吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~

88 フェオルです……ふふ、起きてるよ

 賊の一部、二人程の姿が屋敷の右奥に作られた車庫、つまりは馬車置き場にあった。その場所には屋敷の中からも行くことが出来、右奥に建てられた建物の中にオースティン家で使われる馬車が置かれていた。その更に奥には馬が管理されている厩舎(きゅうしゃ)がある。

「馬はいるようだな」
「ってことは馬を管理している奴もいるってことだな。どこかに隠れているに違いないな」

 賊の二人がニヤッと笑みを浮かべる。ここまで来るまでにいくつかの部屋を見てまわったが人の姿はなかった。だが、ここの近くにいると確信を持ったのだろう。

 すると馬車置き場に並べられた数台の馬車の影から、足音が聞こえてきた。

「おい……」
「ああ、どうやら当たりみたいだな」

 足音は小さいが馬車置き場の奥からこちらに向かって歩いてくるのがわかる。奥に置いている馬車の後ろから小さい人影が現れた。月明かりがその者を照らす。

「……」

 その小さい人影の正体は執事服を着た、あどけない少年だった。背中にはクマと思われるぬいぐるみを背負っていた。

「使用人のガキみたいだな……やっぱりオレ達はツイてるな」
「おい、ガキ。他の奴らはどこに隠れてるんだ?」

 二人の賊が余裕の態度でその少年に尋ねる。

「すぴぃ……」

 少年は立ったまま寝息を立てていた。

「こいつ、立ったまま寝てるぞ!?」
「おい! 何、呑気に寝てやがる!」

「寝てません」

 すっと軽く俯いていた頭をあげて少年がキリッとした態度で答える。

「いや、今絶対に寝てただろ!」

「ふざけやがって……だが、オレはお前みたいなガキをいたぶるのが好きなんだよなぁ。言うことの聞かせた方も心得てるんだぜ……!」

 賊の一人には子供をいたぶる趣味があるようで、取り出したナイフを構えると一気にその使用人の少年に近づいていく。

「……」

「へへへ、軽く刻んでやれば素直に言うことを聞くようになるってわけだぁ!」

 少年に近づき、間合いに入った賊がナイフを振り上げる。少年はそのナイフの切っ先をぼーっと見つめていた。

「痛い痛い、と口にするガキの悲鳴は気持ちいいからなぁ!!」

 と賊が口にした次の瞬間、目の前にいたはずの使用人の少年の姿が忽然と消える。振りかぶったナイフが空を斬る。背負っていたはずの眠った表情をしたクマのぬいぐるみだけが地面にポンっと落ちていた。

「おい、どうした?」
「が、ガキが目の前で消えやがった!」
「消えた? 何、馬鹿なこと言ってるんだ……お、おい! あそこ見てみろ!」

 様子を見ていた方の賊が馬車の屋根を指さす。ナイフで切り刻もうと思った賊が目を向けると、先程目の前で消えた使用人の少年の姿があった。馬車の屋根の上でうな垂れて座っているようだ。

「いつのまに、あんな所に……!?」
「何かの魔法なんじゃないかっ?」

 指を刺した方の賊が不安げに言葉を口にする。ナイフをもった方の賊はナイフを舐めると、興奮した様子で返事をする。

「距離を一瞬で移動する魔法なんて聞いたことがないぜ。多分、暗くてわからなかったが危ないと思って逃げたんだろ。オレも油断してたってことだ。だが、次はそうはいかないぜ」

 悪い笑みを浮かべながらナイフを持った賊がじりじりと少年が座っている馬車の方に近づいていく。そんな時、背後から声がした。

「ボクの大事な『人形』に傷をつけられるのは困るなぁ」

 馬車置き場には二人の賊と今、馬車の上にいる使用人の少年以外はいないはず。賊達もそれは理解しているようで、驚きの表情で後ろを振り返る。

 だが、そこにはこちらをあどけない瞳で見ているクマのぬいぐるみの姿しか見当たらない。はっきりと声が聞こえた気がしたが、空耳だったようだ。

「なんだクマの人形か……驚かせやがって」

 ナイフを持った賊が息を吐く。だが、もう一人の賊は黒いフード越しに冷や汗が浮かびあがっていた。何かに怯えているようにも見えた。

「なんだよ、どうしたんだ?」

「変じゃないか? ……あれ、あのガキが背負ってたクマの人形だろ?! さっきまで確かに()()()()()()よな?!」

その賊の言う通り、さっきまでクマのぬいぐるみは天井を向いたまま床に落ちていたはずだった。だが、どういうわけか今は立ち上がりこちらを見つめている状態になっている。これはあまりに変だ。更に奇妙なことに気付く。

