二人でお酒を飲みたいね。
尚子は事件をテレビで知った。 飲んでいた店の奥で点けられていたテレビはニュースを伝えていた。
「尚子ちゃん、高木さんが刺されたんだって。」 「大丈夫かな?」
「救命センターに運ばれたって言ってたわね。 危ないかも。」 「そんなこと言わないで。」
尚子は飲み掛けのビールを残してすっ飛んで行った。 他の人たちも唖然とした顔で見送っている。
(高木さんにもしものことが有ったら、、、。) 急いでタクシーを拾った彼女は丸一の前へ走った。
事件現場はまだ騒然としている。 栄田たちより後に着いた人たちは何が起きたのか理解できないでいる。
警察の取り調べが始まった。 丸一も営業を休みにした。
管理部の人たちは二度三度と取り調べを受けてうんざりしているようだ。 それにしてもなぜ高木が?
疑問も晴れないままに彼らは散っていった。 現場には尚子一人が残された。
「尚子ちゃん、、、。」 そこへ駆け寄ってきたのは初枝だった。
「柳田さん、、、。」 「高木さんは大丈夫よ。 助かるわ。」
「でも、、、。」 「あなたが心配してどうするの? 心配したって高木さんは、、、。」
初枝もどうしたらいいのか分からない心境である。 今は慰めるしかないと思った。
「どっかでゆっくり話しましょう。」 そう言って初枝はタクシーを拾った。
康子は休暇を取って俺の傍に居た。 意識が戻らない時も変わらずに傍に居た。
時々は手を握り、顔を覗き込んだ。 そしてまたソファーにもたれるのである。
(私はやっぱり愛していたんだわ。 じゃなかったらここまで来ないわよ。 別れてるんだし、関係無いって言えば通り過ぎることも出来たはず。 なのに出来なかった。 私は、、、。)
結婚当初の思い出が蘇ってくる。 楽しそうにコーヒーを飲みながら笑っていた高木の声が聞こえる。
静かに酒を飲みながら話し合ったことも。 私がジュースを飲んでいても怒らなかったことも。
(何で私たちは別れたんだろう? 嫌いでもなかった。 仲も悪くはなかった。 だけど別れたんだ。 何で?)
今更の後悔が胸に溢れてくる。 彼女は泣いた。
物音もしない部屋で泣き疲れるまで泣いた。 そして俺の傍で眠りに落ちていった。
本当は何処までも愛しい女だった。 それが俺には分からなかった。
だから離婚届を差し出された時、迷いもせずにサインした。 そんな二人が同じ空間に居る。
目覚めた時、目の前に彼女の顔が有った。 何とも幸せそうな顔だった。
愛する男のために懸命に尽くしている女がそこに居た。 「康子、、、。」
「顔色が良くなったわね。 心配したわよ。」 「ありがとう。」
「初めてね。 あなたがお礼を言ってくれたのは。」 「そうだったか?」
「これまでは何が有っても何をしてもお礼なんて言わなかった。 それでもいいって決めて傍に居たの。」 「そうか、、、。」
「無理しないで。 まだまだ傷も完全じゃないから。」 そして康子は俺の手を握った。
初めて感じた優しい手だった。
柳原の取り調べは続いた。 彼が刺したのが管理部の人間ではなかったことを告げられた時、柳原は崩れ落ちた。
「あいつじゃなかったのか、、、。」 「あいつって誰だよ?」
「弟を死ぬほどに馬鹿にしていた小田悟だ。」 「じゃあお前はそいつを?」
「そうだ。 小田さえ居なければ弟は自殺なんかしなかったんだ。」 「でもね、小田を殺したからって弟さんは喜ばんよ。」
「それは分かってる。 だけどな、、、。」 彼は苦しんでいた。
入社以来、弟はペットとしか思われていなかったこと、そして男たちのおもちゃにされていたこと、管理部に移ってからはお茶汲みしかさせなかったこと、いろんなことを思い出したからだ。
「兄ちゃん、俺はどうすればいいんだ? 辞めたくても辞められない。 働きたくても働けない。 行けばいつもおもちゃにされるんだ。」
ただ、からかわれるだけじゃない。 跪いて舐めさせられるんだ。 それを見ながら他の男たちは笑っていた。
弟にとっては生き地獄以下の会社だった。 その同僚を殺して何が悪いんだ?
