元ヒロインの新妻は元ヴィランの夫から逃げられない 〜あなたは征服欲と支配欲のために私と結婚しただけなの、ちゃんとわかってます。は? 愛してる⁉ 本気ですか⁉〜
番外編 目玉焼き対決
眠い。私は自分を起こそうと体をくすぐる手を夢うつつに払いのけた。もうちょっと寝かせてよ、お母さん。
「みどり。起きないと襲ってしまうよ」
母の声じゃなかった。よく響く低い男の声に不穏なことを囁かれ、私は一気に覚醒した。
「ぎゃあああああっ!」
飛び退こうとしたのに、私はいつの間にか夫に自由を奪われてシーツの上に縫いつけられていた。なんつー手際の良さ!
「おはよう、みどり」
自分の真上にある、龍一郎さんの目が笑ってない笑顔、怖いよっ!
「やっぱりもうしばらく寝ていなさい。寝てる間にいいことをしてあげよう」
いいことってナニ! いや知りたくありませんっ。
17歳年上の夫、龍一郎さんの眼はマジだった。信じられない、昨夜もさんざん人の体を好きにしたよね。男の人ってこうなの? 三十半ばでも朝晩しないと気がすまないの⁉
「ダ、ダメです! 今朝はいざ尋常に勝負なんでしょ。勝負の前にそーゆーこと仕掛けるのは卑怯です!」
チッと舌打ちして、龍一郎さんは私を自由にしてくれた。なんでそんなに悪役ぶりが板についてるのよー! いや、元ヴィランなんだから当然なのか。
私はベッドから下りて、着替えのために自分の部屋に向かおうとした。
「着替えなら持ってきた」
「あ、ども」
「さあ着替えて」
彼がゆったりと笑う。私はしばらく硬直したあと、「着替えるあいだ部屋から出てってください!」と叫んだ。
疲れた。よその新婚生活もこんななのだろうか。あの人の背中を必死に押して寝室から追い出すあいだ、龍一郎さんはずっとずっと笑っていた。なにがそんなに楽しいんだろう。
私と彼のあいだにはまともな恋人期間というのがなかったから、あの人がこんなによく笑うなんて知らなかった。
そう、お互いに好意を持ってることがわかってから、龍一郎さんはすごく変わった……気がする。なんというか私にくっつくことが増えた。それがイヤなわけじゃないんだけど。ええ、イヤではありませんけど。あの人にじっと見られるだけでドキドキするの、なんとかしたい。
私は自分の両手で頬を叩いた。ダメ。今から対決なんだから、ちゃんとしなきゃ。
「そうよ、絶対勝つんだから!」
私は気合を入れると、必勝の気持ちを胸に寝室を出た。
そう、今日はこれから一対一の真剣勝負。
元々、光と善の世界から選ばれたヒロインだった私と、闇と悪の世界から選ばれたヴィランの龍一郎さんは、世界からの要請により、素顔を隠して仮想空間でいろんな戦いをしてきた。写真を撮ったり、料理作ったり、歌ったり。それが現実世界で偶然出会って、会ったその日にホテルに行っちゃって、彼に囲い込まれるように結婚したんだけど、今でも休みの日とかに、二人で対決してるのです。
今日のお題は『目玉焼き』。
「目玉焼きには塩コショウだろう」
「いーえ、目玉焼きには醤油です」
私と龍一郎さんは顔を見合わせて笑い……お互いの前に並べた朝食に目を落とした。
「なるほど、炊きたて御飯の上に半熟目玉焼きをのせるのか。それならたしかに醤油1択だな」
「これは! ラピュタパン! たしかにこれなら塩コショウ1択。むむむ、やりますね〜、龍一郎さん」
私をジブリファンと知っての選択、さすがです。
「気に入ってもらえて嬉しいよ」
夫は優雅に頭を下げた。
「いっただきま~す」
「いただきます」
私たちはそれぞれお互いの用意した目玉焼きを口にした。
「すっごく美味しい!」
私はにっこにこで龍一郎さんが作ってくれたラピュタパンをかじった。ラピュタパンっていうのは、『天空の城ラピュタ』に出てきた、目玉焼きのせパンのこと。
前に仮想空間に呼び出されて料理対決したときは包丁の使い方も火加減も怪しかったのに、龍一郎さんはこの一年ほどですごく腕を上げていた。カリッとした白身にトロッとした黄身、そして焼き加減も塩加減も絶妙で、食パンにとってもよく合ってる! 美味しい〜♡
一方、龍一郎さんも私の用意した目玉焼きご飯を口に含み、ゆっくり味わってから頷いた。
「なるほど、ただの卵かけご飯より、味が濃厚だ。目玉焼きご飯、美味いな」
「でしょっ♡ 卵かけご飯ももちろん大好きなんだけど、たまにどうしても目玉焼きご飯が食べたくなるの。でもこれは引き分けだよね、どっちが上なんて決められないもん」
「ふむ。じゃあ休日の過ごし方、勝ったほうの言うことをきくというのは、どうするかな」
龍一郎さんは少し眉を寄せて思案顔になった。私は首を傾げた。
「正反対じゃなければ妥協点はあるでしょ。泳ぎたいって意見とサイクリングしたいって意見が出たら、トライアスロンすればいいだけだし」
龍一郎さんはフフッと笑った。
「……凄いな、みどりは。そこでいきなり、トライアスロンって意見になるのが凄い」
えっとそうかな、普通じゃない?
