二人でお酒を飲みたいね。

第2章 揺れ動く人々

 やがて居眠りをしていた俺はアラームの音でハッとした。 「もう、こんな時間か。」
45分前である。 駅前まではタクシーで20分くらいだから慌てることは無い。
さっさと身支度を整えてタクシーを呼ぶ。 このご時世、流しで捕まるタクシーは走っていない。
玄関に鍵を掛けてホッとした顔でタクシーに乗り込む。 今夜の運転手は不愛想である。
ラジオからは野球中継が流れている。 珍しく広島ファンの俺は一瞬耳を澄ませた。
でもどうやら違うようである。 はやる気持ちを抑えながらもどっか沈んでしまう。
夕方のラッシュはこれからだ。 行き交う車も家路を急いでいるのだろう。
駅前通りは昔ほどではないが、それでも賑やかである。 裏に回ればシャッター街なんだけどな。
 タクシーを降りて歩道を歩いていく。 この辺は康子とも歩いた道だ。
何処かで出くわさないかとハラハラもする。 一人なら言い訳も出来るけれど、会社の女が連れでは、、、。
店の前に来るともう烏賊の焼ける匂いが漂っていて何もしなくても胃袋がグーグー音を立てているのが分かる。
新入社員の歓迎会だろうか、スーツ姿の五人組が中へ入っていった。 もじもじしながら表に立っていると、、、。
「ごめんなさいねえ。 待ったでしょう?」という元気な声が聞こえた。 会社から直行したのだろう。
尚子はあの日と同じくスーツ姿である。 駅前では着替える場所も無い。
 「さあ、入りましょう。」 香水の爽やかな香りが鼻を擽った。
今夜も俺たちが落ち着いたのは一番奥のボックスだ。 「今日は人が多そうだったから空けておいてもらったんです。」
尚子は座るなりメニュー表を開いた。 「高木さんもビールでしたよね?」
「ああ、そうだ。」 「じゃあ、今夜は餃子とか焼き鳥とかランダムにお願いしましょうね。」
やっぱり尚子は何処か嬉しそうだ。 やっと花が開いたって感じかな。
ビールを飲みながら隣のボックスに目をやると、先ほど見掛けた五人組である。 乾杯しながら盛り上がっている。
俺はまた昼の話を思い出した。 そして尚子の顔を覗いた。
「全てを奪い尽くされたいんですよ 女って。」 そうなんだろうな、、、。
妊娠も命懸けなら出産も命懸けだ。 男には分からない。
いつだったか、友達が言っていた。
「出産の時の女ってのはすごいもんだ。 生まれるまでは痛い痛いって病院中に響き渡るような声で叫んでいる。
産まれたかと思ったら今度はオエーオエーって腹の中の物を全部吐き出す勢いでもがいている。 男には想像も出来ないよ。」って。
 そりゃあ、一年近く腹の中に赤ん坊を宿してるんだ。 考えただけで怖くなるよ。
でもさ、腹が大きくなってきても変わらないよね。 いつもいつも「可愛い子だねえ。 元気に生まれてくるんだよ。」って腹を撫でながら声を掛けてる。
男には真似できないよ。 俺がそうだったら早く殺してくれって喚いてるかも。
 尚子は焼き鳥を食べながら満足そうな顔をしている。 初めての彼氏なんだもんなあ。
「高木さんって奥さんとこの店に来たこと有るんですか?」 「ぎく、、、。」
「あ、有るんだ。 いつ頃ですか?」 「半年くらい前かな。」
「へえ、たまに会ってるんですか?」 「たまたま見掛けたから飲んだんだよ。」
「そっか。 たまたまか。」 俺の言葉を反芻しながら尚子は納得した。
今夜もビールが進んでいる。 ストレスでも溜まってるのかな?
でもそれから他愛の無い話をしている。 野球は何処のファンかとか、旅行するなら何処に行くかとか。
不思議なもので尚子と飲んでいると時間が経つのも忘れてしまう。 幸いにも食べ放題ではないからいいんだけれどね。
 ラストオーダーの声が聞こえた。 その頃には尚子はすっかり出来上がっている。
俺は最後にシシャモを食べてからレジへ行った。 「ありがとうございます。 またいらしてくださいね。」
店員に見送られながら店を出る。 呼び付けたタクシーに二人で乗り込む。
尚子は夢の中である。 俺にもたれかかって幸せそうな寝息を立てている。
(さてさて、今夜は酔っちまったな。 明日が大変だぞ。) 深夜の駅前通りは殺風景なくらいに静かである。
行き交う車もほとんど無い。 たまに配車係の無線が聞こえるくらいである。
最近では運転手が要求するとナビデータが転送されてくるらしい。 便利なご時世だね。
15分ほど走ると我が家に着いた。 尚子も何とか自分で歩いてはいるが、どうもぎこちない。
体を支えながら歩いている俺も間違いなく二日酔いだ。 家に入ると尚子を上り口に座らせてから施錠する。
何が起きるか分からないからねえ。 酔っていたんじゃ守れないよ。
鍵を掛けたら尚子を寝室に連れていく。 やっと敷いた布団に寝かせるとそのまま俺も潜り込んで寝てしまった。

