吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~
80 今、全てが明かされます
「アナスタシア、お前の言う通りだ。俺は二国間の和平の一環として結ばれたリュミエール王国の王命によってミューズ家からオースティン家に嫁ぐことになるのがお前だと知っていた」
「何故、ですか?」
アナスタシアは静かにアーヴェントの顔を見上げる。両肩には添えられた彼の手の温もりを感じられる程、落ち着いていた。青と赤の瞳と深紅の瞳が見つめ合う。
「それはシリウス陛下からアルク陛下への手紙で明らかにされた。近いうちにリュミエール王国の王太子であるハンス・リュミエールが婚約者であるアナスタシア・ミューズとの婚約を解消するだろう、と。そのことを俺はライナーやリズベット達を通じてアルク陛下から聞かされていたのだ」
驚きの内容を聞いたアナスタシアはそっと口元に手を添える。
「シリウス陛下が……」
「シリウス陛下はお前の両親が亡くなった後、ずっとお前のことを気に掛けていたそうだ。だが、外交官だったラスター公爵が亡くなったすぐ後に公爵の地位についたお前の叔父であるレイヴンは娘であるフレデリカをハンス殿下に接触させてきたそうだ」
(お父様達が亡くなってからは陛下とは疎遠になっていたはずなのに……私のことを想っていてくださっていたなんて……知らなかった……でも陛下はどうやってそのことをお知りになったのかしら)
「それはシリウス陛下がお調べになったのですか?」
「シリウス陛下には『影』と呼ばれる諜報活動を主にした従者がいるのだそうだ。ラスター公爵が亡くなった後からずっとその『影』に自分の周辺を監視させていたそうだ。それによって王太子であるハンスとレイヴン達がお前へとの婚約破棄の計画を企てていることが判明したのだという話だ」
(それはつまり……)
「それではシリウス陛下は、はじめから私をシェイド王国に嫁がせるお考えで王命によるオースティン家との婚約を叔父様に言い渡した、ということですか?」
合点がいった表情を浮かべながらアナスタシアが尋ねる。
「ああ、その通りだ。婚約が破棄された後、レイヴン達がお前をそれまで以上に虐げることを案じたシリウス陛下は今回の計画をアルク陛下へと伝え、その結果お前は俺の元に嫁いできたのだ。そうすればお前を守ることが出来るとシリウス陛下はお考えだったのだろう」
「そう、だったのですね……」
そこまで説明したアーヴェントは刹那、微笑む。だが、すぐにその表情は険しいものに変わる。今から話すことが重要なことなのだと、アナスタシアは理解した。
「そして全ての事の始まりは、アナスタシア。お前の両親であり、リュミエール王国の外交官であったラスター公爵とルフレ公爵夫人が事故によって亡くなった事件が大きく関係しているのだ」
「それは……どういう意味ですか? どうしてお父様やお母様の事故のことが今回の一件と関係しているのですか?」
アナスタシアの両親はシェイド王国へ公務で訪問した帰りに不慮の事故にあった。だが、それと今回のシリウス王がとった計画との繋がりがアナスタシアには見えてこなかった。目を丸くしながらじっとアーヴェントの瞳を見つめる。
「……シリウス陛下は事故として処理されたこの事件が、ラスター公爵の弟であるレイヴンの手によって仕組まれたモノだと考えていたそうだ」
更にアナスタシアにとって衝撃的な言葉がアーヴェントから語られる。まさか、という表情を彼女は浮かべていた。
「叔父様が……お父様達を……?!」
(そんな、どうして……?)