「それなら俺は、家の中でみどりと二人きりで過ごしたい」
ぐわっ、なんですかそのしたたるような色気は! 両手を組んだ上に顎をのせて、軽く上目遣いにこっちを見るのやめて! でも私だって負けないもんね。ぜ〜ったいに健全路線を貫いてやる。
「いいよ。それじゃ一緒に『天空の城ラピュタ』見よ」
何故だろう、一瞬だけ龍一郎さんの表情が翳った気がした。けれど彼はすぐにいつもの彼に戻り、「喜んで」とこたえた。
私と龍一郎さんはリビングルームのソファに並んで座り、一緒に大画面テレビに映し出されるアニメを見始めた。このお話は小さいときから大好きで、もう何度となく見ていた。けれど今日はどうしても画面に集中できなかった。
龍一郎さんに何かされたからじゃない、彼が静かすぎたからだ。
主人公の少女シータが悪者のムスカ大佐に脅迫されるシーンで、彼が喘ぐのが聞こえた。私がチラッと横を見ると、龍一郎さんは無表情で視線をそらしていた。私はリモコンで一時停止にした。
「龍一郎さん、もしかしてジブリ映画が嫌いだった?」
彼はなんとも言えない苦しそうな表情になった。
「ジブリ作品が嫌いなわけじゃない。……こういう作品を見ていると、責められてる気になるんだ。君を本来の相手から盗んだって」
本来の相手。その言葉にこみあげるものがあって、私はテレビ画面を消した。
「みどり」
「私は品物じゃない」
「そうだね」
「盗んだって……何それ。いくらあなたが私を逃さないって言ったって、あなたのこと好きじゃなかったら、あの日ついていったりしなかったよ」
「そうか」
「龍一郎さん!」
私が叫ぶと、彼は強く目を閉じて深く息を吐いた。
「君を失うのが怖い。いつか君にふさわしい男が現れたら、どうしたらいいのかわからない。相手を殺してしまいたいよ。だけど、愛する人を喪って君が苦しむのを見たくない」
許せなかった。腹が立って立って仕方なかった。
「なんなの、さっきから聞いてたらグジグジと。私のこと浮気するって決めつけるの失礼だよ。あなたなんてこれまでずっと恋人取っ替え引っ替えしてたくせに」
それはハッタリだったけれど、彼は否定しなかった。うわ~、腹立つ。やっぱりそうなんだ。
「不安だからって、セックスしたがるのよくない」
彼はハッとして私を見上げた。
「物語のヴィランがヒロインと結ばれないのは、彼らはヒロインのこと愛してない、ただ力を手に入れるためにヒロインを自分のものにしようとするからでしょう」
「俺は違う!」
「なら、ちゃんと教えて。どうしてあの日、私をラブホテルに連れ込んだの?」
龍一郎さんは、17歳も年上の夫は、すがりつくように私を抱きしめた。強くて恐ろしいのに、どうしようもなく弱いこの人が愛おしかった。
「あ、あの日。君に手を伸ばしたのは……」
「伸ばしたのは?」
「初めて君と勝負したときから、君のことを」
その後の消え入るような囁きに、私はうっとりと笑った。そして正直に答えた私の可愛いヴィランを、ソファに押し倒した。
「みどり。起きないと襲ってしまうよ」
母の声じゃなかった。よく響く低い男の声に不穏なことを囁かれ、私は一気に覚醒した。
「ぎゃあああああっ!」
飛び退こうとしたのに、私はいつの間にか夫に自由を奪われてシーツの上に縫いつけられていた。なんつー手際の良さ!
