花婿が差し替えられました
「本当に大きくなったなぁ」
クロードはタロの頭を撫でながら目尻を下げた。
仔犬の成長は早い。
推定生後五ヶ月弱だと思われるタロは、もうだいぶ成犬の大きさに近づいているようだ。
ただ、体は大きくなっても性格はまだまだ子どもで、タロはクロードに遊んで欲しくてずっと足元にじゃれついている。
「そう言えば、サンフォース領にもタロを連れて行ったのですか?」
「もちろんですわ。家族ですもの」
クロードの質問に、アリスは胸を張って答えた。
(家族か…)
それを聞いたクロードは苦笑する。
クロードだってアリスの家族なのだが、里帰りの頭数に自分は入っていないのだ。
しかも里帰りと言えば、三兄レイモンがアリスの父を訪ね、馬鹿なことを言って来たらしい。
「ナルシスといいレイモンといい、長兄パトリス以外に俺には碌な兄がいない。本当に恥ずかしい限りです。貴女には迷惑ばかりかけて…」
そう言って頭を下げると、アリスは笑って首を横に振った。
たしかにレイモンの求婚には非常識過ぎて驚いたが、その件についてはコラール侯爵家から早急に謝罪があった。
悪く言えば嫡男パトリスのスペアであったレイモンは、そのことにずっと不満があったらしい。
そして最近ついにパトリスの妻が懐妊しいよいよ侯爵家から出されるにあたって、自分よりいい思いをしているだろうクロードが憎くなったのだ。
(全然いい思いなんてしていないのに…)
アリスはそう思いながらクロードの顔を見つめた。
彼は全然いい思いなんてしていないし、思い通りにも生きていない。
本来なら何も背負うものなく、もっと身軽に護衛騎士に専念できたはずなのに…。
そう思った瞬間、レイモンが言っていた言葉が蘇ってきた。
クロードがテルル語が堪能なのも、ダンスが上手くなったのも、全てはルイーズのためだったという言葉が。
(だって、初恋の人だもの…)
「どうかしましたか?」
黙ってクロードを見つめていたアリスを、彼が顔を覗き込むようにしてたずねた。
「いいえ、なんでも…」
アリスはそう言って小さく笑った。
「そう言えばね、アリス。来月国王陛下主催の天覧試合があって、俺もエントリーしてるんです」
なんとなく沈んだ空気を変えようと思ったのか、クロードが話題を変えた。
「天覧試合…、ですか?」
アリスは小首を傾げた。
そういうものがあるのは知っていたが、今まで武闘派貴族と関わりのなかったアリスは気に留めたことがなかったのだ。
アリスの周囲にいる武闘派は、諜報部隊や傭兵上がりの実践派ばかりのせいもある。
「旦那様は…、何に出場なさるの?」
一口に試合と言っても、剣術や馬術、柔術など色々あるのだろう。
「俺はもちろん騎馬試合ですよ」
クロードが少し自慢げに答える。
「まぁ…」
馬に乗って剣を闘わせる騎馬試合は、武術の中の花形だ。
しかも彼のこの見た目。
きっと観覧目的で集まった貴族令嬢たちが、きゃあきゃあ騒ぐことだろう。
「予選で勝たないと陛下の御前では試合が出来ないんですけどね」
「旦那様は…お強いのですか?」
「21歳以下の部に出るんですが。そこではいちおう優勝候補に名前が上がっています」
「まぁ、すごい!」
「優勝すると金一封と何か褒美がもらえるようです。何か欲しいものがあれば考えておいてくださいね」
クロードははにかむように笑うと、そう言った。
「でもそれは…危なくはないんですか?」
アリスは心配そうにクロードを見上げた。
試合とは言え、闘いなのだ。
怪我をしたり、運が悪ければ命を失うことだってあると聞く。
「大丈夫ですよ。これでも俺、体も頑丈ですから」
「私は…、何も欲しくありませんわ。旦那様が無事でお帰りになったら、それが一番です」
「アリス…」
クロードは感動したように体を前のめりにさせると、アリスの両手を自分の両手で包み込んだ。
「見に来てください、アリス。今回は、貴女のために頑張ります」