「ど、どうなってやがる……人形の目は確か()()()()はずだろ?!」

 ナイフを持った賊もその奇妙な光景を見て動揺しているようだ。だが、さらに二人の賊は戦慄することになる。こちらを見つめる人形が瞬きをしたのだ。

『!?』

 驚いた賊達は固まっていた。

「瞬きくらいするさ。だって、ボクの本体はこっちなんだから」

 なんとそのクマのぬいぐるみは首を左右に動かし、右手を口元に添えて笑ってみせたのだ。その声は先程の執事姿の少年の声に似ているようだが少し甲高く聞こえた。

「ば、馬鹿な!? 人形が喋って動いてる?!」
「ゆ、夢でも見てるのかオレ達?!」

「察しの悪い人達だなぁ。だからぁ、さっきの執事姿の男の子の方が『人形』なんだってば」

 クスクスと笑いながらその小さなクマのぬいぐるみは、ゆっくりと賊二人の方にトコトコと歩いてくる。だが、賊二人は理解が追い付いていないようだ。

「改めて自己紹介をするね。ボクの名前はフェオル。『怠惰』を司る精霊だよ。もちろん……ボクもキミ達も起きてるよ」

「げ、幻影を見せる魔法かもしれないぞ!」
「精霊だと?! 馬鹿馬鹿しい! そんなクマの人形で大人をからかうな!」

 ナイフを持った賊がフェオルと名乗ったクマのぬいぐるみに向かって駆けていく。勢いで蹴り飛ばそうとしていた。だが、気づくと蹴りは不発に終わりクマのぬいぐるみの前で盛大に転んだ。

「な、何してるんだよ。真面目にしろよ?」
「?! 何だ、何が起きたんだ?」

「クスクス。ボクは『空間魔法』が得意なんだ。怠け者だから自分で動くは面倒だからね。さて、侵入者のキミ達にはお仕置きをしないとね」

 フワッとクマのぬいぐるみが浮き上がる。その様子を賊の二人は呆然と見つめていた。

「空間魔法? そんな魔法、聞いたことないぞ?」
「いやその前にほ、本当にクマの人形が喋ってるっていうのか!?」

「さて、じゃあお仕置きするね」

 ポンっと可愛い両手を合わせるとクマのぬいぐるみと賊二人の姿が馬車置き場から消える。

「な、何が起こったんだ」
「ど、どこだここは……って一体どうなってやがる!?」

 辺りを二人の賊が見渡す。すると先程までいた馬車置き場の屋根が遥か眼下に見える。二人はその上空に浮かんでいたのだ。

「クスクス。高いよねぇ。ねえ、今どんな気持ち?」

 キャッキャと子供のように目の前にクマのぬいぐるみが笑いながら浮いていた。信じられない光景に賊二人は戦慄する。

「あ……あ……これは悪い夢なんだ……」
「おい、クソ人形! 早くオレ達を降ろせ!!」

 一人は顔に手を当てて身体を震わせている。ナイフを持った方は錯乱している様子であどけなく笑うクマのぬいぐるみに向かって文句を口にしている。

「いいよ。降ろしてあげる」

 クマのぬいぐるみは再び両手を合わせる。すると浮き上がっていた身体が真っ逆さまに馬車置き場の屋根めがけて落下していく。二人の賊の絶叫が響き渡る。

「まあ、これくらいでいいかな」

 屋根に直撃する寸前にクマのぬいぐるみは三度ポンっと両手を合わせる。すると二人の賊は最初にいた馬車置き場の床に気を失って倒れていた。そこにトコトコとクマのぬいぐるみの姿をしたフェオルが近づいて来た。

「本当はそのまま屋根を突き破ってもらっても良かったけど、ご主人様のご命令じゃ仕方ないよね。まったく、ボクを大切にしてくれるアナスタシア様に酷いことをしようとするからこんな目に合うんだよ。でも……言われた仕事もこなせないなんてボクよりもずっとキミ達のほうが『怠惰』かもね」

 手を口元に添えてフェオルがクスクスと笑う。気絶している二人を可愛い手で掴むと一瞬で姿が消える。と思ったら屋根の上に置きっぱなしになっていた『人形』の傍に姿を見せる。

「あはは。『人形』忘れちゃった。ちゃんと持ってかないと、戻れない所だったよ」

 その後、誰もいなくなった馬車置き場は静けさを取り戻すのだった。
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