吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~

78 ミューズ家に帰らせてください

「アーヴェント様……この手紙に書いてあることは本当なのですか……? お父様とお母様に罪の嫌疑がかけられていて……シリウス陛下も軟禁されていると……」

 アナスタシアの頬を青と赤の両の瞳から涙が伝い落ちていく。彼女は俯き、身体を縮こませながらアーヴェントに静かに尋ねる。その声は震えていた。メイははらはらしながら、二人のやりとりを見守るしかなかった。

「……っ」

(今のアーヴェント様のそのお顔を見れば、私にもわかります。この手紙の内容が真実だということが……)

 アーヴェントはかみ合わせた歯に力を込める。悲痛そうな表情が浮かぶ。恐らくは秘密にしようとしていた手紙の内容をアナスタシアが知り得てしまったことへの後悔だろう。だが、いつまでもその態度ではいられないのは理解しているようで、一度深呼吸をした後ゆっくりと口を開いた。

「ああ、本当だ。リュミエール王国では王太子であるハンス・リュミエールと一部の大臣達がこの事態に対して蜂起し、事の収拾に当たっているとのことだ……」

「ああ……やはり、本当なのですね……でも、でも……こんなことって……」

 アナスタシアは両手で顔を覆いながら震えた声を上げる。今まで一度もこのように深刻な様子でアナスタシアが取り乱すことなどなかった。事はそこまで重大な問題に発展していたのだ。やはり亡き両親に罪の嫌疑がかけられた、というのが影響しているのは明らかだった。

「アナスタシア、落ち着くんだ。まずは冷静になって話をしよう」

 そんなアナスタシアを見るのがつらいアーヴェントだったが、彼女を落ち着かせるために静かに言葉を掛ける。だが、その言葉も今のアナスタシアには聞こえていないようだ。

「ミューズ家は……? ミューズ家はどうなってしまうのですか!?」

「アナ様……」

 メイが心配している中、ミューズ家についてアナスタシアがアーヴェントに尋ねる。彼女は今にもその不安に押しつぶされそうな表情を浮かべていた。

「頼むから落ち着いてくれ、アナスタシア」

「教えてください! このような事態になってしまったことでミューズ家は……どうなるのですか……」

 力強くアナスタシアは声を張り上げる。だが不安に押しつぶされそうな彼女の言葉は次第に力なく、曇っていく。このままではいけないと思ったアーヴェントはアナスタシアの質問に答える。

「大丈夫だ。ミューズ家の現当主であるレイヴンはこの件について、ミューズ家を代表して取り調べに協力すると言っているそうだ。その対応によってミューズ家を取りつぶす、という話は今の所はない」

(ああ……良かった……)

 アナスタシアは胸の辺りに両手を添える。ここまでで一番安堵した様子を見せる。アーヴェントもそれがわかったようで、何とかアナスタシアを椅子に座らせて落ち着いて話し合いをしようと考えていた。

「さあ、アナスタシア。一度椅子に座って、落ち着いて話をしよう」

 だが、安堵した表情もつかの間だった。彼女はアーヴェントの顔を見つめるとある言葉を口にするのだった。

「アーヴェント様……私をミューズ家に帰らせてください……」

「!」

「にゃ!?」

 その言葉にアーヴェントもメイも驚く。だが、その言葉を発したアナスタシアは真剣な表情を浮かべていた。叔父であるレイヴンからの手紙を手にとると、中に綴られていた残り半分の話を踏まえながらアナスタシアが語り始める。

「叔父様の手紙にはこうも綴られていました。両親の嫌疑、そしてシリウス陛下の軟禁を解くためにも娘である私の証言が必要だと……だからミューズ家に帰って来い、と」

 胸に添えられた手も口にする声も震えていた。

「だから私は……ミューズ家に戻ります。亡き両親の嫌疑を晴らし、シリウス陛下を軟禁からお救いするために」

 青と赤の両の瞳に再び涙が浮かびあがる。彼女にはもうそれしか方法が思いつかなかったのだ。レイヴンの手紙の通り、自らがミューズ家に戻ることで状況が変えられるなら、という思いでいっぱいだったのだ。

「……お前をミューズ家に帰すことは出来ない……」

(……!!)

 深紅の両の瞳が真っすぐにアナスタシアを見つめていた。だが、驚きの言葉に身体を震わせたアナスタシアの頬を涙が伝っていく。

「どうして……どうして、そんなことを仰るのですか……? 手紙には私がミューズ家に戻れば状況を変えられると書いてあるのに……!?」

 予想外のアーヴェントの言葉にアナスタシアは感情を激しく揺らす。今までにない剣幕と震えた声、大きな手振りで反発する。

(どうして……? どうしてアーヴェント様は私がミューズ家に戻ることを許してくださらないのっ!?)

「アナ様……」

 普段決して取り乱さないアナスタシアのことをメイは心配していた。だが、その気持ちは理解できる。何故なら亡き両親が愛したミューズ家が今、窮地に立たされているからだ。メイも胸の辺りに手を当てながらアーヴェントの方を見つめる。

「これは罠だ……全ては王太子であるハンス・リュミエールとレイヴン・ミューズの仕掛けた罠なのだ。だから、アナスタシア。お前をミューズ家に帰すことは出来ない」

 はっきりとアーヴェントはアナスタシアの願いを却下した。そうすることが彼女の為になると思ったからだろう。だが、この時のアーヴェントの対応は適切ではなかった。今のアナスタシアにわかってもらうためには言葉が、足らな過ぎたのだ。

(……罠? ……アーヴェント様が一体何を言っているのか私には……わからない……)

 アーヴェントの言葉を受けて、アナスタシアは俯く。

「アナスタシア、とりあえずは落ち着いてくれ」

「……」

 アーヴェントの額には汗が浮かんでいた。彼自身もこのような事態になることは想定外だったからだろう。そしてアナスタシアが静かになったことで、落ち着いてくれたのだと勘違いしていたのだ。この時の二人の心は大きくすれ違っていた。

「……この二通の手紙は既に開封されていました……アーヴェント様はご存知だったのですよね……」

「アナスタシア……?」

 ふと俯いたままのアナスタシアの震えた声が寝室に木霊する。

「先程、私がこの手紙を読んでいることがわかった時……アーヴェント様は私に読むな、と言いました。つまり……本来はこの手紙を私に読ませる気はなかったのですよね……?」

「アナスタシア、それは……っ」

「どうしてですか……どうして、この状況で私に隠し事をしようとするのですか……」

 顔を上げたアナスタシアの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。青と赤の両の瞳からは絶えず大粒の涙が溢れていた。そしてその両の瞳の奥には深い『疑心』が映し出されていた。

 今回のこと、そしてこれまで微かに胸の奥に浮かんでいた様々な『疑惑』が波のようにアナスタシアの心に押し寄せていたのだ。その波によってこれまで確かに注がれていたはずのアーヴェントからの想いがアナスタシアには見えなくなってしまった。

 アナスタシアの口からアーヴェントに言葉が掛けられた。

「私……貴方のことが……信じられません」
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