「当時、シリウス陛下は王命によりラスター公爵にリュミエール王国とシェイド王国の間で密かに行われていた不正の証拠を探させていたのだという。このことはアルク陛下もご存知だ。ラスター公爵はシェイド王国を訪問している間にその決定的な証拠を掴んだと秘密裏にシリウス陛下に手紙を送っていたそうだ……だが、その帰りにラスター公爵、そして夫人は事故により亡くなってしまった」
(お父様とお母様はそんなに重要な仕事を陛下から任されていた……だから当時、頻繁にシェイド王国へと足を運んでいたのね……)
「それによって当時、外交官補佐をしていたレイヴンに嫌疑がかけられたそうだ。だが証拠は何も見つからなかった。そしてラスター公爵が亡くなったことで議会の保守派の力は弱まり、代わりに改革派の力が大きくなってしまった。結果、レイヴンは改革派の議会員たちの力を使ってラスター公爵の後釜についたのだ」
「……そのことでシリウス陛下は改革派の台頭によってひっ迫した議会の矢面に立たされてしまったのですね……」
その通りだ、と深紅の瞳を向けたアーヴェントが頷く。
「レイヴンによって当時ラスター公爵が信頼していた者達は役職を追われた。その結果、シリウス陛下の周辺はレイヴンの息がかかった間者が何処にいるかもわからない状況になってしまった。それによってシリウス陛下は表立って行動することを制限されてしまったのだという……」
確かにそんな状況に立たされていたシリウス王が多くの貴族達の前でハンス殿下が行った婚約破棄を表立って止められるはずがない、と改めてアナスタシアは考えていた。
「何とか状況を変えようとしていたこの数年の間にレイヴン達はアナスタシア、お前を虐げていた。それを止められなかったことをシリウス陛下はひどく後悔していたそうだ。だからこそ『影』を使い秘密裏にアルク陛下と相談した結果、王命によって欺瞞に満ちた今のミューズ家からお前を救い出す方法を考え付いたそうだ」
(今、アーヴェント様が語られたお話は全て事実……だとすればお父様とお母様は叔父様の企てによって命を落とされた……まさかそんなことになっていたなんて……)
驚きの連続だったが、アーヴェントの話は全て筋が通っていた。フレデリカの代わりに自分が嫁ぐことになったと思っていた今回の王命による婚約も全て自分を今のミューズ家、強いては叔父のレイヴンから引き離すためのシリウス王の配慮だったことがわかりアナスタシアはシリウス王の優しさを感じていた。
「それが今回の二つの国の間で行われた婚約の真実だったのですね……」
「ああ、そうだ」
アーヴェントが頷く。壮大な内容だったが、ゆっくりとアナスタシアはかみ砕くように理解を進めていた。だがその話が本当だとすれば『二つ』、大きな疑問が彼女の脳裏に浮かんだのだ。
(……アーヴェント様は真摯に私に向き合ってくれている……なら、私も疑問に思ったことを再び胸の奥にしまってはいけないわ……ちゃんと口に出さなければ……)
刹那、俯いていたアナスタシアは再びアーヴェントの顔を見上げる。
「アーヴェント様……聞きたいことがあるのですが……」
「何でも聞いてくれ。俺はそれに答える義務があるのだからな」
アナスタシアは静かに頷くと、一度深呼吸をする。そしてゆっくりと口を開く。一つめの疑問を尋ねたのだ。
「アーヴェント様は先程、私の寝室で今回のリュミエール王国を騒がせている私の両親にかけられた不正の嫌疑、そしてシリウス陛下の軟禁は叔父様とハンス殿下による罠だと……そう仰りましたよね?」
「ああ」
真実を知らなかったアナスタシアは寝室でアーヴェントが口にしたその言葉に対して疑念を抱いていた。だが、今は違う。客観的にその言葉の意味を理解しようとしていた。だが、やはり疑問が浮かんできていたのだ。
「今回の王命での婚約の話の真実は叔父様やハンス殿下は知らないはずですよね?」
「恐らく、気づくことはないだろうな」
一度俯いたアナスタシアは瞳を閉じる。そして瞳を開くと思い切った様子で言葉を口にする。
「なら何故今更、私をミューズ家に帰らせるように仕向ける必要があるのですか? 私は既にハンス殿下との婚約は解消され、新たにオースティン家との婚約が結ばれている身です。私を毛嫌いしていた叔父様やハンス殿下にとって今の私は……言うなれば用済みのはず、ですよね?」
