吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~

61 お屋敷が賑やかになりました

 メイが化粧台の椅子に座ったアナスタシアの髪をくしで優しくとかしていく。とかしながら、自身が昨夜アーヴェントに頼み、アナスタシアの侍女を任せられた経緯を説明していた。

「メイ、本当に良かったの?」

 鏡越しにアナスタシアがメイを見つめながら尋ねる。メイは少し身体を右にずらし、鏡越しに明るい笑顔いっぱいの表情で答える。

「良いのですよ! メイはこうやってアナ様のお世話をするのが生き甲斐でもあるんですからっ」

(お父様とお母さまからの言葉をずっと覚えていてくれていたなんて……私、メイにも感謝しなくちゃいけないわね)

「ありがとう、メイ。あなたがこのお屋敷に来てくれて本当に嬉しいわ」

「私もですよっ! さあ、髪は整えましたのでドレスにお着替えしましょう」

 そう言ってメイは大きなクローゼットを開ける。沢山の素敵なドレスが並ぶのを見て、メイは宝石を見るかのように悶えていた。今日のアナスタシアに一番似合うであろうドレスを色々と吟味していた。

「とても素敵なドレスがこんなにあるんですねっ! んー、どれもアナ様にお似合いだと思います!」

「アーヴェント様が用意してくれたものなの。ここに来てからも少しずつプレゼントしてくれていて……」

 少し照れた素振りをしながらアナスタシアがメイの方に歩いてくる。

「アーヴェント様は本当に素敵なお方なんですね……昨日お話した時もそう感じました」

「ええ、本当にその通りよ。とてもよくして頂いているわ」

「アナ様も本当に幸せそうで、メイは嬉しいです」

(メイは私がこの五年間、あのミューズ家でどんな生活をしていたか知っている。だからこうして私のためのドレスが並んでいることの意味をわかってくれているんだわ)

「それじゃ、今日はこのドレスに致しましょうかっ」

「ええ。メイが選んだものを着られて私も嬉しい」

 二人は微笑みながら今日のドレスを決め、メイは着替えを手伝う。鏡の前にはとても綺麗なアナスタシアの姿があった。

「とてもお綺麗です、アナ様!」

「褒めすぎよ、メイ」

「そんなことありませんよぉ。これならアーヴェント様もお喜びになりますよ、きっと!」

(もう、メイったら……でもメイの言葉の一つ一つが本当に嬉しい)

「ありがとう、メイ」

「どういたしましてですぅ! あ、そうでしたっ。アーヴェント様から朝食のお誘いがあったんでしたっ」

「ふふ。メイらしいわね。それじゃ、食堂に行きましょうか」

「はい!」

 アナスタシアが寝室を出て、廊下を歩いていく。その後ろに侍女であるメイが付く。以前まではラストの仕事だったが、これからは主にメイが身の回りの仕事をしてくれるということだった。

「他の使用人のみんなとはもう話したの?」

「はい! 皆さん、とても優しく迎えてくれました。最初はちょっと緊張したのですけど、種族が違うだけでご主人様に仕えるっていう気持ちは皆一緒だったので打ち解けられました!」

 メイはその持ち前の明るさと前向きさから当主がラスターの時代は使用人達からも愛されていた。それがオースティン家でも発揮されていることを聞いたアナスタシアは胸をそっと撫でおろす。

(少し心配していたけれど、杞憂だったみたいね。やっぱりメイはどこにいても、みんなから愛される存在なんだわ)

 玄関ホールへの階段を降り、食堂への廊下を進む。食堂の前までくると、すっとメイが前に出て扉をゆっくりと開いてくれた。中ではアーヴェントがアナスタシアのことを待っていてくれた。ラストとナイトも既に他の使用人達と並んでこちらを見ていた。それに今日は珍しくフェオルの姿もあった。

「おはよう、アナスタシア」

「アーヴェント様、おはようございます」

 メイがアナスタシアの椅子を軽く引き、彼女を座らせる。アーヴェントの方はフェオルが椅子を引いていた。

「今日はフェオルも一緒なんですね」

「ああ。メイとの顔合わせも兼ねてな」

 そう言いながらアーヴェントは微笑む。そのさりげない心遣いがアナスタシアをときめかせる。フェオルもぬいぐるみを背負いながら軽く礼をしてくれた。

「メイの件、お許し頂いてありがとうございました」

「メイのたっての希望だったからな。俺はそれに応えただけさ。仕事ぶりはラストも褒めていたよ」

 アナスタシアがラストの方を見ると、片目をつぶって合図してくれた。メイが皆に迎えられたことを知ってアナスタシアは嬉しい気持ちでいっぱいだった。

(良かった……)

 安心した表情を察したアーヴェントが声を掛ける。

「クーデリア子爵家へは手紙を出したよ。メイのこともこちらで預かると綴っておいた。後は返事次第だが、問題はないだろう」

「ありがとうございます」

「それじゃ、朝食にしようか」

「はい」

 メイやラスト達が料理をテーブルの上に並べる。メイはサラダなどを小分けに皿に分けてくれた。隣に常にメイがいてくれる、そう思うとアナスタシアは自然と笑顔になっていた。それを満足げにアーヴェントは両の深紅の瞳で見つめていた。

