吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~
79 旦那様には隠し事が多すぎます
アナスタシアの口から発せられたその言葉はアーヴェントの心を大きく抉るには十分なものだった。悲痛そうな表情を浮かべるアーヴェントだったが、当のアナスタシアにはそれが瞳に浮かぶ涙と心の中に生まれてしまった『疑心』によって見えなくなっていたのだ。
「アーヴェント様には……隠し事が多すぎます」
「アナスタシア……」
「以前ミューズ家にあった庭園とそっくりな庭園があることもその一つです……」
絶えず青と赤の両の瞳から涙が頬を伝う。それでも言葉は途切れることはない。今までに感じていた『気になっていた点』が『疑惑』へと変わっていたからだ。
「私とアーヴェント様の婚約について……以前から気になっていたんです」
「……」
アナスタシアは感情を抑えることが出来ずに、思うままに言葉を紡ぐ。その言葉を投げかけられるアーヴェントを気遣う余裕は既になかった。
「私がハンス殿下から婚約を解消された夜会の日。屋敷に戻った私は叔父様達に呼ばれ、今回のオースティン家との婚約の話を説明されました。そしてその時には既に相手側、つまりオースティン家は婚約の話を承諾し次の日には私を迎えにくるという話まで進んでいましたよね?」
「……ああ、その通りだ」
「次の日、迎えに来てくれたゾルンは馬車の車内で不安になっていた私にこう声を掛けてくれました……」
―私どもがお迎えに上がったのは間違いなく、アナスタシア様。貴方様です。私どもの主人が縁談の相手に望んでおりますのも貴方様で間違いありません―
「あの時はもしかしてオースティン家……アーヴェント様達は私ではなくフレデリカを望んでいたらどうしよう……そう思っていました。だからその言葉を聞いて、私は安心したのです……でも、思い返してみると『変』……ですよね」
苦笑いを浮かべながらアナスタシアはそっと自分の顔に両手を当てる。
「叔父様は言っていました……シリウス陛下の王命では『ミューズ家の娘を嫁がせる』とあったと。なら、その時点ではまだミューズ家が嫁がせるのが私なのかフレデリカなのかはアーヴェント様達にはわからないはずですよね……?!」
「……」
「アーヴェント様のお仕事を傍で見ていた私ならわかります。オースティン家の情報収集の能力が高いことは……なら尚更、ミューズ家には二人の娘がいて私が王太子と婚約しているというのは調べればわかったはずです……それならミューズ家から嫁ぐ娘はフレデリカになるはずですよね……?」
「アナ様……」
泣きながら『疑心』を言葉にしているアナスタシアをメイは心配の眼差しで見つめていた。アーヴェントはただアナスタシアの言葉を俯き加減で聞いていた。
「でもアーヴェント様は私が選ばれることを前提にこの婚約を了承した……つまり、私がハンス殿下から婚約を解消されるのが分かっていた……ということになりますよね? ……今回の婚約の解消は叔父様やハンス殿下、そしてフレデリカの間で進められていたことはわかっていました……でも、どうしてですか……? どうして、そのことまでアーヴェント様はご存知だったのですか……!?」
アナスタシアの口調と息が荒くなっていく。尚も青と赤の両の瞳からは涙が溢れていた。
「もしかして……アーヴェント様は叔父様達と繋がっていたのではないのですか!?」
「それは違うっ……!」
ずっと黙って聞いていたアーヴェントはアナスタシアの発したその言葉に反応し、大きな手振りを添えて否定した。
「どう……違うのですか……?」
朧げな瞳をアナスタシアはアーヴェントへと向ける。
「それは……っ」
アーヴェントは何かを言いかけたが、口をつぐんだ。その行為はアナスタシアの中にある『疑心』を更に増長させてしまった。
「……何も言ってくれないということは、やはりやましいことがおありなんでしょう?! こんな時でさえもアーヴェント様は私に隠し事をするおつもりなのですねっ……!」
アナスタシアが両手でドレスの胸の辺りを強く握りしめながら、アーヴェントの横を通り過ぎると寝室の扉を強く開き、廊下へと駆け出していく。
アーヴェントはその場に立ち尽くしていた。どうすればいいか、迷っていたのだろう。その迷いが駆け出していくアナスタシアの手を取ることを躊躇させたのだ。
その時、アーヴェントの耳にメイの声が響く。
「何をしてらっしゃるんですか、旦那様!!」
「メイ……」
メイも黄色の瞳に大粒の涙を浮かべながら、アーヴェントの方を見つめていた。
「メイにはわかります。旦那様はいつもアナ様の幸せを考えてらっしゃいました! だからアナ様が知らないほうがいいと思ってお取りになった行動なのですよね!? でも、今のアナ様にはそれさえわからなくなってしまっています……なら、アナ様の心をお救い出来るのは旦那様しかいませんっ!」
メイは言葉を続ける。