アナスタシアの疑問は的を射ていた。そこに気付くことは彼女自身がとても賢いことを物語っていた。
「それは……お前が『神の愛娘』だとレイヴン達が気づいたからだ」
「『神の愛娘』……?」
首を傾げながら、その言葉をアナスタシアは復唱する。だが、以前にその言葉を掛けられたことがあることを思い出した。そう、かつて王妃教育でリュミエール城に出入りしていた時、ハンスの弟であるレオが自分に掛けてくれた言葉だった。
―アナスタシアは、きっと神の愛娘なんだよ―
(その言葉を聞いたのはその一度だけ。その後レオ殿下は遠くの療養所へ行ってしまって言葉の意味を尋ねることは出来なかったのだったわ……まさかその言葉をもう一度聞くことになるなんて……)
「『神の愛娘』とは一体何なのですか?」
「『神の愛娘』というのはこの世界に伝わる古い伝承の中に出てくる存在だ。『この世界には稀に神に愛された少女が生を受ける。その少女は世界に幸せを導く力を生まれ持ち、その口から紡がれる唄には神の祝福が宿る』というものだ……シェイド城に所蔵されている本にもその内容が記されている」
アーヴェントは恐らく、同じ本がリュミエール城にも所蔵されていると言葉を付け加えた。
「そんな……私はそんな特別な存在ではありません……」
(確かに昔から唄は好きだったけれど……私に幸せを導く力なんてないわ……今だってシリウス陛下やアルク陛下、ライナー様やリズベット様、そしてアーヴェント様に多大なご迷惑を掛けてしまっている身なのだから……)
アナスタシアは自分が『神の愛娘』だという事実を受け入れることは出来ない様子だ。アーヴェントもそれは理解しているようで、柔らかい表情を浮かべる。
「そのことについては……この後、改めて説明するよ」
「アーヴェント様……」
(アーヴェント様は何か確信があるのね……それもちゃんと聞かなくちゃ。でも……今はもう一つの疑問を尋ねないと。ある意味、『神の愛娘』のお話よりも私にとっては大事なことなのだから……)
ひとまず伝承の話は置いておき、アナスタシアは二つ目の疑問をアーヴェントにぶつけることにした。両手を胸の辺りに添え、どこか寂し気な表情を彼女は浮かべていた。
「アーヴェント様は……アルク陛下から今回の王命での婚約の話の真実をお聞きになったと仰っていましたよね……?」
アーヴェントもその点について尋ねられることは予想がついていたようで、躊躇なく首を縦に振る。
「ああ、そうだ」
「その時のお話を聞きたいのです……」
じっと青と赤の両の瞳でアナスタシアはアーヴェントの深紅の瞳を覗き込む。
「アナスタシアがこの屋敷に来る数か月前……幼い頃からの友人であったライナーやリズベットからの頼みもあり、俺はシェイド城へと招待されアルク陛下からリュミエール王国の公爵家であるミューズ家の令嬢を婚約者に迎えて欲しいと頼まれたのだ」
アナスタシアは静かに頷き、話の続きを望んでいた。それに応えるようにアーヴェントは続きを語り始める。
「だが、俺は同じ魔族の中でも『吸血鬼』と呼ばれ恐れられている身だ。魔族であり、そんな噂が流れている者と婚約してもその令嬢のためにならない……そう思った俺はアルク陛下からの願いを一度断った。しかし、その後リュミエール王国の現状とシリウス陛下の計画を聞いたことで俺の考えは変わったのだ」
そこまでの話を聞いたアナスタシアは軽く俯くと、どこか寂し気な表情を浮かべていた。彼女自身、アーヴェントの口から語られた言葉を予め予想していたのだろう。
「アーヴェント様は……私の境遇に同情してくださったのですよね? だからアルク陛下からの話をお受けして頂いたのでしょう……?」
アナスタシアが気にしていた点はそこだ。一度断った婚約の話をアーヴェントが了承したのはシリウス陛下の計画の背景にある自分の身の上を知ったからなのだと彼女は考えていたのだ。
今まで掛けてもらっていた幸せな言葉の数々、それも自分を憐れんでくれていたからなのだと自分に言い聞かせたかったのだ。
