若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!
執務室を出たカレンは、自室へ向かってとぼとぼと歩いていた。
ジョンズワートとまともに話さなくなって、8年ほど経つ。
カレンは新しい道へ踏み出そうとしていたし、ジョンズワートにだって、大切な人がいるはずだ。
すっかり疎遠にはなっていたが、カレンも、ジョンズワートとサラが仲睦まじげに話す姿を見たことがあった。
カレンと一緒にいるときの彼はいつも優しくて。柔らかに微笑んでいることが多かった。
しかし、サラと話しているときは様子が違い。もっと表情豊かで、二人の親しさが伝わってきた。
きっと、サラに対しては、カレンにしていたように取り繕う必要がないのだ。
父を亡くした彼を支えたという話も、本当なのだろう。
二人の仲についての話はただの噂だと、自分の父親は言っていたが……。カレンは、どうにも納得できなかった。
ジョンズワートはサラを選ぶものだと思っていた。
なのに、どうして自分に結婚を申し込んだのか。
だっておかしいのだ。もう8年もまともに接していないし、ひどい言葉で彼を傷つけたことだってある。
普通に考えたら、こんなにも長い月日、ろくに話していなかったら別の道を考え始めるはずだ。
ジョンズワートの家柄、見た目、性格、どれをとっても、相手なんて選び放題でもあって。
ジョンズワートがカレンを選ぶ必要など、ないのだ。
思い当たることといえば――
「……」
カレンは、自分の額にそっと触れた。
ジョンズワートと乗馬をした際に負った傷は、まだ消えていない。
髪の毛で隠せる位置ではあるが、触るとかすかな膨らみを感じる。
もしかしたら。彼は今も、カレンに傷を作ったことを気にしているのかもしれない。
「……そんな必要、ありませんのに」
ふと横を見れば、廊下の窓に映る自分の姿が見えた。
窓に近づき、前髪を分ける。あのときついた傷跡は――今もそこにあった。
鏡ではなく、窓に映るほどに、はっきりと。