元ヒロインの新妻は元ヴィランの夫から逃げられない 〜あなたは征服欲と支配欲のために私と結婚しただけなの、ちゃんとわかってます。は? 愛してる⁉ 本気ですか⁉〜
第7話 ヴィランの求婚
彼女の中で果てたあとも、しばらく動けなかった。
彼女との交わりは、想像していたのと全然違った。素晴らしかった。はじめは俺が主導権を握っていたのに、いつしか自分のほうが彼女に翻弄された。
俺はソファに押し倒した彼女にキスを繰り返しながら、一枚ずつ服を脱がせた。30歳過ぎて脱がせるだけで興奮する自分に苦笑していたけれど、服を脱がせたあとに現れた実用性一点張りの下着姿を見た途端、頭に血が上った。
初めての相手をこのままソファで抱くわけにはいかない。なんとか理性を取り戻して彼女をベッドに運び、性急に服を脱いだ。ベッドサイドのケースからコンドームを掴み取ってつけていると、俺を見つめていた彼女は微笑んだ。
すごい威力だった。微笑みひとつで、俺のものは痛いほど勃起した。
襲いかかりたいのをこらえて、彼女から下着を丁寧に脱がせていった。真っ白い胸を飾る乳首を夢中で舐めしゃぶる。彼女が恥じらいつつ、抑えきれずに上げた高い声に、さらに興奮した。
34歳にもなって女子高生相手に!
そう思ってもとまらなかった。彼女に悦びを与えたかった。彼女の脚の間に指を侵入させると、相手はハッとして俺の手を掴んだ。
「やめたほうがいいか?」
尋ねると、彼女は困った顔をしつつ手を離した。
「ううん。……ごめんなさい、大丈夫」
かわいそうに。本当は出会ったばかりの男に触られるのは怖いだろうに。
「痛かったら手を上げるんだよ」
そう囁いて彼女のなかをゆっくりとかきまわすと、彼女は呻いて俺にしがみついた。
「痛い?」
「違うの。天堂さん、お願いだからきて」
半泣きで頼む彼女が愛おしかった。脚を開かせて、ゆっくりと彼女の中に入っていった。彼女は健気だった。痛いはずなのに、一度も手を上げなかった。俺にしがみつき、耳たぶや首筋を吸われて恥じらいの声を上げながら、俺を全て飲み込んだ。
何かが砕け散る透明な音が響いても、もう俺は気にしなかった。彼女がヒロインではなくなり、俺がヴィランではなくなっても構わなかった。彼女に包まれて締めつけられながら、動かずに耐えるのはつらかったけれど、彼女に苦痛を与えたくなくて、彼女の体が痛みに慣れるまで待った。
「いいから動いて」
「みどり」
彼女の名前を呼んだ瞬間、彼女は幸せそうに笑った。理解できなかった。会ったばかりの、ろくに知らない男に犯されているのに、どうしてそんな顔ができるんだ。
これ以上は我慢できなかった。俺は夢中で彼女を奪い尽くした。
自分が悪人なのはわかっていた。わかっていてもどうしようもなかった。
平然と人を殺せるヴィランと、若く純真なヒロインが結ばれるなんてありえない。ヒロインの窮地を救い、彼女と愛し合うのはヒーローだと決まっている。それなのに自分は彼女を本来の相手から盗んだ。真っ黒な絶望が俺の全身を飲み込む。いまに、彼女にふさわしいヒーローがみどりの前に現れて、彼女を幸せにするだろう。嫌だ、彼女を失いたくない。どうしたらいいんだ。
俺はゆっくりと彼女から離れた。
「天堂さん、ごめんなさい。あのね、早く出たほうがいいのはわかってるけど、動けないんです。でもってあまり持ち合わせがなくて。本っ当に申し訳ないんですけれど、先に出ていただいてかまわないので、ホテル代だけ払っておいてもらえませんか。動けるようになったら一人で帰るから」
俺はまじまじと彼女を見つめた。何を言っているかわからなかった。一人で帰るって。まさか、本当にもう二度と会わないつもりなのか。俺の表情を誤解したのか、彼女は困った顔で言った。