「だから……旦那様。アナ様のことを宜しくお願い致します……っ」
メイの頬を涙が伝っていく。彼女のアナスタシアを想う姿を見て、そしてその言葉に背中を押されたアーヴェントも気持ちが決まったようだ。
「ありがとう、メイ。おかげで俺もやっと決心がついた……。必ず彼女を連れて戻ってくる」
そう言うと、アーヴェントはすぐさま寝室の扉を開けてアナスタシアの後を追う。残されたメイは静かに深い礼を扉の方に向かってするのだった。
アーヴェントにはアナスタシアが何処に向かったのか見当がついていた。二階の廊下を走り抜け、階段を下り玄関ホールへとたどり着く。そしてそこから真っすぐ中庭へと続く扉へと向かう。
中庭は静かな時が流れていた。アーヴェントは息を荒げながらもゆっくりと中庭を進んでいく。この先に人の気配を感じたからだ。中庭を過ぎると庭園が目の前に広がる。
アナスタシアはその庭園の真ん中にある噴水の所で立ち尽くし、空を仰いでいた。
「アナスタシア……やはりここだったんだな」
「アーヴェント様……」
振り返ったアナスタシアの瞼は可愛そうなほど、涙で腫れあがっていた。彼女は俯きながら独り言のように言葉を口にし始める。
「フレデリカの手紙にはこう綴ってありました……私の存在は何処にいようと誰かに迷惑をかけ、その誰かを不幸にしてしまうのだと。そして私の口にする唄も、この両の瞳も……不幸を呼ぶ悪魔のものなのだと……」
「アナスタシア……」
「取り乱してしまって申し訳ありませんでした……私はミューズ家に帰ります。お許しを頂けないのであれば……どうぞ、婚約を解消してくださいませ……そうすればしがらみはなくなるはずです……」
青と赤の両の瞳の奥に絶望にも似た淀んだ光を浮かべながらアナスタシアはその言葉を口にする。だが、アーヴェントにはそれが彼女の本心でないことはわかっていた。誰よりも彼女がそれを望んでいないことも。
そっとアーヴェントがアナスタシアに近づき、彼女を抱きしめた。
「不誠実な態度をとってすまなかった……俺の勝手な考えがお前をここまで傷つけてしまったんだな……許してくれ、アナスタシア」
すーっと乾いたはずの青と赤の瞳から綺麗な涙が一粒、頬を伝う。放心し、色が抜けた彼女の顔にゆっくりと本来の色が戻ってくる。そして強くアーヴェントのことを抱きしめる。
「アーヴェント様……私……っ」
「何も言わなくていい……お前の『疑心』を取り除けなかった俺の責任だ」
アーヴェントは抱き寄せたアナスタシアの両肩にそっと手を添える。そして彼女の正面から誠意を持った言葉を語りかける。その深紅の両の瞳には愛しいアナスタシアの姿が映っていた。
「今、此処で『全て』をお前に伝えよう」
「アーヴェント様には……隠し事が多すぎます」
「アナスタシア……」
「以前ミューズ家にあった庭園とそっくりな庭園があることもその一つです……」
絶えず青と赤の両の瞳から涙が頬を伝う。それでも言葉は途切れることはない。今までに感じていた『気になっていた点』が『疑惑』へと変わっていたからだ。
「私とアーヴェント様の婚約について……以前から気になっていたんです」
「……」
アナスタシアは感情を抑えることが出来ずに、思うままに言葉を紡ぐ。その言葉を投げかけられるアーヴェントを気遣う余裕は既になかった。
「私がハンス殿下から婚約を解消された夜会の日。屋敷に戻った私は叔父様達に呼ばれ、今回のオースティン家との婚約の話を説明されました。そしてその時には既に相手側、つまりオースティン家は婚約の話を承諾し次の日には私を迎えにくるという話まで進んでいましたよね?」
「……ああ、その通りだ」
「次の日、迎えに来てくれたゾルンは馬車の車内で不安になっていた私にこう声を掛けてくれました……」
―私どもがお迎えに上がったのは間違いなく、アナスタシア様。貴方様です。私どもの主人が縁談の相手に望んでおりますのも貴方様で間違いありません―
「あの時はもしかしてオースティン家……アーヴェント様達は私ではなくフレデリカを望んでいたらどうしよう……そう思っていました。だからその言葉を聞いて、私は安心したのです……でも、思い返してみると『変』……ですよね」
苦笑いを浮かべながらアナスタシアはそっと自分の顔に両手を当てる。
「叔父様は言っていました……シリウス陛下の王命では『ミューズ家の娘を嫁がせる』とあったと。なら、その時点ではまだミューズ家が嫁がせるのが私なのかフレデリカなのかはアーヴェント様達にはわからないはずですよね……?!」
「……」
「アーヴェント様のお仕事を傍で見ていた私ならわかります。オースティン家の情報収集の能力が高いことは……なら尚更、ミューズ家には二人の娘がいて私が王太子と婚約しているというのは調べればわかったはずです……それならミューズ家から嫁ぐ娘はフレデリカになるはずですよね……?」
「アナ様……」
