角砂糖が溶けるように
3-3 図書館にて
翌日、午前中いっぱいを文化祭の片づけに費やした。ある程度は昨日のうちに片付けていたらしいが、色とりどりのチョークで絵を描いたあとの黒板はなかなか綺麗にはなっておらず、細かい飾り付けもまだあちこちに残されていた。
「よー麻奈美、昨日どうしたんだ?」
ようやく片づけを終えて友人たちと弁当を広げている麻奈美に近付いてきたのは修二。彼はすでに食事を終えていて、近くの席に腰を下ろした。
「あ、そうだ、昨日どうしたの?」
麻奈美が早退した理由は、友人たちにもまだ伝えていなかった。
「んー……うちのおじいちゃん、入院したの」
「え? どうして? 大丈夫なの?」
「俺、前に噂で聞いたんだけど、麻奈美のじーちゃんって、元ここの教師なんだろ?」
「うん。──なんで知ってるの?」
「いつだったかなぁ。確かうちのばーちゃんと話してる時に麻奈美の話になって、そのときに聞いた気がする」
ふぅん、と相槌を打ちながら、麻奈美は最後のおかずを口に入れた。空になった弁当箱を片づけながら、友人たちが平太郎の噂話をしているのを遠くで聞いた。今の麻奈美は平太郎の怪我よりも、今日の放課後のほうが心配だった。
「今日、俺クラブないからさ、お見舞い行こうか?」
修二は平太郎と面識があるので本当に心配そうな顔をしていた。
「行くなら一人で行ってね、私、用事あるから」
「えー麻奈美がいないと意味ないし!」
「どうして? お見舞いすることに意義があるんじゃないの?」
一緒に聞いている千秋と芳恵も、その通りだ、と何度か頷いた。
「そうだ、私たちも行こうかな。挨拶もまだしてないし」
「えーいいよいいよ、そんな丁寧にしなくても」
気持ちだけで十分だ、と麻奈美は言ったけれど、結局は三人が放課後に平太郎の見舞いに行くことに話が向けられた。
「で、どこの病院?」
麻奈美が教えるのを千秋がメモをとり、修二は「じゃ、放課後な!」と言って友人たちのところへ戻って行った。
「お祖父さん、川瀬さんでいいんだよね?」
「うん。平太郎」
「で、麻奈美ちゃん、用事ってなに?」
「え? 用事?」
周りに人がいないのを確認してから芳恵が聞いてきた。
「すごい深刻そうな顔してるんだけど。朝からずっとだよ」
「そ、そう? 別に、いつも通りだけど」
と言いながらも、麻奈美は友人たちの顔をまともに見ることは出来なかった。芝原に会えるのが嬉しくて、だけどその理由がわからなくて、嬉しい半面、複雑だった。
「いつもと違うからため息が多いんでしょ」
やっぱり、友人たちには嘘は通用しないらしく、麻奈美は今日の放課後の予定を簡単に打ち明けた。理由はわからないけれど、芝原に呼び出されたこと。
「やった、デートだ!」
「ちょ、違うって!」
「トリプルデート実現できる!」
「だ、もう! 違うよ絶対、そんなんじゃないよ!」
デートの待ち合わせ場所が図書館であるわけがない。と言うより、あって欲しくない。それに芝原には、ずっと前から好きな人がいるんだ。麻奈美はただの、平太郎の孫なんだ。そう言い聞かせながら胸の奥が痛むのは、気のせいだと思いたかった。
芝原は、本当に、麻奈美に何の用があるんだろうか。
千秋と芳恵が昼休みの間ずっと勝手なことを言っているから、午後の授業にはほとんど集中出来なかった。しかも苦手な数学の授業だったので、次の家庭教師のときに良子に教えてもらうことにした。
放課後、麻奈美は友人たちが病院へ向かったのを確認してから図書館へ急いだ。星城からは少し離れ、どちらかというと大夢の近くになる。
中に入ってから、麻奈美は芝原の姿を探した。
(えーっと、どこだろう……歴史の辺りかな)
読みやすい文庫本が並んだ棚を通り過ぎて、わりと奥まったところに歴史のコーナーはあった。今まで入ったことのない通路なので、緊張しながら足を進めた。ほとんど借りられていなさそうな綺麗な表紙が所狭しと並んでいた。
「あっ、いた……芝原さん」
「ん? ああ、麻奈美ちゃん。ちょっと待ってて、これ借りてくるから。あ──外に出よう、ここじゃ話せないから」
芝原は数冊の本を抱えてカウンターへ向かい、借りている間、麻奈美は近くで待っていた。貸し出しが終わって外に出ながら、麻奈美は聞いた。
「それ、勉強用、ですか?」
「まあね。学校の本は、だいたい読んじゃったから……でもやっぱり、学校の図書館のほうが文献は揃ってるかな」
「ふぅん……難しそうな本ですね」
「ははは。確かに、麻奈美ちゃんには難しいと思うよ。大人でも全部理解できる人ってそんなにいないんじゃないかな」
芝原と並んで歩きながら、麻奈美はふと出会ったときのことを思い出した。あまり愛想が良いとは言えなかった彼が、だんだん口をきくようになり、今はものすごく笑顔で隣にいる。そして、平太郎と良子が麻奈美に隠していること──。最初の頃のままなら想像出来なくもなかったが、こんなに爽やかな芝原からは、全く想像しようがない。
「ん? どうかした?」
「い、いえ、何も……。あ──あの、今日は何かあるんですか?」
「そうそう、肝心なこと忘れてた。ちょっと話がしたいんだけど、どこか座れるところないかな。うーん……」
芝原はしばらく考えていたが、この町にはそういう喫茶店がほとんどなかった。都心部ならまだしも、住宅街には大夢以外にない。
