吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~
86 最悪の事態は想定しておくものだな
別邸でアナスタシアが生活を始めた初日、二日目とアーヴェントはいつもと変わりなくアナスタシアと食事を共にし、歓談や庭園を散策したりしていた。そして二日目の夜、彼女が寝静まった頃に事態は動き始める。
別邸の執務室にアーヴェントとゾルンの姿があった。二人とも真剣な面持ちをしている。そこにラストがノックをして入って来た。
「アーヴェント様、あちら側に動きがありましたわ。手練れ十数人が斥候役の元に集まっているようです」
一息ついたアーヴェントは机に両肘をつき、顔の前で手を組む。
「そうか。なら仕掛けてくるのは今夜ということだな。首尾はどうだ?」
ラストは一礼して笑みを浮かべる。いつもよりもどこか艶やかに見える。
「上々ですわ。私の可愛い子犬は餌を持ってこの屋敷に向かってくるでしょう」
「そうか。よくやってくれた」
アーヴェントは労う言葉を掛けた後、ゾルンの方を向く。ゾルンも頃合いだと察し、アーヴェントの方に目を向ける。
「ゾルン、残りの使用人達に通達してくれ」
「心得ております。通達内容はいかがなさいますか?」
ラストもアーヴェントを見つめていた。彼は刹那、目を閉じる。そしてゆっくりと開くと言葉を口にした。
「命を奪わなければ、何をしても構わない。生け捕りにした賊には今夜起きた出来事は全て忘れてもらう。各自そのつもりで事に当たってくれ」
丸眼鏡の位置を両手で直した後、ゾルンが深く礼をする。ラストも同じ仕草をしてみせる。
「かしこまりました。我々はご主人様のご意思に従います」
その言葉を聞いたアーヴェントは背後の窓の方に目を向ける。空は晴れ、綺麗な月が夜の闇を照らしていた。
「満月か……いい夜だな」
そう呟いた彼が振り返ると先程までいたはずのゾルン達の姿は執務室の中にはもう無かった。
「俺も行くか……」
アーヴェントはゆっくりと椅子から立ち上がる。すると月明かりで照らされて出来た自らの影から無数の蝙蝠が湧き、彼の姿を包み隠す。蝙蝠達が何処かへと消えていくとそこにはアーヴェントの姿は影も形も見当たらなかった。
一方、その頃。屋敷から離れた場所にある林の中には黒いローブに身を包んだ者達の姿があった。ラストの報告通りの頭数だ。その中に一人だけローブの意匠が異なる者の姿があった。恐らくは賊に扮した犯罪集団の頭にあたる人物だろう。集団の中では『カシム』と呼ばれているようだ。最もそれが本名なのか知る者はいない。
「斥候、屋敷の様子をもう一度説明しろ」
灰色のローブを纏った斥候役の者が前に出てくる。
「はい。カシム様。屋敷に目立った動きはなく、日中も使用人達は普段通りに生活しています。屋敷の見取り図も既に皆には見せております」
「そうか。標的の令嬢が逃げ出した様子もないのだな?」
「はい。何も変わりはありません」
斥候役からの報告を聞いたカシムは笑みを浮かべると、他の者達に指示を出す。
「手筈通り、オレ達は賊に扮し屋敷を襲撃する。眠っている使用人達は一人残らず、息の根を止めろ。そして標的である青と赤の瞳を持つ令嬢をオレの元に連れてこい」
配下の者達が揃って頷く。
「行け……!」
カシムの合図で黒いローブの集団が斥候役の案内について屋敷へと向かっていく。
「まさか五年前の公爵の娘が標的とはな。まあ、事情など関係ない。この仕事を済ませれば莫大な金が手に入るんだからな……くくく」
邪な笑みを浮かべながらカシムも屋敷へと向かっていく。既に正門は開けられていた。
斥候役に続いて門を越えた者達の中から次のような声があがる。
―門に見張りの一人もいなかったな―
―ああ、不用心にも程があるぜ―
「こっちだ」
だが灰色のローブを纏った斥候役は何も気にしていないようだ。一人、先を歩き他の者を先導していく。屋敷の玄関付近にも人影はない。閉まっている扉の鍵を斥候役が開けてみせる。それを確認した者達は屋敷の中へと音を立てずに入っていく。
そこで他の者達は違和感を抱く。
―寝静まっているにしても人の気配を感じないぞ?―
―何かおかしくないか?―
皆、口々に呟いている。斥候役の者が振り返り、静かに言葉を口にする。
「問題ない。カシム様の指示通り、各自の持ち場につけ」
そう言うと斥候役は数人を連れて浴室の方へと向かっていった。それを見た他の者達も玄関ホールから散っていく。
最後に屋敷へと入ってきたカシムは目を細め、静まり返った屋敷の中を見つめていた。
「……」
屋敷の中は配下の者達に任せて、自分は一人玄関から外に出て行く。その後から異変に気付いた者達が各所で声を上げる。
―おい、使用人達の部屋には誰もいないぞ!?―
―それどころか、標的の令嬢も見当たらんっ―
―少なくても数日間は生活していた痕跡がないのは変じゃないか?!―
―斥候役はどうした!―
―もう既に配置についているからわからんっ―
―どこかに隠れているのかもしれん! 各自、持ち場について探せ!―
標的であるアナスタシアの寝室にもその姿はない。それどころか使用人達が暮らしている部屋を片っ端から確認するが一人として姿が見えない。皆、違和感を覚え焦りさえ感じ始めていた。
