの希望で今回のお茶会はアナスタシアの隣の椅子に座っていたのだ。
(え、えっと……私、どうしたらいいのかしら……っ)
一瞬だけ視線を横に向ける、当たり前だが顔の向きも視線の方を向く。
「ん? どうした?」
「いえ、なんでもありません」
「そうか。気になることがあれば何でも聞いてくれ」
「は、はいっ……」
柔らかい表情がそこにはあった。更に綺麗な両の深紅の瞳がアナスタシアを覗き込むように向けられている。吸い込まれそうになるのを必死に我慢してアナスタシアはきゅっと視線を正面に戻す。
(ああ、アーヴェント様の素敵なお顔がすぐそこにあるなんて……ドキドキしてまともにお顔を見ながらお話なんて出来ないわ……っ)
ときめく心を鎮めるためには咀嚼、といわんばかりにそっと目の前にあるクッキーを手にとり口に運ぶ。このクッキーも料理長のナイトが焼いてくれたものだ。とても美味しい。味に満足しながらアナスタシアは静かに咀嚼をしながら気持ちを落ち着かせようと試みる。
(な、何とか……これで落ち着いて……それから何か話題を出さないと……)
「アナスタシア」
「はい、アーヴェント様どうかなさいましたか?」
不意にアーヴェントが声を掛ける。ふっとアナスタシアが隣を振り向くと右手が差し出され、アナスタシアの口元に触れる。
(え……っ!?)
「ふふ、クッキーの残りがついていたぞ? そんなに美味しかったのか?」
アーヴェントがアナスタシアの口元についていたクッキーの粒をとると、自分の口に運ぶ。そこまでの一部始終を見てしまったアナスタシアの心の内が落ち着いてなどいられるわけもなかった。
(ああ……! もう……その無邪気な笑顔は反則です、アーヴェント様……っ)
「あ、あの……私、け……化粧室に行ってきますねっ」
ときめきに耐えられなかったアナスタシアは椅子から立ち上がるとそう口にする。はっきりと口に出すのも恥ずかしいことだったが今はその台詞しか思い浮かばなかったのだから仕方ない。
「ああ、行ってくるといい」
悪気がないアーヴェントは軽く返事をする。様子を見守っていたゾルンが場所を教えてくれた。
「アナスタシア様、化粧室はこの部屋を出られた廊下の奥にございます」
「ありがとう、ゾルン。それでは行ってまいります」
早鐘になった心臓の鼓動を必死に抑えながら、かつ粗相がないようにゆっくりとアナスタシアは談話室を後にする。部屋から出たアナスタシアはその場で大きく深呼吸をしながら胸を撫でおろした。
(とても落ち着いていられなかった……アーヴェント様のお顔が近くにあるし、私の心臓の鼓動はどんどん大きくなるし……それに……)
アナスタシアは先ほどの光景を思い出す。再び、落ち着こうとしていた心臓の音が大きくなる。
(……散歩、そうよ散歩をして……なんとか落ち着かないと……っ)
扉から離れて左右を見渡す。一方は化粧室があるという廊下の奥、また一方は階段があるホールに繋がっている。とりあえず、アナスタシアは廊下の奥に行こうと一歩踏み出す。すると不意に音が聞こえてきた。
―キィィィン
(何かしら、この音……とても耳に残るけれど、決して嫌ではない音……)
アナスタシアは音がする方向を向く。どうやら音は階段ホールの方から響いてきていた。自然に足がそちらに向かって動き出す。
(……三階から聞こえてきている……?)
階段ホールまで行くと、その不思議な音は上の階から聞こえてきていた。ゆっくりと階段を登り、三階へとたどり着く。音は更にはっきりと聞こえるようになった。アナスタシアは音が聞こえる方向へと歩いていく。
(あら……確かこの先には……)
音がするのは奥まった廊下のつきあたりからだ。そこはアーヴェントが案内してくれた屋敷の金庫番を任せられているという者がいる部屋だった。扉の前まで歩いてくるとフッと今まで聞こえていた不思議な音が止む。
「音が……」
アナスタシアが不思議に思っていると、先程は鍵がかかっていたその部屋の扉がゆっくりと開いたのだ。
(扉が……空いている?)
