新そよ風に乗って 〜憧憬〜
中原さんの彼女が迎えに来ていて一緒に帰ってしまったから、思いがけず高橋さんと2人っきりになってしまったが、今頃になってそれがとんでもないことになってしまったと思えてきて、更に緊張感が高まり、途中殆ど会話はなかった。
しかし、ずっと黙ったままではいけないと思い、信号待ちの時に高橋さんに声を掛けた。
「あの……何処に行くんですか?」
「ん? ひみつぅ」
ひ、ひみつぅって、何?
高橋さんは、そう言うと悪戯っぽく笑った。
何日ぶりだろう?
ううん、何ヶ月ぶりかもしれないと感じてしまうぐらい、久しぶりに見る大好きな高橋さんの笑顔だった。
高橋さん……。
本当に、何処に行くつもりなんだろう?
不安で張りつめた気持ちから、また沈黙してしまう。
すると、程なくして高橋さんが車を駐車場に入れた。
此処は……。
「着いた」
あれ? 
何だろう。気のせいか、高橋さんの機嫌がいいように感じられる。
先に降りて、助手席のドアを開けてくれた。
「ありがとうございます」
バッグを持って車から降りると、9月の夜はまだ残暑が残っていてエアコンの効いていた車から降りた途端、独特の蒸し暑さから来る空気が肌をベタつかせる。
「行こう」
「はい」
少しだけ歩いて向かった先は……。
そこは、キャトルだった。
「久しぶりだな」
「えっ?」
高橋さんはひと言そう言うと、お店のドアを開けた。
お店のドアを開けると、何時付いたのだろう? 前とは違うベルの音が鳴って、マスターがこちらを向いた。
高橋さんが、先に私をお店の中に入れてくれる。
キャトルに来るのは、あの時以来。
ミサさんへの想いを語ってくれた、あの日。
向き合える時が来たらと言ってくれた、あの時……。
『まだ、少し時間は掛かるかもしれないが、その時が来たらちゃんとお前に向き合いたい』
高橋さん……。
「あっ、高橋さん。いらっしゃい。矢島さんも、ご一緒で……いらっしゃい」
「こんばんは」
相変わらず、マスターはダンディな雰囲気を醸し出している。
金曜の夜でお店は少し混んでいたが、いつも座る席は決まってカウンターだったので、今日も何も言わなくてもマスターは、カウンターの席にコースターとおしぼりを2つ置いてくれている。暗黙の了解で、此処にどうぞという意味だ。
おしぼりの置かれた席に座ろうとして、高橋さんが椅子を引いてくれた。
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