「大丈夫、あなたが結婚や恋愛向きじゃないのはちゃんとわかってるから。責任取れなんて言わないよ」
責任を取る。
不意に素晴らしいアイデアが浮かび上がって、俺は唇をつりあげた。彼女が怯えて「ヒッ」と悲鳴を上げたけれど、気にしなかった。俺は相手が動けないことをいいことに、彼女の手荷物をあさった。
「ひどい、高校生から財布を奪うの⁉ やだほんとにやめてよ、帰れなくなっちゃうじゃん〜!」
彼女の悲鳴は無視して、財布を探し当てた。そして財布の中に入っていたマイナンバーカード、そのほか定期券や学生手帳を次々にスマホで撮影して、彼女の名前だけでなく自宅住所、生年月日、高校の名前と所在地まで情報を抜き取った。俺は呆然としている彼女を振り返り、優しい声音で言った。
「君の個人情報は押さえた。動けるようになるまでゆっくりしなさい。そうだ、俺が君をきれいに洗ってあげよう。それから君のおうちまで送っていくよ」
「いえ、結構です!」
彼女の言葉なんか、さらさら聞く気はなかった。そうだ、俺はヴィランだ。ヒーローが彼女を救い出しに来るというなら、彼女の夫として、そいつを正面から叩き潰せばいい。
晴れ晴れとした気持ちに、俺は声を上げて笑った。
俺なんかと結婚したら、彼女は一生幸せになれない。その事実はあえて無視した。
俺は彼女を自宅まで送り届けると、ご家族に結婚を前提とした交際を申し込んだ。
彼女の両親は不安そうな顔をした。当然だ、どこの誰とも知らない中年男が女子高生の娘に手を出したんだ、俺なら相手を殺す。
俺はできるだけ誠実そうな表情を作り、名刺を渡した。自分の会社のサイトも見せて、売上高や本社の場所、利益、純資産を説明したけれど、二人ともさらに心配そうな顔をするばかりだった。まあ仕方がない、これから時間をかけて籠絡しよう。
辞去するとき、みどりは外まで見送りに出てくれた。そんな彼女にまだ渡してなかったことを思い出して、名刺を渡した。受け取った彼女は、暗い表情をしていた。きっと俺から逃げ出したいんだろう。けれどどうしても手放したくなかった。
「俺は自分が犯罪者気質だから、警備会社を経営してるんだ。犯罪者がどんな相手をどう狙うかわかるから。同じように、逃亡者がどんなふうに行方をくらませようとするかもわかる。それに職業柄、警察にも犯罪組織にも顔が利くから、逃げようとしても無駄だ」
彼女の顔がゆがんだ。不意に俺にしがみついて、すすり泣いた。胸が苦しくなった。可哀想だった。こんなにも嫌がっているのに、どうして彼女を手放してやれないんだ。
突然、深い理解が全身を貫いた。息が止まる。
ああ。そうか。俺が本当に欲しいのは彼女の笑顔だ。
みどりに幸せになってほしかった。それなのに自分の手で彼女の幸福を打ち砕いた。何もかも、取り返しがつかなかった。謝罪する資格すらなかった。
俺は無言でみどりの頭を撫でた。
召喚される資格はなくなっても俺はヴィランのままで、彼女を不幸にすると知っていても腕の中の存在を離せなかった。
「せっかくの休日にうちに来てていいんですか? お忙しいんでしょう?」
みどりの言葉にとりあわず、俺は「ここ、間違ってる」とノートの問題を指差した。
あれから俺は頻繁に彼女の家を訪ねた。今では彼女の部屋で勉強を教えていても、母親が様子をうかがいに来ることもなくなった。ううう、と呻いて参考書と見比べる彼女にぽつりと声をかける。
「婚約者に会いに来るのが迷惑か」
「婚約者って。……責任なんか取らなくていいよ」
この子は何もわかってない。ヴィランの俺に責任感なんてあるはずがないのに。
「今さら何を言っている。年度初めは忙しいから身内だけになるが、式は挙げるし、国内だが新婚旅行も行く。夏以降に、ちゃんとした披露宴をして新婚旅行に行こう。どこか行きたいところがあれば考えておきなさい」