投げやりになっていたのではない。彼女は冷静だった。だからこそ、あえてこの話を尋ねたのだ。だが、それは自分の勝手な思い込みだったということに彼女はこの後気づくことになる。
「アナスタシア、それは違う」
「アーヴェント様……?」
真剣な表情と綺麗な深紅の両の瞳がアナスタシアを真っすぐに見つめていた。その言葉からもアーヴェントの決意が感じられた。
「俺は同情という浮ついた気持ちでお前との婚約を結んだんじゃない……俺はずっとお前を探し続けていたのだ。この六年の間ずっと……」
「私を……探し続けていた?」
(それも六年も前から……? でも……)
「六年前……私はまだ十歳でした。それにアーヴェント様とはお会いしたこともありません……」
アナスタシアのその言葉を聞いたアーヴェントは、穏やかな表情を浮かべながら首をゆっくりと左右に振ってみせた。
そして一言、告げる。
「……いや。俺達は出会っているんだ。六年前、この……いやあの庭園でな」
「何故、ですか?」
アナスタシアは静かにアーヴェントの顔を見上げる。両肩には添えられた彼の手の温もりを感じられる程、落ち着いていた。青と赤の瞳と深紅の瞳が見つめ合う。
「それはシリウス陛下からアルク陛下への手紙で明らかにされた。近いうちにリュミエール王国の王太子であるハンス・リュミエールが婚約者であるアナスタシア・ミューズとの婚約を解消するだろう、と。そのことを俺はライナーやリズベット達を通じてアルク陛下から聞かされていたのだ」
驚きの内容を聞いたアナスタシアはそっと口元に手を添える。
「シリウス陛下が……」
「シリウス陛下はお前の両親が亡くなった後、ずっとお前のことを気に掛けていたそうだ。だが、外交官だったラスター公爵が亡くなったすぐ後に公爵の地位についたお前の叔父であるレイヴンは娘であるフレデリカをハンス殿下に接触させてきたそうだ」
(お父様達が亡くなってからは陛下とは疎遠になっていたはずなのに……私のことを想っていてくださっていたなんて……知らなかった……でも陛下はどうやってそのことをお知りになったのかしら)
「それはシリウス陛下がお調べになったのですか?」
「シリウス陛下には『影』と呼ばれる諜報活動を主にした従者がいるのだそうだ。ラスター公爵が亡くなった後からずっとその『影』に自分の周辺を監視させていたそうだ。それによって王太子であるハンスとレイヴン達がお前へとの婚約破棄の計画を企てていることが判明したのだという話だ」
(それはつまり……)
「それではシリウス陛下は、はじめから私をシェイド王国に嫁がせるお考えで王命によるオースティン家との婚約を叔父様に言い渡した、ということですか?」
合点がいった表情を浮かべながらアナスタシアが尋ねる。
「ああ、その通りだ。婚約が破棄された後、レイヴン達がお前をそれまで以上に虐げることを案じたシリウス陛下は今回の計画をアルク陛下へと伝え、その結果お前は俺の元に嫁いできたのだ。そうすればお前を守ることが出来るとシリウス陛下はお考えだったのだろう」
「そう、だったのですね……」
そこまで説明したアーヴェントは刹那、微笑む。だが、すぐにその表情は険しいものに変わる。今から話すことが重要なことなのだと、アナスタシアは理解した。
「そして全ての事の始まりは、アナスタシア。お前の両親であり、リュミエール王国の外交官であったラスター公爵とルフレ公爵夫人が事故によって亡くなった事件が大きく関係しているのだ」
「それは……どういう意味ですか? どうしてお父様やお母様の事故のことが今回の一件と関係しているのですか?」
アナスタシアの両親はシェイド王国へ公務で訪問した帰りに不慮の事故にあった。だが、それと今回のシリウス王がとった計画との繋がりがアナスタシアには見えてこなかった。目を丸くしながらじっとアーヴェントの瞳を見つめる。
「……シリウス陛下は事故として処理されたこの事件が、ラスター公爵の弟であるレイヴンの手によって仕組まれたモノだと考えていたそうだ」
更にアナスタシアにとって衝撃的な言葉がアーヴェントから語られる。まさか、という表情を彼女は浮かべていた。
「叔父様が……お父様達を……?!」
(そんな、どうして……?)