「今日は俺も仕事が入っているから、メイと一緒に屋敷を周ってあげるといい」

「はい。そうさせて頂きますね」

「ありがとうございます、アーヴェント様っ」

 後ろに立つメイも笑顔でアーヴェントにお礼を言う。それをラストやナイト、フェオル達が優しく見守っていた。

 食事を終えると、アナスタシアはアーヴェントを玄関先まで見送る。ゾルンも丁度執務室から荷物を持って玄関ホールで合流する。二人で仕事場である別邸へと向かう時、アナスタシアが声を掛ける。

「アーヴェント様、行ってらっしゃいませ」

「ああ、行ってくるよ。アナスタシア」

 二人が見つめ合い、微笑みあう。メイはその様子を、目を輝かせながら見つめていた。アナスタシアが口にした『行ってらっしゃい』の尊さもわかっていたからだろう。思わず感極まって泣き出しそうになったメイに隣に立つラストがハンカチをそっと手渡してくれていた。

「お二人とも、本当にお似合いですね。ラスト様」

「ええ。そうですわね。貴方が侍女になってくれたことで、アナスタシア様の笑顔も更に素敵になったと思いますよ」

 えへへ、と撫でられた子猫のようにメイが笑顔を浮かべていた。フェオルもラストとメイの会話を横で聞いていた。

「アナスタシア様の笑顔はとても心に良いです」

「それわかりますっ!」

 お見送りをしているアナスタシアの後ろで静かに三人は頷いていた。アーヴェントを見送ると、アナスタシアはメイに声を掛ける。

「それじゃ、メイ。屋敷を案内するわね」

「はい。ご一緒させてもらいますね、アナ様っ」

 楽しそうな二人にラスト達も言葉を添える。

「私達も控えていますので、何か御用がある時はいつでもお声を掛けてくださいませ」

「ませませ」

「ありがとう、二人とも」

 そう言うとアナスタシアはメイを連れて、中庭の方に歩いていく。

「メイに是非、見てもらいたい所があるの」

「アナ様、そんなに駆け足だと転んでしまいますよぉ」

 そんな光景を見て、ラストは恍惚な表情を浮かべていた。右手を頬に添えながら呟く。

「ああ、いいですわね。麗しいお嬢様が二人に増えて……滾ってしまいますわ」

「ラスト、素が出ていますよ」

「あら……私としたことが。今のことはアーヴェント様やゾルンには内緒ですよ、フェオル」

「すぴぃ」

「フェオル」

「冗談ですよ」

 その頃、アナスタシアはメイを中庭に案内していた。メイもまだ中庭は見ていなかったのでとても素敵な光景に目を奪われていた。

「どう? 素敵なお庭でしょ?」

「本当ですねぇ! 表のお庭も素敵でしたけど、こっちも素敵ですぅ」

「実はこの先に、もっとメイが驚く場所があるのっ」

「えー、気になりますぅ」

 アナスタシアとメイは並んで中庭を歩いていく。水がまかれており、花や木々もとても綺麗に映っていた。程なくして、中庭の奥の庭園へとたどり着いた。

「にゃ!? あ、アナ様ここって……」

 庭園を見たメイは以前のアナスタシアと同じ反応をしていた。

(やっぱりメイも私と同じ反応……それだけここが似ているってことよね)

「昔のミューズ家のお庭にそっくりじゃないですか!? アナ様がアーヴェント様に頼んだんですかっ?」

「ううん、違うの。この庭園は庭師のアルガンが造ったのよ。私も初めて見た時、驚いてしまったもの」

 口を軽く開けながらメイは庭園の隅々まで見て周っていた。特に中央の噴水と腰掛ける場所が似ていると言っていた。

「それにしてもここまで似るってことあるんですね」

「アルガンは夢を形にしたって言っていたわ」

「夢、ですか。誰の夢なんでしょうね」

(そういえば……夢を形にしたといっていたけれど、誰の夢かは聞いたことがなかったわね)

「アナ様?」

「ああ、ごめんなさい」

 考え事をしていたアナスタシアの顔をメイが覗き込むように見ていた。更に、何か言いたそうな表情を浮かべていた。

「どうしたの、メイ?」

「あの……アナ様。今って『唄』は……?」

 その質問にアナスタシアは満面の笑顔で答える。

「ええ。アーヴェント様も私の唄が好きだと言ってくれているの」

 その言葉にメイもパァッと明るい表情を浮かべる。両手を合わせて喜んでくれていた。

「それは良かったですぅ! えっと、じゃあ『庭園』のお唄を聞かせてもらってもいいでしょうか!?」

 メイはずっとアナスタシアの唄を聞きたかったようだ。『庭園』の唄とはこの庭園で初めてアーヴェントの前で唄ったものだ。アナスタシアは照れながらも首を縦にふり、瞳を閉じる。そしてその青と赤の両の瞳をゆっくりと開けると唄を口にするのだった。

一片(ひとひら)の風が吹く 此処は咲き誇る花の都 陽と月が揺れる水面(みなも)に映し出され やがて朝と夜が出会う場所 淡く優しい想いよ 風にのって舞う花の如く 何時までも 何処までも 届きたまへ】

 久しぶりに聞くアナスタシアの唄に、メイはうっとりとしながら耳を澄ませていた。

 庭園から屋敷全体にアナスタシアの綺麗な唄が響き渡る。その日の唄はいつにもまして、綺麗に聞こえたと使用人達は口にしていたという。
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