「んー、龍一郎さんはどこか行きたいところある?」
行きたいところか。俺はふと思い浮かんだ場所を口にした。
「君が撮影した猫集会に行ってみたい」
彼女はまじまじと俺を見て、決然と立ち上がった。
「おかーさーん! 龍一郎さんと空き地に行ってくる〜!」
「勉強は〜?」
台所からずいぶんのんびりした声が響いた。
「帰ってから龍一郎さんに教えてもらうー!」
台所にいた彼女の母親の呆れた顔に頭を下げて、俺は手を引かれるままにみどりについていった。
みどりに先導されて、俺は家と家に挟まれた狭い路地を抜けた。迷路みたいだった。隣接する古い木造住宅の隙間を抜け、両側に高い生け垣がそびえ立つ小道を通る。
不意に目の前が開けた。
住宅地の真ん中、ぽっかりと空いた土地に、たくさんの猫がいた。思い思いにくつろいでいた彼らは、俺を見て低い威嚇の声を上げた。
「怒らないで。この人、私の大切な人なんだ」
大切な人。その言葉が俺の心の中でリフレインした。言葉が通じたわけじゃないだろうに、みどりを見上げて一鳴きすると猫たちは再びくつろいだ。
「エサは何を与えてるんだ」
「エサなんてあげてないよ。そんなことしたら友達じゃなくなっちゃうじゃん」
そのとおりだ。みどりもその両親も、俺の年収を知っても態度を変えなかった。そんなところをさらに好きになった。
俺は空き地の片隅にたたずんで、みどりが猫たち一匹一匹に挨拶するのを見守った。挨拶が終わったみどりが俺の隣に戻る。俺も彼女も何も言わずに、暖かい陽射しと遠くに聞こえる街のざわめき、穏やかな微風を堪能した。刺激はないのに退屈じゃなかった。世界が黄金に輝いて見える。
何もかもが満ち足りていて幸せだった。俺は隣にたたずむ少女を見下ろした。不思議な感動が湧き上がって、何故か目に涙がにじんだ。俺がずっとずっと探し求めていたものは、こんなすぐそばにあったのか。気づくと言葉が口から出ていた。
「みどり。俺と結婚してほしい」
彼女は俺を見上げた。そして泣き笑いを浮かべて頷いた。
「うん……やっと言ってくれたね」
俺はぶざまに喘いだ。ああ、なんて馬鹿なんだ。拒まれるのが怖くて、彼女の両親には結婚を前提とした交際を告げたのに、彼女自身には求婚すらしていなかった。
「いいよ。結婚しよう」
彼女の微笑みが一気に心の中に流れ込んできて溢れかえり、俺は溺れそうになった。これが愛か。煩悩とも貪欲とも執着とも違う、温かい感情に呆然とする。
(愛してる。愛してる。愛してる……)
彼女への気持ちを心の中で繰り返すたびに、透明な音色が反響するようだった。世界には猫たちと俺たち二人だけしかいなかった。俺はそうっと彼女を抱き寄せて、触れるだけの誓いのキスをした。
彼女との交わりは、想像していたのと全然違った。素晴らしかった。はじめは俺が主導権を握っていたのに、いつしか自分のほうが彼女に翻弄された。
俺はソファに押し倒した彼女にキスを繰り返しながら、一枚ずつ服を脱がせた。30歳過ぎて脱がせるだけで興奮する自分に苦笑していたけれど、服を脱がせたあとに現れた実用性一点張りの下着姿を見た途端、頭に血が上った。
初めての相手をこのままソファで抱くわけにはいかない。なんとか理性を取り戻して彼女をベッドに運び、性急に服を脱いだ。ベッドサイドのケースからコンドームを掴み取ってつけていると、俺を見つめていた彼女は微笑んだ。
すごい威力だった。微笑みひとつで、俺のものは痛いほど勃起した。
襲いかかりたいのをこらえて、彼女から下着を丁寧に脱がせていった。真っ白い胸を飾る乳首を夢中で舐めしゃぶる。彼女が恥じらいつつ、抑えきれずに上げた高い声に、さらに興奮した。
34歳にもなって女子高生相手に!
