元ヒロインの新妻は元ヴィランの夫から逃げられない 〜あなたは征服欲と支配欲のために私と結婚しただけなの、ちゃんとわかってます。は? 愛してる⁉ 本気ですか⁉〜

第2話 たとえそれが、征服欲と支配欲でもかまわないから。

 本来ならもう二度と会うことはないはずだった。この人が平然と女性をヤリ捨てできるタイプなのは想像がついていたから、動けるようになったら一人で帰宅するつもりだった。
 お互いに簡単な自己紹介はしていたものの、まさかバッグの中を漁られて個人情報全部調べられたうえ、自宅に送り届けられてそのまま両親への『結婚を前提とした交際』の挨拶をキメられるなんて思わなかった。彼は去り際、名刺を私に渡して、背筋が凍りつくような笑みを浮かべた。
「俺は自分が犯罪者気質だから、警備会社を経営してるんだ。犯罪者がどんな相手をどう狙うかわかるから。同じように、逃亡者がどんなふうに行方をくらませようとするかもわかる。それに職業柄、警察にも犯罪組織にも顔が利くから、逃げようとしても無駄だ」
 怖いと思おうとした。でも怖くはなかった。嬉しかった。初めて好きになった人が、自分を好きにはなってくれなくても、執着してくれたことが嬉しくて、彼にしがみついてすすり泣いた。彼は無言で私の頭を撫でた。

 彼がかなり年上なのも、まともな人じゃないのもわかっていた。そのうえで、自分はこの人と添い遂げる覚悟を決めた。けど、何も知らない同じ大学の同級生たちには、手を出さないであげてほしかった。
「彼女たちはなにもわかってないんです」
「じゃあみどりは、自分の立場がわかってるのかな? 俺と結婚したっていうのがどういうことか」
「立場?」
 立場ってなんだろう。彼は穏やかに答えを口にした。
「君は俺の妻なんだよ。もし君にふざけたことをするやつがいたら、それは俺に喧嘩売ったということだ。俺は俺のルールで、俺のやりたいように相手に報復する」
 両手が冷たくなった。彼が何を言いたいか、わかってしまった。この人はビジネススーツを着て高級車を乗り回している姿からは想像もつかないけれど、根っからの悪人だ。もし私が誰かに薬を盛られてお持ち帰りされたら、お持ち帰りした人はもちろん、共犯とみなした人まで処分するだろう。
 私は震える声で尋ねた。
「龍一郎さん。私、大学のみんなにヤクザの一人娘だって言えばいい? そしたらみんな関わってこなくなると思う」
 彼はククッと喉奥で笑った。
「そういう嘘はやめてくれ。さっきみんなにラインを聞いたのは、情報収集のためだ。怖がらせたら、みんなアドレスを変えてしまうし、用心深くなる。……俺と離婚したくなったか?」
 私は少し考えて、首を横に振った。
「私はどうしたってヴィラネスにはなれないよ。それでもいいなら、龍一郎さんと一緒にいたい」
 車を運転する『夫』は答えなかった。私は助手席に座ったまま目を閉じた。

 この人に出会うまで、恋愛をしたことがなかった。
 世界は光と輝きと家族からの優しい愛情に満ちていた。
 悪人を好きになるというのがどんなことか、想像もしたことがなかったし、恋というのがこんなに難しいなんて知らなかった。
 それでも、経済的優位を捨てて私とフェアに戦ってくれたこの人に、いつしか恋をしていた。今夜私を助けに来てくれたのが、優しさからの行動でなくてもいい。この人が好きだ。
 きっとこの人の本質を知れば、お父さんもお母さんもこの結婚を反対しただろう。両親はこの人が年上なのをすごく心配していた。
 私の好きとこの人の好きは違う。この人が私に執着するのは、ただの征服欲と支配欲だ。私がどれほど好きだと告げても、この人を抱きしめても、この人に私の気持ちは届かない。
 それでも現実世界で出会ったあの日、仮面と衣装の下の素顔を初めて見たとき、一目で『彼』だとわかった。彼も私を射抜くように見つめた。そして私はすすんでこの人と体を重ねた。
 大丈夫、わかってるから。私は悲しい気持ちを押し殺した。
 言われなくったって、この恋は私からの一方通行なの、ちゃんとわかってるよ。もう飽きた、別れてくれと言われたらうなずくから、それまでの間だけそばにいさせてほしい。それしか望んでない。

 黒塗りの高級車は、滑るように車庫に入った。私が助手席に座ったまま待っていると、回ってきた龍一郎さんはドアを開けてくれた。ボディガードごっこじゃなく、ヒロインじゃない生身の私では、この防弾仕様のドアは重すぎて開けられない。
 沈んだ気分で自宅に入ると、『夫』は玄関先で私を後ろから抱きしめた。
「なあみどり。やっぱり大学退学して、俺の子どもを産まないか?」
 冗談めかした声。思っていたとおりの展開に、私はその場に立ち尽くした。いつか言われるだろうと思ってた。この人が、内心私の進学をよく思ってないのは想像がついていた。
 私は自分に回された力強い腕を、スーツの上から撫でた。
「それは無理。だって、どうしても取りたい資格があるから」
「へえ?」
「……私、管理栄養士になりたい」
 笑い飛ばされることを承知で、将来の希望を口にした。
「管理栄養士?」
 背後から彼が不思議そうな声をかける。私は彼の腕を叩いて力を緩めてもらい、彼に向き直った。彫りの深いイケメンを見上げる。
「だって……」
 その後は、どうしても言えなかった。
 だって、あなた私より17歳も年上なんだもん。煙草は吸わないけど、お酒飲みすぎなんだもん。栄養バランスを考えて食事を作るから、朝ご飯はちゃんと食べて。お酒を飲むときにはつまみも口にして。そうして……少しでも長生きして私と一緒に過ごしてほしい。
 言葉が喉に引っかかって出てこなかった。もう少ししたら捨てられるってわかってるのに、言えるはずがない。
「だって……ほら、あなたと別れて子どもを私が引き取っても、資格持ってたら就職しやすいし」
「別れる? みどりは全然わかってないね。あれだけ教えてもまだ、俺と別れられるって思ってるのか。もしかして大学のお友達が逃亡の手助けをしてくれるなんて、甘いことを考えていたりする?」
 嘲るように笑われた。
「無駄だよ」
 耳元に低い声が注ぎ込まれて、私は震えた。すぐ目の前にある彼の瞳がギラッと輝く。
 あ。これは地雷を踏んだ。
 私は彼が覆いかぶさってきても身動きできなかった。
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