「ごめん、誘っといて良い場所思いつかない……」
「うち来ますか? 何もないですけど」
「よー麻奈美、昨日どうしたんだ?」
ようやく片づけを終えて友人たちと弁当を広げている麻奈美に近付いてきたのは修二。彼はすでに食事を終えていて、近くの席に腰を下ろした。
「あ、そうだ、昨日どうしたの?」
麻奈美が早退した理由は、友人たちにもまだ伝えていなかった。
「んー……うちのおじいちゃん、入院したの」
「え? どうして? 大丈夫なの?」
「俺、前に噂で聞いたんだけど、麻奈美のじーちゃんって、元ここの教師なんだろ?」
「うん。──なんで知ってるの?」
「いつだったかなぁ。確かうちのばーちゃんと話してる時に麻奈美の話になって、そのときに聞いた気がする」
ふぅん、と相槌を打ちながら、麻奈美は最後のおかずを口に入れた。空になった弁当箱を片づけながら、友人たちが平太郎の噂話をしているのを遠くで聞いた。今の麻奈美は平太郎の怪我よりも、今日の放課後のほうが心配だった。
「今日、俺クラブないからさ、お見舞い行こうか?」
修二は平太郎と面識があるので本当に心配そうな顔をしていた。
「行くなら一人で行ってね、私、用事あるから」
「えー麻奈美がいないと意味ないし!」
「どうして? お見舞いすることに意義があるんじゃないの?」
一緒に聞いている千秋と芳恵も、その通りだ、と何度か頷いた。
「そうだ、私たちも行こうかな。挨拶もまだしてないし」
「えーいいよいいよ、そんな丁寧にしなくても」
気持ちだけで十分だ、と麻奈美は言ったけれど、結局は三人が放課後に平太郎の見舞いに行くことに話が向けられた。
「で、どこの病院?」
麻奈美が教えるのを千秋がメモをとり、修二は「じゃ、放課後な!」と言って友人たちのところへ戻って行った。
「お祖父さん、川瀬さんでいいんだよね?」
「うん。平太郎」
「で、麻奈美ちゃん、用事ってなに?」
「え? 用事?」
周りに人がいないのを確認してから芳恵が聞いてきた。
「すごい深刻そうな顔してるんだけど。朝からずっとだよ」
「そ、そう? 別に、いつも通りだけど」
と言いながらも、麻奈美は友人たちの顔をまともに見ることは出来なかった。芝原に会えるのが嬉しくて、だけどその理由がわからなくて、嬉しい半面、複雑だった。
「いつもと違うからため息が多いんでしょ」
やっぱり、友人たちには嘘は通用しないらしく、麻奈美は今日の放課後の予定を簡単に打ち明けた。理由はわからないけれど、芝原に呼び出されたこと。
「やった、デートだ!」
「ちょ、違うって!」
「トリプルデート実現できる!」
「だ、もう! 違うよ絶対、そんなんじゃないよ!」
デートの待ち合わせ場所が図書館であるわけがない。と言うより、あって欲しくない。それに芝原には、ずっと前から好きな人がいるんだ。麻奈美はただの、平太郎の孫なんだ。そう言い聞かせながら胸の奥が痛むのは、気のせいだと思いたかった。
芝原は、本当に、麻奈美に何の用があるんだろうか。
千秋と芳恵が昼休みの間ずっと勝手なことを言っているから、午後の授業にはほとんど集中出来なかった。しかも苦手な数学の授業だったので、次の家庭教師のときに良子に教えてもらうことにした。
放課後、麻奈美は友人たちが病院へ向かったのを確認してから図書館へ急いだ。星城からは少し離れ、どちらかというと大夢の近くになる。
中に入ってから、麻奈美は芝原の姿を探した。
(えーっと、どこだろう……歴史の辺りかな)
読みやすい文庫本が並んだ棚を通り過ぎて、わりと奥まったところに歴史のコーナーはあった。今まで入ったことのない通路なので、緊張しながら足を進めた。ほとんど借りられていなさそうな綺麗な表紙が所狭しと並んでいた。
「あっ、いた……芝原さん」
「ん? ああ、麻奈美ちゃん。ちょっと待ってて、これ借りてくるから。あ──外に出よう、ここじゃ話せないから」
芝原は数冊の本を抱えてカウンターへ向かい、借りている間、麻奈美は近くで待っていた。貸し出しが終わって外に出ながら、麻奈美は聞いた。
「それ、勉強用、ですか?」
「まあね。学校の本は、だいたい読んじゃったから……でもやっぱり、学校の図書館のほうが文献は揃ってるかな」
「ふぅん……難しそうな本ですね」
「ははは。確かに、麻奈美ちゃんには難しいと思うよ。大人でも全部理解できる人ってそんなにいないんじゃないかな」
芝原と並んで歩きながら、麻奈美はふと出会ったときのことを思い出した。あまり愛想が良いとは言えなかった彼が、だんだん口をきくようになり、今はものすごく笑顔で隣にいる。そして、平太郎と良子が麻奈美に隠していること──。最初の頃のままなら想像出来なくもなかったが、こんなに爽やかな芝原からは、全く想像しようがない。
「ん? どうかした?」
「い、いえ、何も……。あ──あの、今日は何かあるんですか?」
「そうそう、肝心なこと忘れてた。ちょっと話がしたいんだけど、どこか座れるところないかな。うーん……」
芝原はしばらく考えていたが、この町にはそういう喫茶店がほとんどなかった。都心部ならまだしも、住宅街には大夢以外にない。
「ごめん、誘っといて良い場所思いつかない……」
「うち来ますか? 何もないですけど」