角砂糖が溶けるように
3-7 飾られた写真
大夢の手伝いをしないのなら一緒に遊びに行かないか?
という友人たちの誘いを麻奈美はいつも断った。
もちろん、高校生らしく、みんなと一緒に遊びたいという気持ちはある。いろんなところに出かけて行って、買い物したいとも思う。
けれど今まで大夢で働いていた麻奈美にはそれが日常になってしまっていて、今さら違う生活を送ることはできなかった。
「それが良いんじゃないのか? そういうところが」
「前はもう少し、アクティブだった気がするんだけどなぁ」
母の光恵が平太郎を見舞ったとき、二人はそんな話をしていた。
平太郎は麻奈美に店に行くように強要したわけではないし、光恵も「そんなに毎日行かなくても大丈夫じゃないの?」といつも言っている。
「麻奈美は今もじゅうぶん元気だよ。店でもいつも元気にやってる。三ちゃんやチヨさんにも、他のお客さんにも愛想が良いと評判でね」
「ふぅん。あ、ねぇ、芝原さんて人、麻奈美とはどうなの?」
その質問を予想していたいのか、平太郎は特に表情を変えなかった。
「さあな。仲は良いみたいだが……」
「でも確か、好きな人がいるのよねぇ。諦めるかぁ」
「麻奈美のことは麻奈美が決めれば良いんじゃないか?」
他人事のように言いながらも、平太郎は笑っていた。
「麻奈美も多少は気になってるみたいだけどね……こないだ修二君たちが来てくれたときに言ってたよ、芝原に好きな人がいるって聞いてからしばらく元気なかったって」
「やっぱり、私の勘は当たってたのね」
「勘? なんだ?」
「もう! 麻奈美は芝原さんが好きなのよ」
「でも麻奈美は──なかなかそれを認めないみたいだぞ」
「……怖いのよ、きっと。歳も離れてるし。ああ、でも、結局ダメなのかぁ」
「母親がそこまで悲しまなくても良いんじゃないか?」
「そんなことないわ。麻奈美にも早く良い人を見つけてもらわないと。お義父さんは十八で結婚して、私も二十三だったの。麻奈美もそろそろなのよ」
前にもこの話を聞いたことがあったな、と平太郎は思った。
まだ桜も三分咲きくらいの、麻奈美が中学を卒業する前のことだった。店に顔を出しに来て、母親が先の話をして困っている、と言っていた。
「昔──私がまだ教師だった頃、芝原の話をしたのを覚えてるか?」
平太郎の声には重みがあった。麻奈美と芝原のことを妄想していた光恵も、その顔をやめた。
「それがあんまり覚えてないのよね。聞いたような気はするんだけど……確か、お義父さんが担任したのよね」
「ああ……一年間、教師生活最後の年だった」
「どんな生徒だったの? 優等生?」
光恵は笑顔で聞いたけれど、平太郎の表情はさっきと変わっていなかった。
包帯で巻かれた足を見つめ、ため息をついた。
「あの時からだよ。ちょうど今くらいの季節だった。芝原は、あの時から変わったんだよ。あいつがどんな生徒だったか、言ったところで誰も信じないだろうな」
「どう変わったの? ものすごく良い人にしか思えないんだけど」
「浅岡先生も──中学の同級生らしいんだが、変わりぶりにびっくりしてたよ。だがな……詳しいことは、私からは言えない」
「麻奈美は知ってるの?」
「いや、知らんよ。聞かれることは何回もあったけど、私は教えなかった。先生にも聞いたらしいけど、やっぱり教えてくれなかったそうだ。本人には、聞けないだろうな」
「私には教え──」
「教えない。芝原の過去のことは一年以内にわかるだろう、って浅岡先生が麻奈美に言ったそうだ。麻奈美が気づくか、あるいは、自分から話すだろう。どっちにしろ、芝原にとってそれは辛いだろうな。だから、麻奈美に助けを頼んだ」
平太郎が個室に入っているのは、本人以上に芝原が希望したためだった。
普段から多くの人と接している平太郎にとっては少々寂しいかもしれないが、誰が来ても周りを気にせず話せることには感謝していた。
「あいつは……今は本当に良い奴だよ。昔のお礼だって言って毎日来てくれるが、こっちはそれ以上に助けられてる。何としてでも、前へ進ませてやりたい」
「昔のことはわからないけど、本当にそうね。ねぇ、私に出来ることないかしら?」
「ふむ……」
いつの間にか話を変えられていたことにも気付かず、光恵は芝原の役に立てそうなことを考えていた。
「なかなか思いつかないわねぇ」
「それなら、料理でも作ってやったらどうだ? こないだ注意したからちゃんと食べてるとは思うんだが、朝から何も食べずにいることがあるんだ。何でもいいさ。うちの店も、材料も何でも使って良いぞ」
そんな話をしているうちに大夢の常連客が見舞いに来て、光恵は面識のない人だったのでそのまま病院を出て家に帰った。
「ただいま」
と玄関で言ってみたが、家にはこの時間、誰もいない。父親はもちろん仕事で麻奈美もまだ学校だ。授業が終わっていたとしても、最近は制服のまま店に直行しているのは知っている。
「ほんとに、好きなのねぇ」
みんなが帰って来る前に、と家中に掃除機をかけながら、光恵は麻奈美の部屋に飾られた大夢での写真を手に取った。
