角砂糖が溶けるように
第4章…高校2年生…
4-1 越えるべき壁
年度が変わって、再び春がやってきた。自宅の近くにある公園の桜の木の枝は、去年よりつぼみを開くのが早かった。入学式の頃には満開で、新入生や新社会人が写真を撮っているのをときどき見かけた。
(私も、高校二年生……頑張ろう!)
去年は目も向けなかった雛人形の片付けも、今年はちゃんと手伝った。もちろん、母親の光恵は「早く彼氏をつくって、紹介してね」なんて言っていた。
(クラス替えしたら、男の子の友達、増えるかな? でも……今は──)
カランコロン……
「いらっしゃいませ!」
「麻奈美ちゃん、今日はすごい元気だね」
麻奈美の頭の中で、恋愛対象になるのは、今は芝原しかいなかった。
「はい。明日から新学期なんです」
「そっか。そうだ、僕も、四年になるのか……」
溜息をつきながら芝原は指定席につき、麻奈美は芝原セットを運んだ。
もちろん、芝原は恋人ではないし、彼には前から好きな人がいる。そうわかっていても、感情を無くすことは麻奈美には出来なかった。ホワイトデーにもらったいちご大福の甘酸っぱさが、麻奈美の気持ちと同じだった。
「お、芝原、来てたのか」
店の奥に入っていた平太郎が出てきて、芝原の姿を見た。そして店内には他の客がいないのを確認して、彼のコーヒーを淹れ始めた。
「大学はいつからだ?」
「えーっと……確か来週からですね」
「えー、良いなぁ。なんで大学生って休み長いんですか?」
「さぁ、僕にはわからないな。でも結構、みんな勉強とかサークル勧誘とかで早くから行ってるみたいだよ。入学シーズンは勧誘だらけだ」
ふぅん、と麻奈美はいつか行った大学説明会を思い出した。
あの時も、説明会でもらった資料の他に、構内でビラを配っている人たちがたくさんいた。入るかどうかわからない高校生が相手でも多かったので、実際の学生相手にはそれ以上の数だろうと想像した。
「そういえば麻奈美、今年から編入クラスは無くなるんだろう?」
淹れ終わったコーヒーをお盆に載せ、平太郎は一息ついた。
「うん。大丈夫かなぁ」
「星城は厳しいけどな──友人付き合いは考慮してくれるぞ」
「どういう意味?」
「仲の良い友達も、何人かは必ず同じクラスにしてくれるんだよ。まぁ、僕はずっと星城だったから、ほとんどのヤツを知ってたけどね……」
その芝原の言葉の最後のほうが力なく聞こえたのは気のせいだろうか。
芝原にコーヒーを運んでから、麻奈美はしばらくカウンター席に座っていた。彼以外に客の姿はなく、平太郎も自分のコーヒーを淹れている。
明日から麻奈美は高校二年生になる。新しいクラスにも馴染んだ頃、四泊五日の修学旅行がある。行き先は国内の候補地がいくつかあって、そこから自由に選べるらしい。
(修学旅行かぁ。どこが良いかなぁ。修二とは別のところが良いな……でも、あいつのことだから、着いてきそう……)
「芝原さんは、修学旅行どこ行ったんですか?」
手元の資料を見ていた芝原は、一瞬、困ったような顔をした。平太郎が担任になる前のことなので、聞いたことはない。
「あ──僕、行ってないんだ。家の都合で……行けなくて」
「そうなんですか……ごめんなさい」
「ううん。気にしないで良いよ」
芝原は笑いながら勉強に戻ったが、どこか表情は硬く見えた。
(何かあったのかな……)
「麻奈美、ちょっと、買い物をしてきてくれないか」
「はーい。何を買うの?」
平太郎は麻奈美に一枚の紙を渡した。店で使うものから平太郎個人的に欲しいものがいくつか書かれていた。平太郎が入院して以来、買い物は麻奈美の担当になっていた。
「あ、でも、私いなかったらお客さん……」
「大丈夫だ。もしものときは、芝原に手伝ってもらうから」
「……それなら、心配ないか。じゃ、行ってきまーす」
エプロンを外して鞄を持ち、麻奈美が買い物に出かけて行ったのを確認してから、平太郎は芝原に近寄った。麻奈美にはまだ聞かせたくない話だった。
「すまんな。嫌なこと思い出させたか」
「いえ……本当に、気にしないでください。どっちにしろ、今年中に──数ヶ月後には学校中に広まってると思いますから……」
「そうだな……どっちが先だろうな。君が言うか、誰かが親から聞いてくるか」
「──どっちにしても、僕は麻奈美ちゃんにはきちんと言うつもりです」
「どう思われてもか?」
「はい。黙ったままじゃスッキリしないし……悪いのは僕なんです」
「でも──」
平太郎は芝原を見、一瞬言葉を切った。
「それに気付いて直そうと君は努力してきた。それは褒めてやる。だが、これからは今までのようにいくと思うなよ。なんせ、星城だからな。麻奈美も何て言うか」
「麻奈美ちゃんが……麻奈美ちゃんなら助けてくれるとは」
「言いきれない」
「それは、わかってます。壁は、一枚ではないんです」
「脆《もろ》くもない」
芝原はだんだん真剣な顔になり、持っていたペンも机に置いていた。数ヶ月以内に待ち受ける壁を想像し、越える方法を考えていた。
「一つ教えてやろうか。壁が増えてしまうかもしれないが……」
芝原は何も言わず、平太郎の言葉を待った。
「あれでも麻奈美は、傷ついてるみたいだ」
その言葉は平太郎の予想通り、芝原の越えるべき壁を更に高くした。
(私も、高校二年生……頑張ろう!)