「ダメですよ旦那様。自分のために頑張ってください。絶対に怪我なんてしないでくださいね」
「はい、必ず」
クロードはそっとアリスの右手を取ると、その甲に口付けた。
そして顔を上げると、満面の笑みを浮かべた。
「アリス…、試合が終わったら、貴女に話したいことがあります」
「話…、ですか?」
話なら最近毎日のようにしているが、こんな風に言うということは、きっと重要な話なのだろう。
「…わかりましたわ」
アリスは小さく笑って頷いた。
晩餐の準備ができたと声をかけに来たフェリシーは、扉の前で逡巡していた。
漏れ聞こえてきた二人の会話が、甘過ぎて、砂を吐きそうになっていたのである。
この二人、離縁前提だなどと言っていたが、一体どうするつもりなのだろう。
すでにお互いかけがえのない存在になっていることに、気づいていないのだろうか。
「世話の焼けるご主人様だわ…」
できる侍女フェリシーは、二人の甘さが落ち着くまで扉の前で待機するのだった。
◇◇◇
晩餐がすんで少しお茶を飲みながら会話をし、そしてそれぞれの寝室に帰る。
最近の、二人のルーティンである。
フェリシーはアリスの髪をすきながら、先程二人から漏れ聞こえてきた天覧試合の話をした。
「旦那様が優勝したら、何をお望みになるのでしょうね」
「さぁ…、何かしらね」
アリスは小首を傾げ小さく笑った。
「王女様の護衛騎士になる夢は叶ってしまったし…。まだ既婚者である身で、王女様を欲しいなんて言えるわけないしね…」
「………は?今何ておっしゃいましたか?お嬢様」
フェリシーは目を見開いてアリスを問いただした。
「え……?」
きょとんと首を傾げるアリスに、フェリシーはため息をついた。
(伝わってない!全然伝わってない!旦那様お可哀想!)
明日もクロードは日勤で、また晩餐を一緒にと約束している。
なんだか新婚をやり直しているかのようで、むずぐったくなる。
(この穏やかな日がずっと続いてくれればいいのに…)
そんなことを祈りながら、アリスは静かに瞳をとじた。
クロードはタロの頭を撫でながら目尻を下げた。
仔犬の成長は早い。
推定生後五ヶ月弱だと思われるタロは、もうだいぶ成犬の大きさに近づいているようだ。
ただ、体は大きくなっても性格はまだまだ子どもで、タロはクロードに遊んで欲しくてずっと足元にじゃれついている。
「そう言えば、サンフォース領にもタロを連れて行ったのですか?」
「もちろんですわ。家族ですもの」
クロードの質問に、アリスは胸を張って答えた。
(家族か…)
それを聞いたクロードは苦笑する。
クロードだってアリスの家族なのだが、里帰りの頭数に自分は入っていないのだ。
しかも里帰りと言えば、三兄レイモンがアリスの父を訪ね、馬鹿なことを言って来たらしい。
「ナルシスといいレイモンといい、長兄パトリス以外に俺には碌な兄がいない。本当に恥ずかしい限りです。貴女には迷惑ばかりかけて…」
そう言って頭を下げると、アリスは笑って首を横に振った。
たしかにレイモンの求婚には非常識過ぎて驚いたが、その件についてはコラール侯爵家から早急に謝罪があった。
悪く言えば嫡男パトリスのスペアであったレイモンは、そのことにずっと不満があったらしい。
そして最近ついにパトリスの妻が懐妊しいよいよ侯爵家から出されるにあたって、自分よりいい思いをしているだろうクロードが憎くなったのだ。
(全然いい思いなんてしていないのに…)
アリスはそう思いながらクロードの顔を見つめた。
彼は全然いい思いなんてしていないし、思い通りにも生きていない。
本来なら何も背負うものなく、もっと身軽に護衛騎士に専念できたはずなのに…。
そう思った瞬間、レイモンが言っていた言葉が蘇ってきた。
クロードがテルル語が堪能なのも、ダンスが上手くなったのも、全てはルイーズのためだったという言葉が。
(だって、初恋の人だもの…)
「どうかしましたか?」
黙ってクロードを見つめていたアリスを、彼が顔を覗き込むようにしてたずねた。