誘われるようにアナスタシアはその扉を開いて出来た隙間から中を覗く。部屋の中は暗く、窓からの光もない。だがうっすらと部屋の片隅にランプの灯りが見えた。そこには机に向かって何かの作業をしている老年の男性の姿があった。髪は白髪交じりの黒髪、右の目につけた片眼鏡がランプの灯りを反射していた。
(この方が……アーヴェント様が仰っていた金庫番をしているお人……)
相手もアナスタシアに気がついたようで、片眼鏡に軽く手をかけながら開いた扉の方に刹那、目を向ける。その後は特に驚いた様子もなく止めていた作業の手を再び動かしながら口を開いた。
「おやおや、扉は空気の入れ替えで開けていただけだったのだがなぁ……まさか訪ね人がやってくるとは迂闊じゃったのぉ」
(お仕事で使う別邸だからこその造りや装飾が施されているのね……確かにこういう落ち着いた環境でするお話は捗りそう……でも……)
目の前のテーブルにはゾルンが淹れてくれたお茶と菓子が広げられていた。アナスタシアはお茶を口にしながら、部屋の様子をゆっくりと観察する。いつも暮らしている屋敷との雰囲気の違いを比べたり、造りや装飾を眺めるのはとても楽しいものだ。
だが、アナスタシアの表情はとても落ち着いているとは言い難いものだった。頬と両耳はうっすらと赤みがかり、手にもったカップを掴む手にも力がこもる。それに何よりも視線が部屋のあちこちを彷徨っていた。その原因は二人の様子を見守るゾルンには一目瞭然だった。
「アナスタシア、さっきから部屋の至る所を見回しているがそんなに談話室の装飾が気に入ったのか?」
「い、いえっ! あの……そうですね。とっても素敵だと思います……」
「そうか。気に入ってもらえたなら俺も嬉しいな」
嬉しそうなアーヴェントの声がテーブルの向かい側から聞こえ、てこない。何故ならお茶やお菓子が並べられたテーブルの向こうの椅子には誰の姿もないからだ。ではアーヴェントの声はどこからアナスタシアの耳に届いているのかといえば、かなり近い場所から聞こえていた。厳密にいえば、彼女の真横から聞こえて来ていたのだ。アーヴェントの希望で今回のお茶会はアナスタシアの隣の椅子に座っていたのだ。
(え、えっと……私、どうしたらいいのかしら……っ)
一瞬だけ視線を横に向ける、当たり前だが顔の向きも視線の方を向く。
「ん? どうした?」
「いえ、なんでもありません」
「そうか。気になることがあれば何でも聞いてくれ」
「は、はいっ……」
柔らかい表情がそこにはあった。更に綺麗な両の深紅の瞳がアナスタシアを覗き込むように向けられている。吸い込まれそうになるのを必死に我慢してアナスタシアはきゅっと視線を正面に戻す。
(ああ、アーヴェント様の素敵なお顔がすぐそこにあるなんて……ドキドキしてまともにお顔を見ながらお話なんて出来ないわ……っ)
ときめく心を鎮めるためには咀嚼、といわんばかりにそっと目の前にあるクッキーを手にとり口に運ぶ。このクッキーも料理長のナイトが焼いてくれたものだ。とても美味しい。味に満足しながらアナスタシアは静かに咀嚼をしながら気持ちを落ち着かせようと試みる。
(な、何とか……これで落ち着いて……それから何か話題を出さないと……)
「アナスタシア」
「はい、アーヴェント様どうかなさいましたか?」
不意にアーヴェントが声を掛ける。ふっとアナスタシアが隣を振り向くと右手が差し出され、アナスタシアの口元に触れる。
(え……っ!?)
「ふふ、クッキーの残りがついていたぞ? そんなに美味しかったのか?」
アーヴェントがアナスタシアの口元についていたクッキーの粒をとると、自分の口に運ぶ。そこまでの一部始終を見てしまったアナスタシアの心の内が落ち着いてなどいられるわけもなかった。
(ああ……! もう……その無邪気な笑顔は反則です、アーヴェント様……っ)
「あ、あの……私、け……化粧室に行ってきますねっ」
ときめきに耐えられなかったアナスタシアは椅子から立ち上がるとそう口にする。はっきりと口に出すのも恥ずかしいことだったが今はその台詞しか思い浮かばなかったのだから仕方ない。
「ああ、行ってくるといい」
悪気がないアーヴェントは軽く返事をする。様子を見守っていたゾルンが場所を教えてくれた。
「アナスタシア様、化粧室はこの部屋を出られた廊下の奥にございます」
「ありがとう、ゾルン。それでは行ってまいります」
早鐘になった心臓の鼓動を必死に抑えながら、かつ粗相がないようにゆっくりとアナスタシアは談話室を後にする。部屋から出たアナスタシアはその場で大きく深呼吸をしながら胸を撫でおろした。
(とても落ち着いていられなかった……アーヴェント様のお顔が近くにあるし、私の心臓の鼓動はどんどん大きくなるし……それに……)
アナスタシアは先ほどの光景を思い出す。再び、落ち着こうとしていた心臓の音が大きくなる。
(……散歩、そうよ散歩をして……なんとか落ち着かないと……っ)
扉から離れて左右を見渡す。一方は化粧室があるという廊下の奥、また一方は階段があるホールに繋がっている。とりあえず、アナスタシアは廊下の奥に行こうと一歩踏み出す。すると不意に音が聞こえてきた。
―キィィィン
(何かしら、この音……とても耳に残るけれど、決して嫌ではない音……)
アナスタシアは音がする方向を向く。どうやら音は階段ホールの方から響いてきていた。自然に足がそちらに向かって動き出す。
(……三階から聞こえてきている……?)
階段ホールまで行くと、その不思議な音は上の階から聞こえてきていた。ゆっくりと階段を登り、三階へとたどり着く。音は更にはっきりと聞こえるようになった。アナスタシアは音が聞こえる方向へと歩いていく。
(あら……確かこの先には……)
音がするのは奥まった廊下のつきあたりからだ。そこはアーヴェントが案内してくれた屋敷の金庫番を任せられているという者がいる部屋だった。扉の前まで歩いてくるとフッと今まで聞こえていた不思議な音が止む。
「音が……」
アナスタシアが不思議に思っていると、先程は鍵がかかっていたその部屋の扉がゆっくりと開いたのだ。
(扉が……空いている?)
誘われるようにアナスタシアはその扉を開いて出来た隙間から中を覗く。部屋の中は暗く、窓からの光もない。だがうっすらと部屋の片隅にランプの灯りが見えた。そこには机に向かって何かの作業をしている老年の男性の姿があった。髪は白髪交じりの黒髪、右の目につけた片眼鏡がランプの灯りを反射していた。
(この方が……アーヴェント様が仰っていた金庫番をしているお人……)
相手もアナスタシアに気がついたようで、片眼鏡に軽く手をかけながら開いた扉の方に刹那、目を向ける。その後は特に驚いた様子もなく止めていた作業の手を再び動かしながら口を開いた。
「おやおや、扉は空気の入れ替えで開けていただけだったのだがなぁ……まさか訪ね人がやってくるとは迂闊じゃったのぉ」