バースデーケーキの横でプレゼントを抱えて笑う麻奈美は、ほんの少しだけ芝原に寄りかかっていた。
という友人たちの誘いを麻奈美はいつも断った。
もちろん、高校生らしく、みんなと一緒に遊びたいという気持ちはある。いろんなところに出かけて行って、買い物したいとも思う。
けれど今まで大夢で働いていた麻奈美にはそれが日常になってしまっていて、今さら違う生活を送ることはできなかった。
「それが良いんじゃないのか? そういうところが」
「前はもう少し、アクティブだった気がするんだけどなぁ」
母の光恵が平太郎を見舞ったとき、二人はそんな話をしていた。
平太郎は麻奈美に店に行くように強要したわけではないし、光恵も「そんなに毎日行かなくても大丈夫じゃないの?」といつも言っている。
「麻奈美は今もじゅうぶん元気だよ。店でもいつも元気にやってる。三ちゃんやチヨさんにも、他のお客さんにも愛想が良いと評判でね」
「ふぅん。あ、ねぇ、芝原さんて人、麻奈美とはどうなの?」
その質問を予想していたいのか、平太郎は特に表情を変えなかった。
「さあな。仲は良いみたいだが……」
「でも確か、好きな人がいるのよねぇ。諦めるかぁ」
「麻奈美のことは麻奈美が決めれば良いんじゃないか?」
他人事のように言いながらも、平太郎は笑っていた。
「麻奈美も多少は気になってるみたいだけどね……こないだ修二君たちが来てくれたときに言ってたよ、芝原に好きな人がいるって聞いてからしばらく元気なかったって」
「やっぱり、私の勘は当たってたのね」
「勘? なんだ?」
「もう! 麻奈美は芝原さんが好きなのよ」
「でも麻奈美は──なかなかそれを認めないみたいだぞ」
「……怖いのよ、きっと。歳も離れてるし。ああ、でも、結局ダメなのかぁ」
「母親がそこまで悲しまなくても良いんじゃないか?」
「そんなことないわ。麻奈美にも早く良い人を見つけてもらわないと。お義父さんは十八で結婚して、私も二十三だったの。麻奈美もそろそろなのよ」
前にもこの話を聞いたことがあったな、と平太郎は思った。
まだ桜も三分咲きくらいの、麻奈美が中学を卒業する前のことだった。店に顔を出しに来て、母親が先の話をして困っている、と言っていた。
「昔──私がまだ教師だった頃、芝原の話をしたのを覚えてるか?」
平太郎の声には重みがあった。麻奈美と芝原のことを妄想していた光恵も、その顔をやめた。
「それがあんまり覚えてないのよね。聞いたような気はするんだけど……確か、お義父さんが担任したのよね」
「ああ……一年間、教師生活最後の年だった」
「どんな生徒だったの? 優等生?」
光恵は笑顔で聞いたけれど、平太郎の表情はさっきと変わっていなかった。
包帯で巻かれた足を見つめ、ため息をついた。
「あの時からだよ。ちょうど今くらいの季節だった。芝原は、あの時から変わったんだよ。あいつがどんな生徒だったか、言ったところで誰も信じないだろうな」
「どう変わったの? ものすごく良い人にしか思えないんだけど」
「浅岡先生も──中学の同級生らしいんだが、変わりぶりにびっくりしてたよ。だがな……詳しいことは、私からは言えない」
「麻奈美は知ってるの?」
「いや、知らんよ。聞かれることは何回もあったけど、私は教えなかった。先生にも聞いたらしいけど、やっぱり教えてくれなかったそうだ。本人には、聞けないだろうな」
「私には教え──」
「教えない。芝原の過去のことは一年以内にわかるだろう、って浅岡先生が麻奈美に言ったそうだ。麻奈美が気づくか、あるいは、自分から話すだろう。どっちにしろ、芝原にとってそれは辛いだろうな。だから、麻奈美に助けを頼んだ」
平太郎が個室に入っているのは、本人以上に芝原が希望したためだった。
普段から多くの人と接している平太郎にとっては少々寂しいかもしれないが、誰が来ても周りを気にせず話せることには感謝していた。
「あいつは……今は本当に良い奴だよ。昔のお礼だって言って毎日来てくれるが、こっちはそれ以上に助けられてる。何としてでも、前へ進ませてやりたい」
「昔のことはわからないけど、本当にそうね。ねぇ、私に出来ることないかしら?」
「ふむ……」
いつの間にか話を変えられていたことにも気付かず、光恵は芝原の役に立てそうなことを考えていた。
「なかなか思いつかないわねぇ」
「それなら、料理でも作ってやったらどうだ? こないだ注意したからちゃんと食べてるとは思うんだが、朝から何も食べずにいることがあるんだ。何でもいいさ。うちの店も、材料も何でも使って良いぞ」
そんな話をしているうちに大夢の常連客が見舞いに来て、光恵は面識のない人だったのでそのまま病院を出て家に帰った。
「ただいま」
と玄関で言ってみたが、家にはこの時間、誰もいない。父親はもちろん仕事で麻奈美もまだ学校だ。授業が終わっていたとしても、最近は制服のまま店に直行しているのは知っている。
「ほんとに、好きなのねぇ」
みんなが帰って来る前に、と家中に掃除機をかけながら、光恵は麻奈美の部屋に飾られた大夢での写真を手に取った。
バースデーケーキの横でプレゼントを抱えて笑う麻奈美は、ほんの少しだけ芝原に寄りかかっていた。