「当時、シリウス陛下は王命によりラスター公爵にリュミエール王国とシェイド王国の間で密かに行われていた不正の証拠を探させていたのだという。このことはアルク陛下もご存知だ。ラスター公爵はシェイド王国を訪問している間にその決定的な証拠を掴んだと秘密裏にシリウス陛下に手紙を送っていたそうだ……だが、その帰りにラスター公爵、そして夫人は事故により亡くなってしまった」
(お父様とお母様はそんなに重要な仕事を陛下から任されていた……だから当時、頻繁にシェイド王国へと足を運んでいたのね……)
「それによって当時、外交官補佐をしていたレイヴンに嫌疑がかけられたそうだ。だが証拠は何も見つからなかった。そしてラスター公爵が亡くなったことで議会の保守派の力は弱まり、代わりに改革派の力が大きくなってしまった。結果、レイヴンは改革派の議会員たちの力を使ってラスター公爵の後釜についたのだ」
「……そのことでシリウス陛下は改革派の台頭によってひっ迫した議会の矢面に立たされてしまったのですね……」
その通りだ、と深紅の瞳を向けたアーヴェントが頷く。
「レイヴンによって当時ラスター公爵が信頼していた者達は役職を追われた。その結果、シリウス陛下の周辺はレイヴンの息がかかった間者が何処にいるかもわからない状況になってしまった。それによってシリウス陛下は表立って行動することを制限されてしまったのだという……」
確かにそんな状況に立たされていたシリウス王が多くの貴族達の前でハンス殿下が行った婚約破棄を表立って止められるはずがない、と改めてアナスタシアは考えていた。
「何とか状況を変えようとしていたこの数年の間にレイヴン達はアナスタシア、お前を虐げていた。それを止められなかったことをシリウス陛下はひどく後悔していたそうだ。だからこそ『影』を使い秘密裏にアルク陛下と相談した結果、王命によって欺瞞に満ちた今のミューズ家からお前を救い出す方法を考え付いたそうだ」
(今、アーヴェント様が語られたお話は全て事実……だとすればお父様とお母様は叔父様の企てによって命を落とされた……まさかそんなことになっていたなんて……)
驚きの連続だったが、アーヴェントの話は全て筋が通っていた。フレデリカの代わりに自分が嫁ぐことになったと思っていた今回の王命による婚約も全て自分を今のミューズ家、強いては叔父のレイヴンから引き離すためのシリウス王の配慮だったことがわかりアナスタシアはシリウス王の優しさを感じていた。
「それが今回の二つの国の間で行われた婚約の真実だったのですね……」
「ああ、そうだ」
アーヴェントが頷く。壮大な内容だったが、ゆっくりとアナスタシアはかみ砕くように理解を進めていた。だがその話が本当だとすれば『二つ』、大きな疑問が彼女の脳裏に浮かんだのだ。
(……アーヴェント様は真摯に私に向き合ってくれている……なら、私も疑問に思ったことを再び胸の奥にしまってはいけないわ……ちゃんと口に出さなければ……)
刹那、俯いていたアナスタシアは再びアーヴェントの顔を見上げる。
「アーヴェント様……聞きたいことがあるのですが……」
「何でも聞いてくれ。俺はそれに答える義務があるのだからな」
アナスタシアは静かに頷くと、一度深呼吸をする。そしてゆっくりと口を開く。一つめの疑問を尋ねたのだ。
「アーヴェント様は先程、私の寝室で今回のリュミエール王国を騒がせている私の両親にかけられた不正の嫌疑、そしてシリウス陛下の軟禁は叔父様とハンス殿下による罠だと……そう仰りましたよね?」
「ああ」
真実を知らなかったアナスタシアは寝室でアーヴェントが口にしたその言葉に対して疑念を抱いていた。だが、今は違う。客観的にその言葉の意味を理解しようとしていた。だが、やはり疑問が浮かんできていたのだ。
「今回の王命での婚約の話の真実は叔父様やハンス殿下は知らないはずですよね?」
「恐らく、気づくことはないだろうな」
一度俯いたアナスタシアは瞳を閉じる。そして瞳を開くと思い切った様子で言葉を口にする。
「なら何故今更、私をミューズ家に帰らせるように仕向ける必要があるのですか? 私は既にハンス殿下との婚約は解消され、新たにオースティン家との婚約が結ばれている身です。私を毛嫌いしていた叔父様やハンス殿下にとって今の私は……言うなれば用済みのはず、ですよね?」
アナスタシアの疑問は的を射ていた。そこに気付くことは彼女自身がとても賢いことを物語っていた。
「それは……お前が『神の愛娘』だとレイヴン達が気づいたからだ」
「『神の愛娘』……?」