「おはよう、みどり」
自分の真上にある、龍一郎さんの目が笑ってない笑顔、怖いよっ!
「やっぱりもうしばらく寝ていなさい。寝てる間にいいことをしてあげよう」
いいことってナニ! いや知りたくありませんっ。
17歳年上の夫、龍一郎さんの眼はマジだった。信じられない、昨夜もさんざん人の体を好きにしたよね。男の人ってこうなの? 三十半ばでも朝晩しないと気がすまないの⁉
「ダ、ダメです! 今朝はいざ尋常に勝負なんでしょ。勝負の前にそーゆーこと仕掛けるのは卑怯です!」
チッと舌打ちして、龍一郎さんは私を自由にしてくれた。なんでそんなに悪役ぶりが板についてるのよー! いや、元ヴィランなんだから当然なのか。
私はベッドから下りて、着替えのために自分の部屋に向かおうとした。
「着替えなら持ってきた」
「あ、ども」
「さあ着替えて」
彼がゆったりと笑う。私はしばらく硬直したあと、「着替えるあいだ部屋から出てってください!」と叫んだ。
疲れた。よその新婚生活もこんななのだろうか。あの人の背中を必死に押して寝室から追い出すあいだ、龍一郎さんはずっとずっと笑っていた。なにがそんなに楽しいんだろう。
私と彼のあいだにはまともな恋人期間というのがなかったから、あの人がこんなによく笑うなんて知らなかった。
そう、お互いに好意を持ってることがわかってから、龍一郎さんはすごく変わった……気がする。なんというか私にくっつくことが増えた。それがイヤなわけじゃないんだけど。ええ、イヤではありませんけど。あの人にじっと見られるだけでドキドキするの、なんとかしたい。
私は自分の両手で頬を叩いた。ダメ。今から対決なんだから、ちゃんとしなきゃ。
「そうよ、絶対勝つんだから!」
私は気合を入れると、必勝の気持ちを胸に寝室を出た。
そう、今日はこれから一対一の真剣勝負。
元々、光と善の世界から選ばれたヒロインだった私と、闇と悪の世界から選ばれたヴィランの龍一郎さんは、世界からの要請により、素顔を隠して仮想空間でいろんな戦いをしてきた。写真を撮ったり、料理作ったり、歌ったり。それが現実世界で偶然出会って、会ったその日にホテルに行っちゃって、彼に囲い込まれるように結婚したんだけど、今でも休みの日とかに、二人で対決してるのです。
今日のお題は『目玉焼き』。
「目玉焼きには塩コショウだろう」
「いーえ、目玉焼きには醤油です」
私と龍一郎さんは顔を見合わせて笑い……お互いの前に並べた朝食に目を落とした。
「なるほど、炊きたて御飯の上に半熟目玉焼きをのせるのか。それならたしかに醤油1択だな」
「これは! ラピュタパン! たしかにこれなら塩コショウ1択。むむむ、やりますね〜、龍一郎さん」
私をジブリファンと知っての選択、さすがです。
「気に入ってもらえて嬉しいよ」
夫は優雅に頭を下げた。
「いっただきま~す」
「いただきます」
私たちはそれぞれお互いの用意した目玉焼きを口にした。
「すっごく美味しい!」
私はにっこにこで龍一郎さんが作ってくれたラピュタパンをかじった。ラピュタパンっていうのは、『天空の城ラピュタ』に出てきた、目玉焼きのせパンのこと。
前に仮想空間に呼び出されて料理対決したときは包丁の使い方も火加減も怪しかったのに、龍一郎さんはこの一年ほどですごく腕を上げていた。カリッとした白身にトロッとした黄身、そして焼き加減も塩加減も絶妙で、食パンにとってもよく合ってる! 美味しい〜♡
一方、龍一郎さんも私の用意した目玉焼きご飯を口に含み、ゆっくり味わってから頷いた。
「なるほど、ただの卵かけご飯より、味が濃厚だ。目玉焼きご飯、美味いな」
「でしょっ♡ 卵かけご飯ももちろん大好きなんだけど、たまにどうしても目玉焼きご飯が食べたくなるの。でもこれは引き分けだよね、どっちが上なんて決められないもん」
「ふむ。じゃあ休日の過ごし方、勝ったほうの言うことをきくというのは、どうするかな」
龍一郎さんは少し眉を寄せて思案顔になった。私は首を傾げた。
「正反対じゃなければ妥協点はあるでしょ。泳ぎたいって意見とサイクリングしたいって意見が出たら、トライアスロンすればいいだけだし」
龍一郎さんはフフッと笑った。
「……凄いな、みどりは。そこでいきなり、トライアスロンって意見になるのが凄い」
えっとそうかな、普通じゃない?
