新そよ風に乗って 〜憧憬〜
そんな話をしていたんだ。
悪いけれど、聞いていなかった。
「あっ。ああ……そ、そうだったわね。でも、大丈夫だから。次の駅で、もう降りてくれて……」
「何、言ってるんだよ。もう乗っちゃったんだから、家まで送るよ」
「でも……」
結局、佐藤君は最寄り駅まで来てしまったので、もう此処でいいからと何度も断ったのだが佐藤君は家まで送ると聞かず、私が折れて一緒に駅からの道程を歩いている。
しかし、歩きながら会話はしていても、あまり話す気になれなくて佐藤君が1人で喋っていた。
佐藤君には申し訳なかったが、今の私の頭の中は高橋さんでいっぱいだった。
金曜日。
高橋さんは、今頃何をしてるのかな?
週末だから、明良さん達とキャトルにでも行ってるのかな?
それとも、あの落ち着く私の好きなソファーに座って、テレビでも見ていたりして……。でも、きっと高橋さんのことだから、パソコンに向かって仕事をしているのかもしれない。
仕事をしている時の高橋さんが、1番格好いいんだ。
頭の中が、そんな高橋さんでいっぱいになっていたら、いつの間にか見慣れた景色の自分のマンションの前まで来てしまっていた。
「あっ。此処だから、佐藤君。送ってくれて、ありがとう。本当に、わざわざごめんね」
「此処なの?」
そう言うと、佐藤君はマンションを見上げた。
「うん。それじゃ、気をつけて帰ってね。あっ。駅までの帰り方、分かる?」
「えっ? ああ……うん。大丈夫だから、心配ないよ。もう、早く入って、入って」
「うん。それじゃ、おやすみなさい」
佐藤君に別れを告げて、マンションに入ろうとした。
「矢島さん!」
その声に振り返ると、佐藤君は歩き始めて出来た私との距離を縮めるように、こちらに向かって歩いて来て目の前に立った。
身長こそ高橋さんよりは低いが、きっと175cm以上はあるかもしれない。結構、目線に差が出来る。
「やっぱり、駅までの道が分からな……」
「辛いんじゃないの?」
エッ……。
な、何で、そんなことを言うの?
佐藤君に言われた瞬間、あの晩、高橋さんが言った言葉と被ってしまっていた。
「辛いか?」
そう、高橋さんに言われた言葉。
その響きが、佐藤君の言葉と重なる。
「俺で良ければ、何時でも聞くよ」
「佐藤君……」
佐藤君が一歩前に出て、私に近づいた。
よく分からない感情が込み上げてきて、涙で見上げた佐藤君の顔が歪んで見える。
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