貴公子アドニスの結婚

愛はありません

アドニスの目の前がパーッと晴れ渡ったような気がした。
「愛、愛か」
なるほど、愛。
自分の人生で、誰かを愛することなど無いと思っていた。
だが、これほどニケに執着し、彼女以外を嫌だと思うのは、彼女を愛しているからに他ならない。
「そうか、私はそなたを愛し、」
「いいえ」
目を輝かせて見上げるアドニスを、ニケは否定した。

「…ニケ?」
「貴方は私を愛してなんかいないわ。だって貴方は自分しか愛せない人だもの」
「そんなことはない、私は、」
「そうね。たしかに貴方はフィリア様だけは愛していたかもしれないわ。でもそれは、フィリア様が唯一自分より美しいと認めた女性だったからよ」
「それは違う。私はたしかにフィリア様を慕い、彼女の護衛騎士を望み、その仕事に誇りを感じてはいるが、」
「ええ。妻も子供も顧みないほどね」
「それは…」
言葉を飲み込んで、アドニスは俯いた。
たしかに、アドニスはいついかなる時も妻より王太子妃を優先してきた。
しかしこれが愛ならば、自分はフィリアに恋焦がれていたか?
フィリアの夫である王太子に嫉妬したりしただろうか。
いや、仲睦まじい王太子夫妻を見て、微笑ましく思っていたはずだ。
だったら…。
アドニスは再びニケを見上げた。

あんなに酷い条件を提示したのにそれを飲んで寄り添ってくれた妻。
垢抜けない田舎令嬢だったにも関わらず、アドニスに相応しくあろうと、美しく洗練された淑女となった妻。
可愛い娘と、そして嫡男を生んでくれた妻。
たしかに夜の営み以外はずっと放置してきたかもしれないが、それは、それが悪いことだとアドニス自身が全く思っていなかったからだ。
フィリアに対する思慕とニケに対する想いは違う。
今だって、目の前にいるニケを自分は抱きしめたいと、キスしたいと思う。
この想いはきっと…。
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