「それなら俺は、家の中でみどりと二人きりで過ごしたい」
ぐわっ、なんですかそのしたたるような色気は! 両手を組んだ上に顎をのせて、軽く上目遣いにこっちを見るのやめて! でも私だって負けないもんね。ぜ〜ったいに健全路線を貫いてやる。
「いいよ。それじゃ一緒に『天空の城ラピュタ』見よ」
何故だろう、一瞬だけ龍一郎さんの表情が翳った気がした。けれど彼はすぐにいつもの彼に戻り、「喜んで」とこたえた。
私と龍一郎さんはリビングルームのソファに並んで座り、一緒に大画面テレビに映し出されるアニメを見始めた。このお話は小さいときから大好きで、もう何度となく見ていた。けれど今日はどうしても画面に集中できなかった。
龍一郎さんに何かされたからじゃない、彼が静かすぎたからだ。
主人公の少女シータが悪者のムスカ大佐に脅迫されるシーンで、彼が喘ぐのが聞こえた。私がチラッと横を見ると、龍一郎さんは無表情で視線をそらしていた。私はリモコンで一時停止にした。
「龍一郎さん、もしかしてジブリ映画が嫌いだった?」
彼はなんとも言えない苦しそうな表情になった。
「ジブリ作品が嫌いなわけじゃない。……こういう作品を見ていると、責められてる気になるんだ。君を本来の相手から盗んだって」
本来の相手。その言葉にこみあげるものがあって、私はテレビ画面を消した。
「みどり」
「私は品物じゃない」
「そうだね」
「盗んだって……何それ。いくらあなたが私を逃さないって言ったって、あなたのこと好きじゃなかったら、あの日ついていったりしなかったよ」
「そうか」
「龍一郎さん!」
私が叫ぶと、彼は強く目を閉じて深く息を吐いた。
「君を失うのが怖い。いつか君にふさわしい男が現れたら、どうしたらいいのかわからない。相手を殺してしまいたいよ。だけど、愛する人を喪って君が苦しむのを見たくない」
許せなかった。腹が立って立って仕方なかった。
「なんなの、さっきから聞いてたらグジグジと。私のこと浮気するって決めつけるの失礼だよ。あなたなんてこれまでずっと恋人取っ替え引っ替えしてたくせに」
それはハッタリだったけれど、彼は否定しなかった。うわ~、腹立つ。やっぱりそうなんだ。
「不安だからって、セックスしたがるのよくない」
彼はハッとして私を見上げた。
「物語のヴィランがヒロインと結ばれないのは、彼らはヒロインのこと愛してない、ただ力を手に入れるためにヒロインを自分のものにしようとするからでしょう」
「俺は違う!」
「なら、ちゃんと教えて。どうしてあの日、私をラブホテルに連れ込んだの?」
龍一郎さんは、17歳も年上の夫は、すがりつくように私を抱きしめた。強くて恐ろしいのに、どうしようもなく弱いこの人が愛おしかった。
「あ、あの日。君に手を伸ばしたのは……」
「伸ばしたのは?」
「初めて君と勝負したときから、君のことを」
その後の消え入るような囁きに、私はうっとりと笑った。そして正直に答えた私の可愛いヴィランを、ソファに押し倒した。