 翌朝は二人揃って起きれなくて、、、。 やっと目を覚ましたのは昼だった。
それでも頭が痛くてお茶を飲むのが精一杯。 どういう言い訳をするかって話し合っている。
「俺は腹を壊したことにするから、尚ちゃんは親戚の法事でってことにしたら?」 「そうですねえ。 二人で飲んでたなんて言えませんからねえ。」
苦笑いしながら二人で電話を掛ける。 会社からは何度か電話が掛かっていたようだ。
電話を切ってからテーブルに落ち着く。 でもなんとなく気分が冴えない。
「あんなに飲んだのは初めてですよ。 友達と来たってあそこまでは飲まないのに、、、。」 「嬉しそうだった門奈あ。」
「そりゃそうですよ。 大好きな高木さんと飲んでるんだから。」 「ほんとに好きなんだね?」
「そうです。 このまま死んでもいいくらい。」 「おいおい、、、。」
尚子は腕にもたれてくる。 でありながらワイシャツの皺を気にしている。
(これからは休みの前の日にしなきゃな、、、。) 俺はそう思った。
 ぼんやりしていても頭が痛くて二人とも布団に寝転がっている。 (襲ってもいいのになあ、、、。)
尚子はそう思ったが、こう頭が痛くてボーっとしていては絡む気になれないらしい。
あっちへコロコロ、こっちへコロコロ、寝返りをしては互いの顔を見て吹き出しそうになる。 変なもんだ。
「ねえねえ、スカート捲くれてるよ。」 そっと指差してみる。
「あら、嫌だわ。 高木さん そんなこと言わないでよ。 恥ずかしいでしょう?」 「言ったほうがいいかと思ってさ。」
「そんな時は抱いてからそっと直すもんですよ。 無暗に気付かせるもんじゃありません。」 苦笑しながら尚子は捲くれ上がったスカートを直してみる。
露になった太腿を見た時、俺はまたまた昨日の言葉を思い出した。
無我夢中で絡んでいた時、確かに俺は尚子を奪いたいと思っていた。 このまま一緒に暮らしたいとも思った。
でも熱が冷めてみるとやっぱり康子の姿を思い出しているのである。 あいつも絡んでいる時は我を忘れたように燃えていた。・
これ以上の満足は無いという顔で俺を見ていたっけ。 それでもまだまだ本当の満足には至っていなかったのか?
尚子の言葉を借りればそういうことになる。 分からないもんだ。
(奥まで奪い尽くして。、、、、か。 何処まで行けば奥まで辿り着けるんだろうね?) 俺には分からなかった。
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