二人でお酒を飲みたいね。
 ボーっとした頭で会社へ行く。 周りの風景がぼやけてしまっている。
相談室に入っても何だかよその家に来たような気分で落ち着かない。 椅子に座っても康子のことが気になって仕事が手に付かない。
「おいおい、どうしたんだ? 高木君らしくないぞ。」 栄田が怪訝そうな顔で俺を見ている。
 「何回もノックしたのに返事が無いから入ってきたよ。」 「ああ、ごめん。」
「何か有ったのか?」 「いや、別に。」
「いや、別に、、、じゃないだろう。 話してくれよ。 何でも聞くからさ。」 「栄田君、、、。」
 栄田は忙しい合間に相談室を訪ねては俺に声を掛けてきた。 そんな昼だった。

 あのラーメン屋に行ったら涼子が俺の顔をまじまじと見詰めているのに気が付いたんだ。 (何か有るのかな?)
 いつものようにラーメンを啜りながらカウンターの奥に目をやる。 テボを振っている涼子が時々俺の顔を見る。
何とも悲しそうな顔だ。 そこに殺気すら感じてしまう。
 店はいつものように昼休みの客でごった返している。 もちろん、うちの会社からも何人も食べに来ている。
 涼子は仕事の合間にチラッと俺に視線を飛ばし、また仕事に戻る。 何か言いたそうに口元が動いている。
親父さんはいつものように客と冗談を飛ばし合いながら笑っている。 なんか店の雰囲気はちぐはぐに感じる。
(尚子を殺したのは俺なんだ。 しかも康子まで病院送りにしてしまった。 罪深い男だな 俺も。) そこまで思い至ると居たたまれなくなって店を出た。

 昼休み、辺りをブラブラと歩いてみる。 警察などが集まっている通りである。
厳つい顔をした警官がパトロールをしている。 そこへミニパトが走ってきた。
婦人警官、いやいや今では女性警官が二人乗っている。 駐車違反の取り締まりに出掛けていたのだろう。
 俺はさらに歩き続けて置時計が人気のあの喫茶店にやってきた。 尚子と入ったあの店、、、。
 久しぶりにドアを開けて中へ入る。 「あら、高木さんじゃない。」
奥のほうで初枝の声が聞こえた。 「こっちにいらっしゃいよ。」
誘われるままに奥のテーブルに着くと初枝がコーヒーを注文した。
 「元気無いわねえ。 どうしたの?」 「康子がさ、、、。」
「え? 奥さんがどうかしたの?」 素っ頓狂な声を上げるものだから俺は渋い顔をした。
「ごめんごめん。 んで、どうしたの?」 「入院したんだよ。」
「どっか悪いの?」 「まだ柳田さんには話してなかったね。 子宮癌なんだよ。」
それを聞いて初枝は蒼白になった。 「そんなにひどかったの?」
「ああ。 俺も気付かなかったんだが余命3か月って言われてしまって、、、。」 「それじゃあ、、、仕事どころじゃないじゃない。」
コーヒーを飲みながら俺たちは黙ったまま考え込んでいる。 1時のカッコウが鳴いた。
それでも俺たちは何かに憑依されたかのように呆然としている。 どれくらい経っただろう?
聞き覚えの有る声が耳元に飛んできてハッとした。 「高木君、柳田さん、ここに居たのか。 探したよ。」
顔を上げると沼井が心配そうな顔で立っていた。 「戻ってこないから心配したよ。」
「すいません。」 「いいけど、何か有ったのか?」
「会社で話します。」 「分かった。 今日は大事な会議なんだから二人とも来てくれよ。」
 沼井はホッとした顔で先を歩いていく。 先のミニパトが俺たちの横を走り抜けていった。