柳原健太は苦しみ抜いて何度も首に紐を巻いた。 だが死ぬことは出来なかった。
意識を失いかけた時に弟が現れるのだ。 「死んじゃダメだよ。 死んで苦しむのは俺だけでいい。」
あいつにはまだ嫁さんも子供も居なかった。 話せるのは俺だけだった。
そんな弟が俺を止めに来るんだ。 でもだからって、、、。
柳原は揺れ動いていた。 そして弟が残していた日記を警察に差し出した。
そこには生々しい虐めの実態が書かれていた。 関わっていた人間たちの名前も。
やがて彼は起訴されて裁判が始まった。 次々と明らかにされる実態に世間も浮足立ってしまった。
もちろん、営業再開もこのままでは叶わない。 社内でも議論乙獏 会議は紛糾し続けた。
俺は一か月が過ぎてやっと一般病棟への移動が許可されて栄田たちが見まいにやってきた。 そう、彼らが帰った後に尚子もやってきた。
「高木さん、やっと会えた。 具合はどう?」 「何とかってところかな。 傷はようやく癒えたよ。」
「丸一の前で、、、だったんでしょ? 皮肉な話よね。」 「ああ。 だけどあいつの気持ちも分からんことは無いんだ。」
「犯人の裁判も始まるわ。 許してもいいの?」 「そりゃあ許す気持ちは無いさ。 殺されそうになったんだからね。 でも身内を思ってのことだ。 分らんことは無い。」
尚子は窓辺に置かれたオルゴールに目をやった。 「〈愛の賛歌〉だって。 これ康子さんでしょ?」
「あ、ああ。」 「康子さん やっぱり今でも愛してるのね。 負けたわ。」
「そうか?」 「だってさ、管理部の栄田さんが言ってたわよ。 連絡したら急いで飛んできたって。」
「まあ、やつらが知ってるのは康子が妻だったってことくらいだから、連絡したんだろう。」 「それだけじゃ無いと思うなあ 私は。」
「何?」 「今でも康子さんが高木さんを思ってることを知ってたんじゃないかな?」
「そんなこと、、、。」 「分からないわよ。 だって柳田さんなんかは康子さんの友達なんだから。」
「あの人が?」 「そうよ。 高校まで一緒だったんだからね。 確かに先輩と後輩って関係じゃあるけど。」
「そうなのか、、、聞いたことは無かったな。」 「女同士のことなんて簡単には話さないわよ。」
「そう?」 「だって乗り移られちゃ困るでしょ?」
尚子はカーテンを閉めた。 西日が強い部屋だ。
俺はまだまだ退院できそうにない。 それからも尚子は暇を見て病室を訪ねてくれていた。
「お、尚子ちゃんだ。 誰か見舞いに来たの?」 「ええ。 知り合いが入院してるから。」
「そっか。 俺たちこれから高木さんの部屋に行ってくる。 だいぶいいみたいだし、、、。」 「そ、そうですねえ。 あはは。」
廊下で擦れ違う見舞客に焦りながら尚子はロビーで時間を潰す。 そして彼らが帰ったのを確認してから病室に入ってくる。
「尚子ちゃん、高木さんが刺されたんだって。」 「大丈夫かな?」
「救命センターに運ばれたって言ってたわね。 危ないかも。」 「そんなこと言わないで。」
尚子は飲み掛けのビールを残してすっ飛んで行った。 他の人たちも唖然とした顔で見送っている。
(高木さんにもしものことが有ったら、、、。) 急いでタクシーを拾った彼女は丸一の前へ走った。
事件現場はまだ騒然としている。 栄田たちより後に着いた人たちは何が起きたのか理解できないでいる。
警察の取り調べが始まった。 丸一も営業を休みにした。
管理部の人たちは二度三度と取り調べを受けてうんざりしているようだ。 それにしてもなぜ高木が?
疑問も晴れないままに彼らは散っていった。 現場には尚子一人が残された。
「尚子ちゃん、、、。」 そこへ駆け寄ってきたのは初枝だった。
「柳田さん、、、。」 「高木さんは大丈夫よ。 助かるわ。」
「でも、、、。」 「あなたが心配してどうするの? 心配したって高木さんは、、、。」
初枝もどうしたらいいのか分からない心境である。 今は慰めるしかないと思った。
「どっかでゆっくり話しましょう。」 そう言って初枝はタクシーを拾った。
康子は休暇を取って俺の傍に居た。 意識が戻らない時も変わらずに傍に居た。
時々は手を握り、顔を覗き込んだ。 そしてまたソファーにもたれるのである。
(私はやっぱり愛していたんだわ。 じゃなかったらここまで来ないわよ。 別れてるんだし、関係無いって言えば通り過ぎることも出来たはず。 なのに出来なかった。 私は、、、。)
結婚当初の思い出が蘇ってくる。 楽しそうにコーヒーを飲みながら笑っていた高木の声が聞こえる。
静かに酒を飲みながら話し合ったことも。 私がジュースを飲んでいても怒らなかったことも。
(何で私たちは別れたんだろう? 嫌いでもなかった。 仲も悪くはなかった。 だけど別れたんだ。 何で?)