そう思ってもとまらなかった。彼女に悦びを与えたかった。彼女の脚の間に指を侵入させると、相手はハッとして俺の手を掴んだ。
「やめたほうがいいか?」
尋ねると、彼女は困った顔をしつつ手を離した。
「ううん。……ごめんなさい、大丈夫」
かわいそうに。本当は出会ったばかりの男に触られるのは怖いだろうに。
「痛かったら手を上げるんだよ」
そう囁いて彼女のなかをゆっくりとかきまわすと、彼女は呻いて俺にしがみついた。
「痛い?」
「違うの。天堂さん、お願いだからきて」
半泣きで頼む彼女が愛おしかった。脚を開かせて、ゆっくりと彼女の中に入っていった。彼女は健気だった。痛いはずなのに、一度も手を上げなかった。俺にしがみつき、耳たぶや首筋を吸われて恥じらいの声を上げながら、俺を全て飲み込んだ。
何かが砕け散る透明な音が響いても、もう俺は気にしなかった。彼女がヒロインではなくなり、俺がヴィランではなくなっても構わなかった。彼女に包まれて締めつけられながら、動かずに耐えるのはつらかったけれど、彼女に苦痛を与えたくなくて、彼女の体が痛みに慣れるまで待った。
「いいから動いて」
「みどり」
彼女の名前を呼んだ瞬間、彼女は幸せそうに笑った。理解できなかった。会ったばかりの、ろくに知らない男に犯されているのに、どうしてそんな顔ができるんだ。
これ以上は我慢できなかった。俺は夢中で彼女を奪い尽くした。
自分が悪人なのはわかっていた。わかっていてもどうしようもなかった。
平然と人を殺せるヴィランと、若く純真なヒロインが結ばれるなんてありえない。ヒロインの窮地を救い、彼女と愛し合うのはヒーローだと決まっている。それなのに自分は彼女を本来の相手から盗んだ。真っ黒な絶望が俺の全身を飲み込む。いまに、彼女にふさわしいヒーローがみどりの前に現れて、彼女を幸せにするだろう。嫌だ、彼女を失いたくない。どうしたらいいんだ。
俺はゆっくりと彼女から離れた。
「天堂さん、ごめんなさい。あのね、早く出たほうがいいのはわかってるけど、動けないんです。でもってあまり持ち合わせがなくて。本っ当に申し訳ないんですけれど、先に出ていただいてかまわないので、ホテル代だけ払っておいてもらえませんか。動けるようになったら一人で帰るから」
俺はまじまじと彼女を見つめた。何を言っているかわからなかった。一人で帰るって。まさか、本当にもう二度と会わないつもりなのか。俺の表情を誤解したのか、彼女は困った顔で言った。
「大丈夫、あなたが結婚や恋愛向きじゃないのはちゃんとわかってるから。責任取れなんて言わないよ」
責任を取る。
不意に素晴らしいアイデアが浮かび上がって、俺は唇をつりあげた。彼女が怯えて「ヒッ」と悲鳴を上げたけれど、気にしなかった。俺は相手が動けないことをいいことに、彼女の手荷物をあさった。
「ひどい、高校生から財布を奪うの⁉ やだほんとにやめてよ、帰れなくなっちゃうじゃん〜!」
彼女の悲鳴は無視して、財布を探し当てた。そして財布の中に入っていたマイナンバーカード、そのほか定期券や学生手帳を次々にスマホで撮影して、彼女の名前だけでなく自宅住所、生年月日、高校の名前と所在地まで情報を抜き取った。俺は呆然としている彼女を振り返り、優しい声音で言った。
「君の個人情報は押さえた。動けるようになるまでゆっくりしなさい。そうだ、俺が君をきれいに洗ってあげよう。それから君のおうちまで送っていくよ」
「いえ、結構です!」
彼女の言葉なんか、さらさら聞く気はなかった。そうだ、俺はヴィランだ。ヒーローが彼女を救い出しに来るというなら、彼女の夫として、そいつを正面から叩き潰せばいい。
晴れ晴れとした気持ちに、俺は声を上げて笑った。
俺なんかと結婚したら、彼女は一生幸せになれない。その事実はあえて無視した。
俺は彼女を自宅まで送り届けると、ご家族に結婚を前提とした交際を申し込んだ。
彼女の両親は不安そうな顔をした。当然だ、どこの誰とも知らない中年男が女子高生の娘に手を出したんだ、俺なら相手を殺す。
俺はできるだけ誠実そうな表情を作り、名刺を渡した。自分の会社のサイトも見せて、売上高や本社の場所、利益、純資産を説明したけれど、二人ともさらに心配そうな顔をするばかりだった。まあ仕方がない、これから時間をかけて籠絡しよう。
辞去するとき、みどりは外まで見送りに出てくれた。そんな彼女にまだ渡してなかったことを思い出して、名刺を渡した。受け取った彼女は、暗い表情をしていた。きっと俺から逃げ出したいんだろう。けれどどうしても手放したくなかった。