「いいえ、なんでも…」
アリスはそう言って小さく笑った。
「そう言えばね、アリス。来月国王陛下主催の天覧試合があって、俺もエントリーしてるんです」
なんとなく沈んだ空気を変えようと思ったのか、クロードが話題を変えた。
「天覧試合…、ですか?」
アリスは小首を傾げた。
そういうものがあるのは知っていたが、今まで武闘派貴族と関わりのなかったアリスは気に留めたことがなかったのだ。
アリスの周囲にいる武闘派は、諜報部隊や傭兵上がりの実践派ばかりのせいもある。
「旦那様は…、何に出場なさるの?」
一口に試合と言っても、剣術や馬術、柔術など色々あるのだろう。
「俺はもちろん騎馬試合ですよ」
クロードが少し自慢げに答える。
「まぁ…」
馬に乗って剣を闘わせる騎馬試合は、武術の中の花形だ。
しかも彼のこの見た目。
きっと観覧目的で集まった貴族令嬢たちが、きゃあきゃあ騒ぐことだろう。
「予選で勝たないと陛下の御前では試合が出来ないんですけどね」
「旦那様は…お強いのですか?」
「21歳以下の部に出るんですが。そこではいちおう優勝候補に名前が上がっています」
「まぁ、すごい!」
「優勝すると金一封と何か褒美がもらえるようです。何か欲しいものがあれば考えておいてくださいね」
クロードははにかむように笑うと、そう言った。
「でもそれは…危なくはないんですか?」
アリスは心配そうにクロードを見上げた。
試合とは言え、闘いなのだ。
怪我をしたり、運が悪ければ命を失うことだってあると聞く。
「大丈夫ですよ。これでも俺、体も頑丈ですから」
「私は…、何も欲しくありませんわ。旦那様が無事でお帰りになったら、それが一番です」
「アリス…」
クロードは感動したように体を前のめりにさせると、アリスの両手を自分の両手で包み込んだ。
「見に来てください、アリス。今回は、貴女のために頑張ります」
「ダメですよ旦那様。自分のために頑張ってください。絶対に怪我なんてしないでくださいね」
「はい、必ず」
クロードはそっとアリスの右手を取ると、その甲に口付けた。
そして顔を上げると、満面の笑みを浮かべた。
「アリス…、試合が終わったら、貴女に話したいことがあります」
「話…、ですか?」
話なら最近毎日のようにしているが、こんな風に言うということは、きっと重要な話なのだろう。
「…わかりましたわ」
アリスは小さく笑って頷いた。
晩餐の準備ができたと声をかけに来たフェリシーは、扉の前で逡巡していた。
漏れ聞こえてきた二人の会話が、甘過ぎて、砂を吐きそうになっていたのである。
この二人、離縁前提だなどと言っていたが、一体どうするつもりなのだろう。
すでにお互いかけがえのない存在になっていることに、気づいていないのだろうか。
「世話の焼けるご主人様だわ…」
できる侍女フェリシーは、二人の甘さが落ち着くまで扉の前で待機するのだった。
◇◇◇
晩餐がすんで少しお茶を飲みながら会話をし、そしてそれぞれの寝室に帰る。
最近の、二人のルーティンである。
フェリシーはアリスの髪をすきながら、先程二人から漏れ聞こえてきた天覧試合の話をした。
「旦那様が優勝したら、何をお望みになるのでしょうね」
「さぁ…、何かしらね」
アリスは小首を傾げ小さく笑った。
「王女様の護衛騎士になる夢は叶ってしまったし…。まだ既婚者である身で、王女様を欲しいなんて言えるわけないしね…」
「………は?今何ておっしゃいましたか?お嬢様」
フェリシーは目を見開いてアリスを問いただした。
「え……?」
きょとんと首を傾げるアリスに、フェリシーはため息をついた。
(伝わってない!全然伝わってない!旦那様お可哀想!)
明日もクロードは日勤で、また晩餐を一緒にと約束している。
なんだか新婚をやり直しているかのようで、むずぐったくなる。
(この穏やかな日がずっと続いてくれればいいのに…)
そんなことを祈りながら、アリスは静かに瞳をとじた。