新そよ風に乗って 〜憧憬〜
思い描いていた楽しい食事とは裏腹に、それは苦痛にも似た空間にいるようにも感じられて、高橋さんと食事に行ったことを少し悔やんでいると、もう私の家の前に着いてしまった。
高橋さんがサイドブレーキペダルを踏み込むと、何時もなら直ぐに運転席から降りて助手席のドアを開けてくれるのだが、今日に限って高橋さんは運転席に座ったままだった。
ああ。
きっと、高橋さんも私と一緒に居るこの空間が苦痛なのかもしれない。早く、車から降りなくては。
「お、送って下さって、ありがとうございました。おやすみな……」
自分で助手席のドアロックを解除して、挨拶をして車から降りようとドアの方を向こうとした時、高橋さんの左手が私の右腕を掴んだ。
な、何?
「辛いか?」
エッ……。
あまりにも唐突な言い方だったけれど、それは穏やかで優しい口調だった。
「俺のせいなんだろう?」
高橋さんは視線を落とし、私の右腕を静かに離した。
「い、いえ……そんなことないです。ご馳走様でした。送って下さって、あり……」
嘘。
私の言葉を途中までしか聞かずに、高橋さんは運転席から降りて助手席側へ廻ってドアを開けてくれた。
きっと、あまり触れて欲しくなかったんだ。敏感に感じ取る高橋さんだから、私の態度からそういう雰囲気を読み取って、それが余計に高橋さんを苦しめてしまう結果になって……気をつけなければ。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら車から降りたが、それは社交辞令のような会話で高橋さんとの間には大きな壁の隔たりを感じてしまう。でも、仕方のないこと。自分が望んだことなのだから。
「送って下さって、ありがとうございました。おやすみなさい」
「おやすみ」
高橋さんを見上げると、高橋さんもまた私を見ていた。
ごく普通に、今までと変わらない挨拶だったのに……。
でも、何故かお互い視線を交わしたまま、いつまでも外すことが出来ないでいる。
すると、高橋さんが私の右頬に左手で包み込むようにそっと触れたので、無意識に目を瞑ってしまった。
「正直に、言ってごらん?」
「高橋さん……」
ああ、駄目だ。
幾ら取り繕うとしても、高橋さんには何でもお見通しなんだ。
優しい言葉を、掛けないで。
そんな温もりを、直に感じさせないで。
「ん?」
言ったらいけない。
ここで言ってしまったら、余計に辛くなる。
「私は……」
言ったら、駄目。
でも、もう我慢出来なくなっていた。
「私は、何時まで待っていればいいんですか?」
ハッ!
言ってしまった。
どうしよう……。
絶対、聞いてはいけないことを聞いてしまった。
「あ、あの……ああ。そ、その……ごめんなさい。何でもないです。すみません。忘れて下さい。お、おやすみなさい」
これ以上、突っ込まれたら大変なので、急いでマンションの入り口へと走り掛けたが、またしても高橋さんに腕を掴まれてしまった。
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