溶けた恋

「ふゆ、準備できた?そろそろ行くよ」

今日は、父方祖母の法事で親戚が皆集まる日だ。いつもより念入りに化粧をした母親が冬子を急かした。

冬子は中学からギリギリ内部進学に滑り込んだ、進学校の制服に腕を通す。
ブラウスは洗濯のり使用かつ丁寧にアイロンされており、いつもの感覚との違いに違和感を覚える。
「お姉ちゃん、今日は親戚一同から注目浴びちゃうね〜!この制服、美月も早く着たいな〜」
妹の美月が茶化した。

「もう、ギリギリ合格だったとか絶対言わないでよね…。」
「うん!ママにころされるから死んでも言わないよ!(笑)」

父、仁志は学歴主義で常識を重んじる、厳格な家庭で育った。
母智子も育ちは良かったものの、学歴は高卒だった。その後の社会人経験もぱっとしないもので、キャリアだのスキルだの、誇れる事が無いことに、密かに後ろめたさを感じていた。

仁志の親戚は皆、学歴、キャリア志向だ。
集れば、IT業界、政治、世界情勢など…、男も女も皆、小難しい知識をひけらかす事に精を出す。

このような話題に昔から馴染めない智子だったが、娘達を必ず高学歴にして、仕事でも活躍させ、その子達の母親として自分自身の価値を高めるんだと割り切り、努力してきた。

義母からは
「冬子ちゃん、お勉強あまり得意じゃないのねぇ…。
うちの仁志君は昔からお勉強は得意でね、ぽーんといい点取っちゃうのよ!!
冬子ちゃんは、ママ似かしらね?クスッ」

などと嫌味を言われ、散々悔しい思いをしてきた智子だ。
冬子の制服をお披露目するのが待ちきれない様子だ。
冬子の名門中学への進学から高校への内部進学の達成は、智子の15年間の集大成ともいえる。


「あら、冬子ちゃんも美月ちゃんも大きくなったわねぇ!」
叔母の裕子が舐めるような視線で2人の姉妹を見定めると、視線は冬子の制服にロックオンした。

「あらまあ、冬子ちゃん、内部進学できたのね!おめでとう!」

口元は笑っているが、目は笑っていない。

目元は「智子さんの教育なんかで、良く進学できたわね。」と訴えていた。


「裕子おばさま、お久しぶりです。ええ、冬子も沢山頑張りまして、無事進学することが出来ました。仁志さんのサポートと冬子の努力の成果です。ふゆ、頑張ったね!」

勝ち誇った気持ちを出来るだけ隠すために、智子はあえて控えめに徹し、娘と夫を褒めた。

「仁志くんは賢いから、頼りになったでしょ。智子さんは塾の送迎とかで、サポートしてくれたのかしらね?ふふっ。夫婦二人三脚で、素敵ね。」

一瞬、場の空気が凍った感じがしたが、最後は褒め言葉で締める叔母のコミュニケーション力にはたじたじだ。

会話の中に小さな皮肉を込めてくる叔母や親戚に対し、智子はいつも穏やかな笑顔を崩さなかった。
決して嫌味などで対抗せず、ニコニコ笑ってその場の空気を崩さないように努めるような人だった。

そんな智子の心中も、菩薩のように穏やかだったのか?決してそうではなかった。

高学歴エリートサラリーマンの夫の家族から見下され、小馬鹿にされ、劣等感と復讐心を胸に秘め続けていた。そしてそのどす黒い感情を隠すため、優しい笑顔と穏やかな口調は絶対に忘れなかった。


私は、そんな下品な人間とは違う。身も心も穏やかで優しくしなければいけない。

そう自分自身に言い聞かせ、黒い感情に蓋をし続けた。

そしてその押し潰されてどうしようもない黒い感情は、全て娘達に注がれたのだ。




「冬子、このテストの点数、一体どうしちゃったのかな…?」

ギリギリ内部進学に滑り込んだ冬子の期末試験の成績は、芳しくなかった。

「ママ、ごめんなさい。勉強もっと頑張って、再テストでは絶対に落とさないようにします。」

「お勉強、全然頑張ってなかったよね?ママ知ってるよ。いつも隠れてスマホ見たり、漫画読んだりして、机に座っているだけでお勉強なんてしてなかったよね?」

冬子の高校進学後初のテストの点数は、ほぼ全教科赤点。再試験必須だ。

「パパやおばあちゃんになんて言おうか?パパは高校生の頃、再試験なんてしたことなかったみたいだよ。イトコの○○ちゃんなんて、学年トップなんだよ?

きっと内部進学なんかに悩む事なんてないんだろうな。はぁ~」

パパのお姉さんは大手キー局に勤務するいわゆるバリキャリだ。そして、その娘もすこぶる優秀だった。

あの子と比べられても、、

冬子は出来の良いイトコと比較され、惨めな気持ちでいっぱいになった。


「冬子は、自分の状況を全然分かっていないんだなぁ。
そうだ、パパには風邪をひいて出来なかった事にしておこう?冬子もそう言うんだよ。
そして、再試験は絶対に落とさないでね。」

「分かりました。」

冬子は小さく頷くと、何故か瞳からは涙がポロポロと溢れてきた。
「え?どうして、泣くの?ママ何も酷いこと言ってないよ。初試験、疲れちゃったかな…。そうだ、暖かいハーブティーを淹れてあげる。心がリラックスするよ!」

そう言うと智子は、お気に入りのオーガニック専門店で購入したハーブティーを手際よく淹れると、得意気に冬子にさしだした。

ハーブティーは、苦くて、まずい。
熱くなった喉を冷ますマックシェーキが飲みたい。そんな気持ちを伝える術も知らず、ただただ冬子は薬の味しかしないハーブティーを「美味しい」と言って飲む事しか出来なかった。

いつの間にか涙は乾いていて、それをママはハーブティーのお陰だと本気で思ったらしく、ハーブティーの写真を一枚撮ると、インスタグラムにアップした。

「ナイーブな気持ちも癒やしてくれるお気に入りのハーブティー」だそうだ。

「冬子、明日から、一緒に頑張るよ~!エイエイオ〜!」






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