彼に潜む影
「社長、失礼します」
愛佳が社長室のドアをノックすると、中からガサガサと物音がした。
「入ってよろしいですか?」
「あぁ、いいよ」
不審気に眉を寄せながら訊ねたとき、ドアの向こうから基治の声が聞こえてくる。
「失礼します」
基治と恋人関係にあるとはいえ、今は業務中だ。
愛佳が秘書としての顔でドアを開けると、中から誰かが勢いよく飛び出してきた。シャツの胸元を手で押さえて、愛佳を押しのけるようにして逃げ去ったのは秘書課の同僚だった。
普段は副社長の鷹治の補佐業務に就いている森野だ。たまに業務上で言葉を交わすことはあるものの、愛佳と森野の交流は少ない。
だが愛佳は、森野が副社長の鷹治とビジネスパートナーとして以外の関係を持っていることを知っていた。その関係が恋人と定義づけられるものなのか、それとももっと別のものなのかはわからないが、愛佳はこれまでに数回ほど仕事の終わりの鷹治が森野の肩を抱いてどこかに行くのを見たことがある。
森野さんがどうして社長室に──?
一瞬しか見えなかったが、逃げ去っていく森野の顔は赤く、着衣の胸元が乱れていた。嫌な予感に愛佳の脈が速くなる。
真っ直ぐに顔をあげると、正面のデスクの淵に軽く腰を掛けた基治が右手の親指で唇を拭いながらふっと笑った。