結局散り散りになり、主な場所を探すことにした。斥候役達が向かった浴室、車庫、中庭、厨房、食堂、宝物庫、そして当主の執務室だ。
この後、賊たちは地獄の一夜をその身をもって知ることになるのだった。
別邸の執務室にアーヴェントとゾルンの姿があった。二人とも真剣な面持ちをしている。そこにラストがノックをして入って来た。
「アーヴェント様、あちら側に動きがありましたわ。手練れ十数人が斥候役の元に集まっているようです」
一息ついたアーヴェントは机に両肘をつき、顔の前で手を組む。
「そうか。なら仕掛けてくるのは今夜ということだな。首尾はどうだ?」
ラストは一礼して笑みを浮かべる。いつもよりもどこか艶やかに見える。
「上々ですわ。私の可愛い子犬は餌を持ってこの屋敷に向かってくるでしょう」
「そうか。よくやってくれた」
アーヴェントは労う言葉を掛けた後、ゾルンの方を向く。ゾルンも頃合いだと察し、アーヴェントの方に目を向ける。
「ゾルン、残りの使用人達に通達してくれ」
「心得ております。通達内容はいかがなさいますか?」
ラストもアーヴェントを見つめていた。彼は刹那、目を閉じる。そしてゆっくりと開くと言葉を口にした。
「命を奪わなければ、何をしても構わない。生け捕りにした賊には今夜起きた出来事は全て忘れてもらう。各自そのつもりで事に当たってくれ」
丸眼鏡の位置を両手で直した後、ゾルンが深く礼をする。ラストも同じ仕草をしてみせる。
「かしこまりました。我々はご主人様のご意思に従います」
その言葉を聞いたアーヴェントは背後の窓の方に目を向ける。空は晴れ、綺麗な月が夜の闇を照らしていた。
「満月か……いい夜だな」
そう呟いた彼が振り返ると先程までいたはずのゾルン達の姿は執務室の中にはもう無かった。
「俺も行くか……」
アーヴェントはゆっくりと椅子から立ち上がる。すると月明かりで照らされて出来た自らの影から無数の蝙蝠が湧き、彼の姿を包み隠す。蝙蝠達が何処かへと消えていくとそこにはアーヴェントの姿は影も形も見当たらなかった。
一方、その頃。屋敷から離れた場所にある林の中には黒いローブに身を包んだ者達の姿があった。ラストの報告通りの頭数だ。その中に一人だけローブの意匠が異なる者の姿があった。恐らくは賊に扮した犯罪集団の頭にあたる人物だろう。集団の中では『カシム』と呼ばれているようだ。最もそれが本名なのか知る者はいない。
「斥候、屋敷の様子をもう一度説明しろ」
灰色のローブを纏った斥候役の者が前に出てくる。
「はい。カシム様。屋敷に目立った動きはなく、日中も使用人達は普段通りに生活しています。屋敷の見取り図も既に皆には見せております」
「そうか。標的の令嬢が逃げ出した様子もないのだな?」
「はい。何も変わりはありません」
斥候役からの報告を聞いたカシムは笑みを浮かべると、他の者達に指示を出す。
「手筈通り、オレ達は賊に扮し屋敷を襲撃する。眠っている使用人達は一人残らず、息の根を止めろ。そして標的である青と赤の瞳を持つ令嬢をオレの元に連れてこい」
配下の者達が揃って頷く。
「行け……!」
カシムの合図で黒いローブの集団が斥候役の案内について屋敷へと向かっていく。
「まさか五年前の公爵の娘が標的とはな。まあ、事情など関係ない。この仕事を済ませれば莫大な金が手に入るんだからな……くくく」
邪な笑みを浮かべながらカシムも屋敷へと向かっていく。既に正門は開けられていた。
斥候役に続いて門を越えた者達の中から次のような声があがる。
―門に見張りの一人もいなかったな―
―ああ、不用心にも程があるぜ―
「こっちだ」
だが灰色のローブを纏った斥候役は何も気にしていないようだ。一人、先を歩き他の者を先導していく。屋敷の玄関付近にも人影はない。閉まっている扉の鍵を斥候役が開けてみせる。それを確認した者達は屋敷の中へと音を立てずに入っていく。
そこで他の者達は違和感を抱く。
―寝静まっているにしても人の気配を感じないぞ?―
―何かおかしくないか?―
皆、口々に呟いている。斥候役の者が振り返り、静かに言葉を口にする。
「問題ない。カシム様の指示通り、各自の持ち場につけ」
そう言うと斥候役は数人を連れて浴室の方へと向かっていった。それを見た他の者達も玄関ホールから散っていく。
最後に屋敷へと入ってきたカシムは目を細め、静まり返った屋敷の中を見つめていた。
「……」
屋敷の中は配下の者達に任せて、自分は一人玄関から外に出て行く。その後から異変に気付いた者達が各所で声を上げる。
―おい、使用人達の部屋には誰もいないぞ!?―
―それどころか、標的の令嬢も見当たらんっ―
―少なくても数日間は生活していた痕跡がないのは変じゃないか?!―
―斥候役はどうした!―
―もう既に配置についているからわからんっ―
―どこかに隠れているのかもしれん! 各自、持ち場について探せ!―
標的であるアナスタシアの寝室にもその姿はない。それどころか使用人達が暮らしている部屋を片っ端から確認するが一人として姿が見えない。皆、違和感を覚え焦りさえ感じ始めていた。
結局散り散りになり、主な場所を探すことにした。斥候役達が向かった浴室、車庫、中庭、厨房、食堂、宝物庫、そして当主の執務室だ。
この後、賊たちは地獄の一夜をその身をもって知ることになるのだった。