泣きながら『疑心』を言葉にしているアナスタシアをメイは心配の眼差しで見つめていた。アーヴェントはただアナスタシアの言葉を俯き加減で聞いていた。
「でもアーヴェント様は私が選ばれることを前提にこの婚約を了承した……つまり、私がハンス殿下から婚約を解消されるのが分かっていた……ということになりますよね? ……今回の婚約の解消は叔父様やハンス殿下、そしてフレデリカの間で進められていたことはわかっていました……でも、どうしてですか……? どうして、そのことまでアーヴェント様はご存知だったのですか……!?」
アナスタシアの口調と息が荒くなっていく。尚も青と赤の両の瞳からは涙が溢れていた。
「もしかして……アーヴェント様は叔父様達と繋がっていたのではないのですか!?」
「それは違うっ……!」
ずっと黙って聞いていたアーヴェントはアナスタシアの発したその言葉に反応し、大きな手振りを添えて否定した。
「どう……違うのですか……?」
朧げな瞳をアナスタシアはアーヴェントへと向ける。
「それは……っ」
アーヴェントは何かを言いかけたが、口をつぐんだ。その行為はアナスタシアの中にある『疑心』を更に増長させてしまった。
「……何も言ってくれないということは、やはりやましいことがおありなんでしょう?! こんな時でさえもアーヴェント様は私に隠し事をするおつもりなのですねっ……!」
アナスタシアが両手でドレスの胸の辺りを強く握りしめながら、アーヴェントの横を通り過ぎると寝室の扉を強く開き、廊下へと駆け出していく。
アーヴェントはその場に立ち尽くしていた。どうすればいいか、迷っていたのだろう。その迷いが駆け出していくアナスタシアの手を取ることを躊躇させたのだ。
その時、アーヴェントの耳にメイの声が響く。
「何をしてらっしゃるんですか、旦那様!!」
「メイ……」
メイも黄色の瞳に大粒の涙を浮かべながら、アーヴェントの方を見つめていた。
「メイにはわかります。旦那様はいつもアナ様の幸せを考えてらっしゃいました! だからアナ様が知らないほうがいいと思ってお取りになった行動なのですよね!? でも、今のアナ様にはそれさえわからなくなってしまっています……なら、アナ様の心をお救い出来るのは旦那様しかいませんっ!」
メイは言葉を続ける。
「だから……旦那様。アナ様のことを宜しくお願い致します……っ」
メイの頬を涙が伝っていく。彼女のアナスタシアを想う姿を見て、そしてその言葉に背中を押されたアーヴェントも気持ちが決まったようだ。
「ありがとう、メイ。おかげで俺もやっと決心がついた……。必ず彼女を連れて戻ってくる」
そう言うと、アーヴェントはすぐさま寝室の扉を開けてアナスタシアの後を追う。残されたメイは静かに深い礼を扉の方に向かってするのだった。
アーヴェントにはアナスタシアが何処に向かったのか見当がついていた。二階の廊下を走り抜け、階段を下り玄関ホールへとたどり着く。そしてそこから真っすぐ中庭へと続く扉へと向かう。
中庭は静かな時が流れていた。アーヴェントは息を荒げながらもゆっくりと中庭を進んでいく。この先に人の気配を感じたからだ。中庭を過ぎると庭園が目の前に広がる。
アナスタシアはその庭園の真ん中にある噴水の所で立ち尽くし、空を仰いでいた。
「アナスタシア……やはりここだったんだな」
「アーヴェント様……」
振り返ったアナスタシアの瞼は可愛そうなほど、涙で腫れあがっていた。彼女は俯きながら独り言のように言葉を口にし始める。
「フレデリカの手紙にはこう綴ってありました……私の存在は何処にいようと誰かに迷惑をかけ、その誰かを不幸にしてしまうのだと。そして私の口にする唄も、この両の瞳も……不幸を呼ぶ悪魔のものなのだと……」
「アナスタシア……」
「取り乱してしまって申し訳ありませんでした……私はミューズ家に帰ります。お許しを頂けないのであれば……どうぞ、婚約を解消してくださいませ……そうすればしがらみはなくなるはずです……」
青と赤の両の瞳の奥に絶望にも似た淀んだ光を浮かべながらアナスタシアはその言葉を口にする。だが、アーヴェントにはそれが彼女の本心でないことはわかっていた。誰よりも彼女がそれを望んでいないことも。
そっとアーヴェントがアナスタシアに近づき、彼女を抱きしめた。
「不誠実な態度をとってすまなかった……俺の勝手な考えがお前をここまで傷つけてしまったんだな……許してくれ、アナスタシア」
すーっと乾いたはずの青と赤の瞳から綺麗な涙が一粒、頬を伝う。放心し、色が抜けた彼女の顔にゆっくりと本来の色が戻ってくる。そして強くアーヴェントのことを抱きしめる。
「アーヴェント様……私……っ」
「何も言わなくていい……お前の『疑心』を取り除けなかった俺の責任だ」
アーヴェントは抱き寄せたアナスタシアの両肩にそっと手を添える。そして彼女の正面から誠意を持った言葉を語りかける。その深紅の両の瞳には愛しいアナスタシアの姿が映っていた。
「今、此処で『全て』をお前に伝えよう」