若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!
 
 執務室を出たカレンは、自室へ向かってとぼとぼと歩いていた。
 ジョンズワートとまともに話さなくなって、8年ほど経つ。
 カレンは新しい道へ踏み出そうとしていたし、ジョンズワートにだって、大切な人がいるはずだ。
 すっかり疎遠にはなっていたが、カレンも、ジョンズワートとサラが仲睦まじげに話す姿を見たことがあった。
 カレンと一緒にいるときの彼はいつも優しくて。柔らかに微笑んでいることが多かった。
 しかし、サラと話しているときは様子が違い。もっと表情豊かで、二人の親しさが伝わってきた。
 きっと、サラに対しては、カレンにしていたように取り繕う必要がないのだ。
 父を亡くした彼を支えたという話も、本当なのだろう。
 二人の仲についての話はただの噂だと、自分の父親は言っていたが……。カレンは、どうにも納得できなかった。
 
 ジョンズワートはサラを選ぶものだと思っていた。
 なのに、どうして自分に結婚を申し込んだのか。
 だっておかしいのだ。もう8年もまともに接していないし、ひどい言葉で彼を傷つけたことだってある。
 普通に考えたら、こんなにも長い月日、ろくに話していなかったら別の道を考え始めるはずだ。
 ジョンズワートの家柄、見た目、性格、どれをとっても、相手なんて選び放題でもあって。
 ジョンズワートがカレンを選ぶ必要など、ないのだ。
 思い当たることといえば――

「……」

 カレンは、自分の額にそっと触れた。
 ジョンズワートと乗馬をした際に負った傷は、まだ消えていない。
 髪の毛で隠せる位置ではあるが、触るとかすかな膨らみを感じる。
 もしかしたら。彼は今も、カレンに傷を作ったことを気にしているのかもしれない。

「……そんな必要、ありませんのに」

 ふと横を見れば、廊下の窓に映る自分の姿が見えた。
 窓に近づき、前髪を分ける。あのときついた傷跡は――今もそこにあった。
 鏡ではなく、窓に映るほどに、はっきりと。
< 22 / 210 >

この作品をシェア

pagetop