新そよ風に乗って 〜憧憬〜
「待てよ」
「は、離して下さい」
「言い逃げは、許さない」
「高橋さん……」
高橋さんに掴まれている手を振り解こうと、必死だった。
「もう、ま……」
「苦しくても……」
お互いの声が、同時に重なった。
エッ……。
高橋さん。
今、何て言ったの?
私の腕を掴んだまま、高橋さんも私の顔をジッと見ていた。
「あの……」
私の声に高橋さんも我に返ったのか、視線はそのまま私を捉えていたが、掴んでいた腕を離してくれた。
「本当に、ごめんなさい。こんなこと、言うつもりはなかったんです。高橋さん。私は、平気ですから気にしないで下さいね」
高橋さんは、苦笑いを浮かべている。
「おやすみ」
「えっ? あっ。お、おやすみなさい」
運転席側に廻って高橋さんは車に乗り込むと、そのまま1度も振り返ることなく走り去って行った。
さっき、高橋さんは何を言おうとしていたんだろう。
『もう、ま……』 の後は、何を言いたかったんだろう。
結局、何も言ってくれなかった。
でも、聞かない方が良かったのかな。
だけど、気になる。やっぱり、ちゃんと聞き返せば良かった。でも……。
そんな悶々とした気持ちになりながら、いずれにしても後悔の念でいっぱいの週末を過ごしていた。

それからというもの、毎週金曜日は部内旅行の打ち合わせで、佐藤君と仕事が終わってから過ごすことが当たり前のようになっていて、7月、8月に入るとみんなの夏休みもあって、そのフォローで忙しかったりしてなかなか打ち合わせする時間も合わなくなり、金曜日以外でも打ち合わせをする日が多くなっていた。
11月の旅行のことを、3ヶ月以上も前から話をしているので、まだ切羽詰まってないから緊張感もなくて先延ばしにしてしまうことも多いのだが、9月、10月初旬は決算で佐藤君も私もまったく動けなくなる。8月のお盆明けから、今のうちに何とかしないといけないと思い、かなり頑張って催し等の計画を練った。
あの日以来、高橋さんとは、たとえ旅行の打ち合わせで残っていて帰る時にまだ高橋さんが残っていたとしても、一緒に帰ることも、無論食事に行くことすらまったくなくなっていた。
それもあって、必死に寂しさを紛らわすために仕事や旅行の打ち合わせに没頭して、好きな人に会いたくても会えない人のことを考えたら、会社では高橋さんに会えるのだから恵まれていると自分に言い聞かせて、萎えそうになる気持ちを奮い立たせていた。
そんなまだまだ残暑が厳しい、8月最後の週の金曜日。仕事が終わってから、佐藤君と旅行の打ち合わせをすることになっていた。
そして、この打ち合わせが終わったら、もう決算に入るので10月中旬過ぎまでは部内旅行の打ち合わせも出来なくなる。そのため、今日はもう早めに部屋割りなどを決めてしまおうと、普段の打ち合わせより長くなるかもしれないから、食事をしながらにしようということになり、会社の近くの居酒屋でやることにした。
< 122 / 311 >

この作品をシェア

pagetop