角砂糖が溶けるように

4-3 教育実習生

 四泊五日の修学旅行は特に大きな問題はなく、全員が無事に学園に戻ってきた。麻奈美たちの沖縄組は台風の影響で帰りの飛行機が遅くなったが、それも一時間程度だったので終電を逃してしまうという事態には至らずに済んだ。
 韓国へ行った修二と光輔とはお土産を交換する約束をさせられたので、シーサーのキーホルダーと、ちんすこうと紅芋タルトはみんなで買ってみんなに分けた。
「ただいまー」
「あ、おかえり、麻奈美ちゃん。沖縄は楽しかったかい?」
 久々に行った大夢で、一番近いカウンター席から三郎が振り返った。隣にはチヨと、もちろん奥の席には芝原も座っていた。平太郎は別のお客さんにコーヒーを運んでいるところだった。
「楽しかったよ! はい、これ、お土産です」
 麻奈美はチヨと三郎に海ぶどうとかまぼこを用意していた。自分が食べて美味しかったお菓子でもお年寄りの口に合うか心配だったので、珍しい味のものは買えなかった。もちろん、平太郎にもシーサーの置物や硝子製品を買ってきていて、芝原にもお菓子とシーサーのお守りを忘れていなかった。
「これ、僕に?」
「はい。最近、芝原さん元気ないから……」
 常連客だけに渡しては申し訳ないので、他の客たちにもレジでちんすこうを一つずつ配った。バレンタインのときと同じように、客たちはみんな喜んでくれていた。自分でも行ってみよう、という人も何人かいて、麻奈美はお勧めスポットをいくつか教えた。現地のガイドに教えてもらったいくつかの場所で、今まで溜めていたストレスが驚くほどに消えていった。自分で行くことは今はまだ難しいけれど、いつか必ず再び行こうと思える場所だった。

 けれど、学園は勉強を忘れてはくれないようで、今まで通りの授業が再び麻奈美たちを待っていた。修学旅行で楽しんだ分だけ勉強もしっかり、ということらしい。
「やっぱ編入から上がってきたら、きついなぁ。一緒に勉強しようか、麻奈美?」
「やーだ。なんでいっつも私なの? 光輔君を誘えば?」
「あいつはデートで忙しいんだってさ。あ、そういえば、噂で聞いたんだけど」
 修二は身体ごと振り返り、椅子に反対向いて座った。麻奈美は普通に座っていて、両サイドには千秋と芳恵がついている。
「今度、教育実習に来る大学生の中に、ヤバいのがいるんだって」
「……ヤバい? なにが?」
 麻奈美が聞き返すと、修二は声をひそめた。
「来るのはみんなここの卒業生らしいけど、何て言ったっけな。ここに通ってた時、大暴れしてどうにもならなかったヤツだって。そうそう、それで家が暴力団に関わってて」
「え? 何それ……」
「そんな人、ほんとにここに通ってたの?」
 千秋と芳恵は顔色を変えていた。
「組長系ではないみたいだけど、家にそういう奴らが集まるんだって。ばあちゃんが言ってた。何だったかなぁ、名前聞いたのに、忘れた……ま、いいか」
「なんで教育実習……教師になるつもりなのかな」
 そんな人に勉強を教えてもらうのは嫌だ、という話を友人たちがしているのを聞きながら、麻奈美だけは何も言えなかった。なんとなく予想していたことが、修二の口から飛び出した。
(まさか、ね……)
 そんなことが、あるはずはなかった。
 絶対に違う、と信じながらも、麻奈美はその週、大夢に行くことが出来なかった。もともと平太郎からは『毎日来なくても大丈夫だ』と言われているが、別のことが麻奈美の足を大夢に向かわせなかった。
 そして月曜日を迎え、その日がやってきた。全校生徒が講堂に集められ、舞台には教育実習生たちが横に並んでいた。実習生たちは全員、星城大学の学生だと進路担当から紹介があり、実習生の一人が代表で挨拶をしていた。
「ねぇねぇ、実習生の中に、大学で見た人がいたよね」
 教室に戻ってから、最初に口を開いたのは芳恵だった。
「いたいた! やっぱり学生だったのかぁ。うちのクラスの担当にならないかな」
 千秋はもちろん、クラスの他の女子生徒たちも同じことを言っていた。大学説明会のときに補助をしていた男の人が、教育実習に来た。
「ね、麻奈美ちゃん?」
「──え? あ……うん」
「また大学生のこと考えてたの?」
「まぁ、そうだけど……」
 単に、気になって仕方がない、という次元の問題ではなくなっていた。
 確かに芝原は、教育実習生として星城高校にやってきていた。
(そんなこと、聞いてないよ……吃驚《びっくり》させるつもりだったのかな?)
 生徒たち、特に女子生徒たちの興奮が冷めるのを待つ暇もなく、やがて一限目のチャイムが鳴って先生がやってきた──教育実習生を連れて。
「こら、静かに。今日は授業の前に、さっき講堂で話があった教育実習生を紹介します」
 と言って、先生は隣に立っている教育実習生に自己紹介を求めた。
「初めまして、と言いたいところですが、そうじゃない人もちらほら……去年の大学説明会のときに補助をしていたので見覚えがある人もいるかと思いますが、僕は──」
 教育実習生は振り返ってチョークを持ち、黒板に名前を書いた。
 麻奈美にもとても馴染みのある、芝原颯太という名前だった。
「あ、思い出し──!」
「こら片平、私語はやめなさい」
「はい……すみません……」
 急に叫んだ修二を先生が止め、芝原は自己紹介を続けた。大学で歴史を学んでいて幼稚園からずっと星城に通っている、麻奈美も知っている簡単な紹介だった。
 そのあと芝原は教室の隅に移動し、本来の教師の授業展開をメモを取りながら聞いていた。特に目立ったことは起らず、ごく普通の教育実習生の姿だった。チャイムと同時に授業は終わり、先生と芝原は教室を出て行った。
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