新そよ風に乗って 〜憧憬〜
高橋さんがマグカップをテーブルの上に置いて、落ち着かない私を椅子から立たせると、そっと私の右手を握ってゆっくりと歩き出した。
高橋さんに、手を握られている。
どうしよう……足が震えて、上手く歩けない。
一歩一歩、近づいていく。
おかしいな。知りたかったはずなのに。
1度、見てみたかった。
どんなに、開けたかったか。
そして、どれほど中に入ってみたかったか。
でも、やっぱり怖くてそれは出来なくて……。
高橋さんの部屋に来る度に気にはなっていたけれど、半ば諦めていた。私には、見せて貰えないと思っていたから。でも、何時か見せてくれる日が来るかもしれないという、淡い期待を持っていたのも確か。そんな、計り知れない思いでいっぱいだったのに。それなのに、いざ目の前にすると、見てはいけないような罪悪感に駆られてこの場から逃げ出したい気分になっている。
そう……。
どこか部屋の感じが違っていたのは、あの部屋のドアが開いていたから。
そして今、まさにその部屋に向かって高橋さんに手を引かれている。
高橋さんは、私に何を?
自然と足取りが重くなってしまい、高橋さんの顔を斜め後ろから見上げていたが、とうとう1番奥の部屋の前まで来てしまった。
すると、高橋さんが握っていた手に力を込めた。
「フッ……情けないな。ガキみたいに、緊張してきた。俺がテンパッて、どうするんだよ」
隣に立って居る高橋さんが前を向きながら呟いたが、その表情が何だか少年のように見えて、普段はとても大人で遠い存在の高橋さんが、今だけはいつもより身近な存在に感じられた。
そんな見上げていた私の視線に気づいたのか、高橋さんが首を私の方に傾け、声にこそ出さないがこちらに問い掛けるような表情をして見せた。
「あの……」
「ん?」
「や、やめましょう。高橋さん。そんなに無理し……」
エッ……。
いきなり高橋さんが、私を抱きしめた。
「いいんだ。お前だって昨日の夜、俺にちゃんと向き合ってくれた。今まであんな風に、きちんと自分の意見を俺に言ったことなんてなかっただろう? だから、俺も前に進まなきゃいけない。お前に、応えたい」
「高橋さん……」
正直、驚いている。
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