今更の後悔が胸に溢れてくる。 彼女は泣いた。
物音もしない部屋で泣き疲れるまで泣いた。 そして俺の傍で眠りに落ちていった。
本当は何処までも愛しい女だった。 それが俺には分からなかった。
だから離婚届を差し出された時、迷いもせずにサインした。 そんな二人が同じ空間に居る。
目覚めた時、目の前に彼女の顔が有った。 何とも幸せそうな顔だった。
愛する男のために懸命に尽くしている女がそこに居た。 「康子、、、。」
「顔色が良くなったわね。 心配したわよ。」 「ありがとう。」
「初めてね。 あなたがお礼を言ってくれたのは。」 「そうだったか?」
「これまでは何が有っても何をしてもお礼なんて言わなかった。 それでもいいって決めて傍に居たの。」 「そうか、、、。」
「無理しないで。 まだまだ傷も完全じゃないから。」 そして康子は俺の手を握った。
初めて感じた優しい手だった。
柳原の取り調べは続いた。 彼が刺したのが管理部の人間ではなかったことを告げられた時、柳原は崩れ落ちた。
「あいつじゃなかったのか、、、。」 「あいつって誰だよ?」
「弟を死ぬほどに馬鹿にしていた小田悟だ。」 「じゃあお前はそいつを?」
「そうだ。 小田さえ居なければ弟は自殺なんかしなかったんだ。」 「でもね、小田を殺したからって弟さんは喜ばんよ。」
「それは分かってる。 だけどな、、、。」 彼は苦しんでいた。
入社以来、弟はペットとしか思われていなかったこと、そして男たちのおもちゃにされていたこと、管理部に移ってからはお茶汲みしかさせなかったこと、いろんなことを思い出したからだ。
「兄ちゃん、俺はどうすればいいんだ? 辞めたくても辞められない。 働きたくても働けない。 行けばいつもおもちゃにされるんだ。」
ただ、からかわれるだけじゃない。 跪いて舐めさせられるんだ。 それを見ながら他の男たちは笑っていた。
弟にとっては生き地獄以下の会社だった。 その同僚を殺して何が悪いんだ?
柳原健太は苦しみ抜いて何度も首に紐を巻いた。 だが死ぬことは出来なかった。
意識を失いかけた時に弟が現れるのだ。 「死んじゃダメだよ。 死んで苦しむのは俺だけでいい。」
あいつにはまだ嫁さんも子供も居なかった。 話せるのは俺だけだった。
そんな弟が俺を止めに来るんだ。 でもだからって、、、。
柳原は揺れ動いていた。 そして弟が残していた日記を警察に差し出した。
そこには生々しい虐めの実態が書かれていた。 関わっていた人間たちの名前も。
やがて彼は起訴されて裁判が始まった。 次々と明らかにされる実態に世間も浮足立ってしまった。
もちろん、営業再開もこのままでは叶わない。 社内でも議論乙獏 会議は紛糾し続けた。
俺は一か月が過ぎてやっと一般病棟への移動が許可されて栄田たちが見まいにやってきた。 そう、彼らが帰った後に尚子もやってきた。
「高木さん、やっと会えた。 具合はどう?」 「何とかってところかな。 傷はようやく癒えたよ。」
「丸一の前で、、、だったんでしょ? 皮肉な話よね。」 「ああ。 だけどあいつの気持ちも分からんことは無いんだ。」
「犯人の裁判も始まるわ。 許してもいいの?」 「そりゃあ許す気持ちは無いさ。 殺されそうになったんだからね。 でも身内を思ってのことだ。 分らんことは無い。」
尚子は窓辺に置かれたオルゴールに目をやった。 「〈愛の賛歌〉だって。 これ康子さんでしょ?」
「あ、ああ。」 「康子さん やっぱり今でも愛してるのね。 負けたわ。」
「そうか?」 「だってさ、管理部の栄田さんが言ってたわよ。 連絡したら急いで飛んできたって。」
「まあ、やつらが知ってるのは康子が妻だったってことくらいだから、連絡したんだろう。」 「それだけじゃ無いと思うなあ 私は。」
「何?」 「今でも康子さんが高木さんを思ってることを知ってたんじゃないかな?」
「そんなこと、、、。」 「分からないわよ。 だって柳田さんなんかは康子さんの友達なんだから。」
「あの人が?」 「そうよ。 高校まで一緒だったんだからね。 確かに先輩と後輩って関係じゃあるけど。」
「そうなのか、、、聞いたことは無かったな。」 「女同士のことなんて簡単には話さないわよ。」
「そう?」 「だって乗り移られちゃ困るでしょ?」
尚子はカーテンを閉めた。 西日が強い部屋だ。
俺はまだまだ退院できそうにない。 それからも尚子は暇を見て病室を訪ねてくれていた。
「お、尚子ちゃんだ。 誰か見舞いに来たの?」 「ええ。 知り合いが入院してるから。」
「そっか。 俺たちこれから高木さんの部屋に行ってくる。 だいぶいいみたいだし、、、。」 「そ、そうですねえ。 あはは。」
廊下で擦れ違う見舞客に焦りながら尚子はロビーで時間を潰す。 そして彼らが帰ったのを確認してから病室に入ってくる。