「俺は自分が犯罪者気質だから、警備会社を経営してるんだ。犯罪者がどんな相手をどう狙うかわかるから。同じように、逃亡者がどんなふうに行方をくらませようとするかもわかる。それに職業柄、警察にも犯罪組織にも顔が利くから、逃げようとしても無駄だ」
彼女の顔がゆがんだ。不意に俺にしがみついて、すすり泣いた。胸が苦しくなった。可哀想だった。こんなにも嫌がっているのに、どうして彼女を手放してやれないんだ。
突然、深い理解が全身を貫いた。息が止まる。
ああ。そうか。俺が本当に欲しいのは彼女の笑顔だ。
みどりに幸せになってほしかった。それなのに自分の手で彼女の幸福を打ち砕いた。何もかも、取り返しがつかなかった。謝罪する資格すらなかった。
俺は無言でみどりの頭を撫でた。
召喚される資格はなくなっても俺はヴィランのままで、彼女を不幸にすると知っていても腕の中の存在を離せなかった。
「せっかくの休日にうちに来てていいんですか? お忙しいんでしょう?」
みどりの言葉にとりあわず、俺は「ここ、間違ってる」とノートの問題を指差した。
あれから俺は頻繁に彼女の家を訪ねた。今では彼女の部屋で勉強を教えていても、母親が様子をうかがいに来ることもなくなった。ううう、と呻いて参考書と見比べる彼女にぽつりと声をかける。
「婚約者に会いに来るのが迷惑か」
「婚約者って。……責任なんか取らなくていいよ」
この子は何もわかってない。ヴィランの俺に責任感なんてあるはずがないのに。
「今さら何を言っている。年度初めは忙しいから身内だけになるが、式は挙げるし、国内だが新婚旅行も行く。夏以降に、ちゃんとした披露宴をして新婚旅行に行こう。どこか行きたいところがあれば考えておきなさい」
「んー、龍一郎さんはどこか行きたいところある?」
行きたいところか。俺はふと思い浮かんだ場所を口にした。
「君が撮影した猫集会に行ってみたい」
彼女はまじまじと俺を見て、決然と立ち上がった。
「おかーさーん! 龍一郎さんと空き地に行ってくる〜!」
「勉強は〜?」
台所からずいぶんのんびりした声が響いた。
「帰ってから龍一郎さんに教えてもらうー!」
台所にいた彼女の母親の呆れた顔に頭を下げて、俺は手を引かれるままにみどりについていった。
みどりに先導されて、俺は家と家に挟まれた狭い路地を抜けた。迷路みたいだった。隣接する古い木造住宅の隙間を抜け、両側に高い生け垣がそびえ立つ小道を通る。
不意に目の前が開けた。
住宅地の真ん中、ぽっかりと空いた土地に、たくさんの猫がいた。思い思いにくつろいでいた彼らは、俺を見て低い威嚇の声を上げた。
「怒らないで。この人、私の大切な人なんだ」
大切な人。その言葉が俺の心の中でリフレインした。言葉が通じたわけじゃないだろうに、みどりを見上げて一鳴きすると猫たちは再びくつろいだ。
「エサは何を与えてるんだ」
「エサなんてあげてないよ。そんなことしたら友達じゃなくなっちゃうじゃん」
そのとおりだ。みどりもその両親も、俺の年収を知っても態度を変えなかった。そんなところをさらに好きになった。
俺は空き地の片隅にたたずんで、みどりが猫たち一匹一匹に挨拶するのを見守った。挨拶が終わったみどりが俺の隣に戻る。俺も彼女も何も言わずに、暖かい陽射しと遠くに聞こえる街のざわめき、穏やかな微風を堪能した。刺激はないのに退屈じゃなかった。世界が黄金に輝いて見える。
何もかもが満ち足りていて幸せだった。俺は隣にたたずむ少女を見下ろした。不思議な感動が湧き上がって、何故か目に涙がにじんだ。俺がずっとずっと探し求めていたものは、こんなすぐそばにあったのか。気づくと言葉が口から出ていた。
「みどり。俺と結婚してほしい」
彼女は俺を見上げた。そして泣き笑いを浮かべて頷いた。
「うん……やっと言ってくれたね」
俺はぶざまに喘いだ。ああ、なんて馬鹿なんだ。拒まれるのが怖くて、彼女の両親には結婚を前提とした交際を告げたのに、彼女自身には求婚すらしていなかった。
「いいよ。結婚しよう」
彼女の微笑みが一気に心の中に流れ込んできて溢れかえり、俺は溺れそうになった。これが愛か。煩悩とも貪欲とも執着とも違う、温かい感情に呆然とする。
(愛してる。愛してる。愛してる……)
彼女への気持ちを心の中で繰り返すたびに、透明な音色が反響するようだった。世界には猫たちと俺たち二人だけしかいなかった。俺はそうっと彼女を抱き寄せて、触れるだけの誓いのキスをした。