首を傾げながら、その言葉をアナスタシアは復唱する。だが、以前にその言葉を掛けられたことがあることを思い出した。そう、かつて王妃教育でリュミエール城に出入りしていた時、ハンスの弟であるレオが自分に掛けてくれた言葉だった。
―アナスタシアは、きっと神の愛娘なんだよ―
(その言葉を聞いたのはその一度だけ。その後レオ殿下は遠くの療養所へ行ってしまって言葉の意味を尋ねることは出来なかったのだったわ……まさかその言葉をもう一度聞くことになるなんて……)
「『神の愛娘』とは一体何なのですか?」
「『神の愛娘』というのはこの世界に伝わる古い伝承の中に出てくる存在だ。『この世界には稀に神に愛された少女が生を受ける。その少女は世界に幸せを導く力を生まれ持ち、その口から紡がれる唄には神の祝福が宿る』というものだ……シェイド城に所蔵されている本にもその内容が記されている」
アーヴェントは恐らく、同じ本がリュミエール城にも所蔵されていると言葉を付け加えた。
「そんな……私はそんな特別な存在ではありません……」
(確かに昔から唄は好きだったけれど……私に幸せを導く力なんてないわ……今だってシリウス陛下やアルク陛下、ライナー様やリズベット様、そしてアーヴェント様に多大なご迷惑を掛けてしまっている身なのだから……)
アナスタシアは自分が『神の愛娘』だという事実を受け入れることは出来ない様子だ。アーヴェントもそれは理解しているようで、柔らかい表情を浮かべる。
「そのことについては……この後、改めて説明するよ」
「アーヴェント様……」
(アーヴェント様は何か確信があるのね……それもちゃんと聞かなくちゃ。でも……今はもう一つの疑問を尋ねないと。ある意味、『神の愛娘』のお話よりも私にとっては大事なことなのだから……)
ひとまず伝承の話は置いておき、アナスタシアは二つ目の疑問をアーヴェントにぶつけることにした。両手を胸の辺りに添え、どこか寂し気な表情を彼女は浮かべていた。
「アーヴェント様は……アルク陛下から今回の王命での婚約の話の真実をお聞きになったと仰っていましたよね……?」
アーヴェントもその点について尋ねられることは予想がついていたようで、躊躇なく首を縦に振る。
「ああ、そうだ」
「その時のお話を聞きたいのです……」
じっと青と赤の両の瞳でアナスタシアはアーヴェントの深紅の瞳を覗き込む。
「アナスタシアがこの屋敷に来る数か月前……幼い頃からの友人であったライナーやリズベットからの頼みもあり、俺はシェイド城へと招待されアルク陛下からリュミエール王国の公爵家であるミューズ家の令嬢を婚約者に迎えて欲しいと頼まれたのだ」
アナスタシアは静かに頷き、話の続きを望んでいた。それに応えるようにアーヴェントは続きを語り始める。
「だが、俺は同じ魔族の中でも『吸血鬼』と呼ばれ恐れられている身だ。魔族であり、そんな噂が流れている者と婚約してもその令嬢のためにならない……そう思った俺はアルク陛下からの願いを一度断った。しかし、その後リュミエール王国の現状とシリウス陛下の計画を聞いたことで俺の考えは変わったのだ」
そこまでの話を聞いたアナスタシアは軽く俯くと、どこか寂し気な表情を浮かべていた。彼女自身、アーヴェントの口から語られた言葉を予め予想していたのだろう。
「アーヴェント様は……私の境遇に同情してくださったのですよね? だからアルク陛下からの話をお受けして頂いたのでしょう……?」
アナスタシアが気にしていた点はそこだ。一度断った婚約の話をアーヴェントが了承したのはシリウス陛下の計画の背景にある自分の身の上を知ったからなのだと彼女は考えていたのだ。
今まで掛けてもらっていた幸せな言葉の数々、それも自分を憐れんでくれていたからなのだと自分に言い聞かせたかったのだ。
投げやりになっていたのではない。彼女は冷静だった。だからこそ、あえてこの話を尋ねたのだ。だが、それは自分の勝手な思い込みだったということに彼女はこの後気づくことになる。
「アナスタシア、それは違う」
「アーヴェント様……?」
真剣な表情と綺麗な深紅の両の瞳がアナスタシアを真っすぐに見つめていた。その言葉からもアーヴェントの決意が感じられた。
「俺は同情という浮ついた気持ちでお前との婚約を結んだんじゃない……俺はずっとお前を探し続けていたのだ。この六年の間ずっと……」
「私を……探し続けていた?」
(それも六年も前から……? でも……)
「六年前……私はまだ十歳でした。それにアーヴェント様とはお会いしたこともありません……」
アナスタシアのその言葉を聞いたアーヴェントは、穏やかな表情を浮かべながら首をゆっくりと左右に振ってみせた。
そして一言、告げる。
「……いや。俺達は出会っているんだ。六年前、この……いやあの庭園でな」