 会議が終わった後、俺は社長室に立ち寄った。 「高木君、ずいぶんと元気が無いけどどうしたんだ?」
「実は、、、前妻が緊急入院したんです。」 「何だって? 康子さんがかい?」
「昨日、帰ったら康子が居ないんで不思議に思っていたら救命救急センターから留守電が入ってまして、、、。」
「それで容体はどうなんだ?」 「末期の癌です。 余命3か月と、、、。」
「それじゃあ仕事どころじゃないな。 休むか?」 「いや、慰霊祭までは続けます。」
「しかしそれじゃあ君が大変だぞ。」 「分かってます。 でもこれはやらないといけない仕事だから。」
「分かった。 相談室のほうは誰かに任せよう。 君は慰霊祭に集中してくれ。」 「分かりました。」
 そんなわけで相談室は総務部から代わりを出してもらって、俺は慰霊祭の準備に当たることになった。
 康子はというと昼に一度だけ目を覚ましたが意識は朦朧としていて自分が何をしているのか分からないようである。
看護師に支えられて体を起こしてみる。 でもここが病院だとは気付かない様子だ。
視線が空をさ迷っている。 そして力無く倒れるのだった。
「麻酔の影響も有るんでしょう。 少し強い麻酔薬を使いましたから。」 冷酷なまでに平然と医師は話す。
俺はそこに怒りすら感じていた。 (他人事かよ。 お前の家族がそうなったらどうするんだ?)
殴りかかりたい気持ちを抑えて康子に向き合う。 夕方にはやっと麻酔の影響も無くなって康子は俺の顔を見た。
「あなた、、、。」 「大丈夫か?」
「お腹が痛い。 どうしても収まらないの。」 「ごめんな、大事な時に居なくて。」
「いいの。 来てくれただけで嬉しい。」 細い声でやっと康子は話し続ける。
「買い物に出ようとしたら倒れちゃったの。 それで涼子を呼んで、、、。」 「分かった。 無理はするな。」
康子の頬に涙が流れた。 俺は見ていられなくて目を背けるしかない。
そこへドアをノックする音が聞こえた。

 入ってきたのは沼井と初枝だった。 「高木君、、、。」
初枝は康子が寝ているベッドに近付くと手を取って泣き始めた。 「こんな体になっちゃって、、、。」
「柳田さん、、、来てくれたんですね? あの人を、主人をよろしくお願いします。」 「何を言うの? 高木さんはあなたの御主人でしょう?」
「私はもう長くは生きられないの。 死んだ後のことは柳田さんにお願いしたいのよ。」 微かに笑っている康子は寂しそうだった。
「そんなことを言わないの。 元気を出しなさい。」 初枝は懸命に励まし続けている。
康子は細くなった腕で初枝の頬に触れた。 「まだまだ元気ね。 主人を頼みましたよ。」
 そこへ看護師が入ってきて流動食の準備を始めた。 「流動食?」
「長く起きていられないからこのほうがいいかと、、、。」 「俺たちが、、、。」
「支えてもらっても無理です。 勝田さんは体力が無いんですから。」 せっせと準備を続ける看護師に俺たちは強く言えなくて病室を出ることにした。
 「高木さん、康子さんを妻に迎えてあげて。」 「妻に?」
「あのままじゃ可哀そうよ。 私に高木さんを任されても面倒見切れないし、、、。」 「そうだな、、、。」
「決断しなさいよ。 意気地なし。」 そこまで言われてしまった俺はふと沼井の顔を覗いた。
「俺がどうこう言えるような問題じゃない。 君が決めるんだ。」 珍しく沼井も厳しい顔をした。
 それでもなお、俺には決心が付かなかったんだ。 家に帰ってもただただ迷っているばかり。
一緒に酒を飲み、抱いた女が二人も死んでしまう。 これでいいのか?
静かな部屋の中で日本酒を飲みながら感慨にふけっている。 そこへ電話が掛かってきた。
「もしもし、、、。」 相手は何も言わずに電話は切れた。
(誰なんだろう?) 栄田や初枝ではなさそうだ。
とすると、、、沼井か? そう思って掛け直してみる。
「ああ、主人ならまだ帰ってませんよ。」 「そうですか。」
力無く受話器を置く。 無言の電話なんて誰だろう?
考えてみても分からない。 コップの酒をグッと飲みほして俺は布団に潜り込んだ。

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