去年は目も向けなかった雛人形の片付けも、今年はちゃんと手伝った。もちろん、母親の光恵は「早く彼氏をつくって、紹介してね」なんて言っていた。
(クラス替えしたら、男の子の友達、増えるかな? でも……今は──)
カランコロン……
「いらっしゃいませ!」
「麻奈美ちゃん、今日はすごい元気だね」
麻奈美の頭の中で、恋愛対象になるのは、今は芝原しかいなかった。
「はい。明日から新学期なんです」
「そっか。そうだ、僕も、四年になるのか……」
溜息をつきながら芝原は指定席につき、麻奈美は芝原セットを運んだ。
もちろん、芝原は恋人ではないし、彼には前から好きな人がいる。そうわかっていても、感情を無くすことは麻奈美には出来なかった。ホワイトデーにもらったいちご大福の甘酸っぱさが、麻奈美の気持ちと同じだった。
「お、芝原、来てたのか」
店の奥に入っていた平太郎が出てきて、芝原の姿を見た。そして店内には他の客がいないのを確認して、彼のコーヒーを淹れ始めた。
「大学はいつからだ?」
「えーっと……確か来週からですね」
「えー、良いなぁ。なんで大学生って休み長いんですか?」
「さぁ、僕にはわからないな。でも結構、みんな勉強とかサークル勧誘とかで早くから行ってるみたいだよ。入学シーズンは勧誘だらけだ」
ふぅん、と麻奈美はいつか行った大学説明会を思い出した。
あの時も、説明会でもらった資料の他に、構内でビラを配っている人たちがたくさんいた。入るかどうかわからない高校生が相手でも多かったので、実際の学生相手にはそれ以上の数だろうと想像した。
「そういえば麻奈美、今年から編入クラスは無くなるんだろう?」
淹れ終わったコーヒーをお盆に載せ、平太郎は一息ついた。
「うん。大丈夫かなぁ」
「星城は厳しいけどな──友人付き合いは考慮してくれるぞ」
「どういう意味?」
「仲の良い友達も、何人かは必ず同じクラスにしてくれるんだよ。まぁ、僕はずっと星城だったから、ほとんどのヤツを知ってたけどね……」
その芝原の言葉の最後のほうが力なく聞こえたのは気のせいだろうか。
芝原にコーヒーを運んでから、麻奈美はしばらくカウンター席に座っていた。彼以外に客の姿はなく、平太郎も自分のコーヒーを淹れている。
明日から麻奈美は高校二年生になる。新しいクラスにも馴染んだ頃、四泊五日の修学旅行がある。行き先は国内の候補地がいくつかあって、そこから自由に選べるらしい。
(修学旅行かぁ。どこが良いかなぁ。修二とは別のところが良いな……でも、あいつのことだから、着いてきそう……)
「芝原さんは、修学旅行どこ行ったんですか?」
手元の資料を見ていた芝原は、一瞬、困ったような顔をした。平太郎が担任になる前のことなので、聞いたことはない。
「あ──僕、行ってないんだ。家の都合で……行けなくて」
「そうなんですか……ごめんなさい」
「ううん。気にしないで良いよ」
芝原は笑いながら勉強に戻ったが、どこか表情は硬く見えた。
(何かあったのかな……)
「麻奈美、ちょっと、買い物をしてきてくれないか」
「はーい。何を買うの?」
平太郎は麻奈美に一枚の紙を渡した。店で使うものから平太郎個人的に欲しいものがいくつか書かれていた。平太郎が入院して以来、買い物は麻奈美の担当になっていた。
「あ、でも、私いなかったらお客さん……」
「大丈夫だ。もしものときは、芝原に手伝ってもらうから」
「……それなら、心配ないか。じゃ、行ってきまーす」
エプロンを外して鞄を持ち、麻奈美が買い物に出かけて行ったのを確認してから、平太郎は芝原に近寄った。麻奈美にはまだ聞かせたくない話だった。
「すまんな。嫌なこと思い出させたか」
「いえ……本当に、気にしないでください。どっちにしろ、今年中に──数ヶ月後には学校中に広まってると思いますから……」
「そうだな……どっちが先だろうな。君が言うか、誰かが親から聞いてくるか」
「──どっちにしても、僕は麻奈美ちゃんにはきちんと言うつもりです」
「どう思われてもか?」
「はい。黙ったままじゃスッキリしないし……悪いのは僕なんです」
「でも──」
平太郎は芝原を見、一瞬言葉を切った。
「それに気付いて直そうと君は努力してきた。それは褒めてやる。だが、これからは今までのようにいくと思うなよ。なんせ、星城だからな。麻奈美も何て言うか」
「麻奈美ちゃんが……麻奈美ちゃんなら助けてくれるとは」
「言いきれない」
「それは、わかってます。壁は、一枚ではないんです」
「脆《もろ》くもない」
芝原はだんだん真剣な顔になり、持っていたペンも机に置いていた。数ヶ月以内に待ち受ける壁を想像し、越える方法を考えていた。
「一つ教えてやろうか。壁が増えてしまうかもしれないが……」
芝原は何も言わず、平太郎の言葉を待った。
「あれでも麻奈美は、傷ついてるみたいだ」
その言葉は平太郎の予想通り、芝原の越えるべき壁を更に高くした。