二人でお酒を飲みたいね。
 高校を卒業する頃だった。 「おい、高木 今夜は暇か?」
先輩の市原和人が声を掛けてきた。 「暇だけど何か有るんですか?」
「お前にさ、紹介したい人が居るんだよ。」 「紹介したい人? もしかしてバンドのやつですか?」
「いやいや、女の子だ。」 「女の子? 俺にっすか?」
 あの当時の俺はバンドマンに憧れていた。 ドラムとベースとキーボード、それにギターとボーカル。
ついでにサックスも欲しいな。 そんな夢を追い掛けていた。
 ところが先輩が紹介したのは勝田康子だった。 ごく平凡な、それでいて存在感が有る女の子。
 「まあ、お前だっていきなりじゃ大変だろうからまずは友達になれ。 なあ、高木。」 「え、ええ。」
「なんだ、煮え切らないやつだなあ。 しっかりしろよ。」 そんな俺を見て康子がクスッと笑った。
 「いいか。 康子ちゃんはなあ、家庭的な女の子だぞ。 泣かすようなことが有ったら俺が承知しねえから覚えとけよ。」 あの仁王様みたいな顔で睨まれて以来、俺たちは付き合い始めたんだ。
 俺は大学にも通った。 その間、康子はデパートで働いていた。
大学を卒業した時、俺は初めて康子の親父さんに会った。 「お前が高木か。 似合わねえ男だな。」
一目見ただけで親父さんは奥へ引っ込んでしまった。 「どうしたら、、、?」
「お父さんは一度決めたら変えない人なのよ。 難しいわね。」 お母さんだって困り果てていた。

 大学を卒業した後、俺は田村に就職した。 営業部で朝から晩まで走り回る日々が始まったんだ。
当時は田村社長の時代でね、出社すると全員で社訓を暗唱した。 そして社歌を歌って出発するんだ。
 「いいか。 お客さんに会ったら1に挨拶、2に笑顔だ。 忘れるなよ。」 先輩からも連日叩き込まれた。
 9時に出発して仕事を終わるのは夜8時を過ぎてからだ。
当時は時間外労働とか残業がどうとかいう考えは無かったな。 兎にも角にも汗だくになるまで働いた。
 日曜日だって配達の予約が有れば飛んで行った。 作業着のまま布団に潜り込むことも珍しくは無かったよ。
 社長は月末になると頑張った社員を集めて飲みに行った。 俺も時々は呼ばれたかな。
その時、社長の傍に居たのが沼井のお父さんだ。 田村社長より先に死んでしまったがね。
親父さんが死んだ後、沼井は頭角を現してきた。 それで最側近に見込まれたんだね。
 彼は物静かで事を荒げるのが嫌いな男だ。 交渉事と言えば真っ先に飛び込んで地均しをした。
だから田村社長は彼が整えた話を受けていれば良かったんだ。

 ところが娘の代になると沼井のやり方は敬遠されるようになった。 トップが自ら乗り込んで行って交渉するんだって由美子は言い張った。
そして取締役も沼井を小遣いさんのようにこき使った。 それがうまくいくはずも無く、会社は傾いたんだ。
 10年ほどして由美子は耐えきれなくなって辞表を提出した。 そこで取締役が沼井を担いだわけだ。
そのままで今に至っている。 この先、どうなるんだろうねえ?
 その間、俺はずっと営業部だった。 夜になって康子と会ったことも有る。
親父さんは最後まで俺を認めようとはしなかった。 そこで葬式を済ませてから婚姻届けを出したんだ。
お互いに35歳になっていた。 ずっと一途で居られたんだよね。
 働き通しだった俺と康子の結婚を田村社長も喜んでくれて、「知り合いが一軒家を貸してくれるそうだよ。」って言ってくれたんだ。
それが今も住んでいるこの家さ。 長いもんだよ。
 20年前はまだまだこの辺りも賑やかだった。 パチンコ屋が在ったくらいだから。
でも寂れたのは早かったなあ。 パチンコ屋の店長が悪さをして捕まって店が潰れたら一瞬だった。
 再開発の話も有ったんだけどさ、高齢者ばかりの町だ。 金を掛けるだけの価値は無いって判断されたんだよ。
以来、令和に取り残されたレトロタウンになっちまったってわけ。 悲しいなあ。
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