角砂糖が溶けるように

4-5 祖父の孫自慢

 二人きりで会うのは久しぶりだった。休み時間に出来るような軽い話ではなかったので、担任が上手く職員室の奥の相談室を準備してくれた。麻奈美が修二からいろいろ聞いていることは、すでに芝原にも伝えられていた。
「──みんなが、噂してました。昔のこと……今の姿は演技じゃないか、って」
「二年生の他のクラスに授業に行ったとき、みんなの視線が冷たかったよ。悪い噂が広まるのは早いから……麻奈美ちゃんも聞いただろうな、って思ってた」
「芝原さんは、ずっと、そのことを私に言おうとしてたんですよね」
「そうだよ。でも、どう話していいのかわからなかった。話して、嫌われるのも怖かった。本当は自分が先に言いたかった……ごめん、隠してたわけじゃないんだ」
「事実を、教えてください。何があったのか──じゃないと、私は味方になれない」
 芝原は驚いて顔を上げた。
「麻奈美ちゃん……僕の味方、するつもり?」
 平太郎がそうして欲しいと頼んだとは聞いているが、麻奈美からも言いだすのは予想外だった。まさかの過去を知らされて、避けられるのを覚悟していた。
「あたり前じゃないですか! 芝原さんは、私にとって……おじいちゃんにとっても、大夢にとっても大切な人なんです。傷つくのは、見たくないです」
「──味方したら、クラスの子にも何されるかわからないよ。それくらい、僕は悪いことをしてきた……僕くらいの姉兄《きょうだい》がいたりしたら、たぶんいろんなこと家で聞いてくると思うよ。それでも、いいの?」
 平太郎や浅岡から聞いていたことを思い出しながら、麻奈美は考えていた。芝原の味方をしてしまったら、彼を良く思わない人たちから非難されることがあるかもしれない。何をされて、何を言われるかわからない。けれど、そんなことをされる芝原を放っておくことのほうが、麻奈美には辛かった。
「そのために、芝原さんに元気になってもらうためにお守り渡したんです。私は、今の芝原さんを信じてます。それに、早く戻りたいんです──大夢に」
 麻奈美が大夢に行けていない間も芝原は通っている、と隣に住むチヨから聞いていた。いつも通りに勉強しながらコーヒーを飲んでいるが、麻奈美がいないので寂しそうだと言っていた。
「行かなくなったとき、ちらっと『そんな人が来る』っていう噂を聞いてたんです。嫌な予感がして、行けなくなって……でも、本当のこと聞いたら行ける気がします」
「……麻奈美ちゃんには助けられてばっかりだ」
 芝原はポケットに手を入れ、何かを取り出した。麻奈美が沖縄土産に買って来たお守りだった。
「正直に話すよ。でも、詳しすぎると衝撃大きいだろうから、掻い摘んでいい?」
「はい。聞かせてください」
 麻奈美の答えに芝原は頷き、一息置いてから口を開いた。
「僕は──両親がまず、そういう人だったんだ。いつも夜中に遊びまわって、警察のお世話になったこともあった。僕が小さい頃のことだからあんまり覚えてないんだけど、とにかく家中がうるさかった。そういう奴らのたまり場だった。当然、僕もそういう風に育てられて……勉強は嫌いだったけど、幸い、お金はあったから、見栄張ってここに入れられた。最初はもちろん、先生が厳しいから、僕もちゃんと勉強したよ。だけど、中学くらいかな。家が、だんだん悪くなって──僕も、グレた。学校来ても勉強しないで、親を呼びだしたところで、意味ないし……それを良いことに、いっぱい悪さした。ガラスも割ったし、喧嘩もした。厳しい先生もどうにもできないくらい、本気で暴れた。そうでもしないと、やってられなかったんだ」
 一度そこで言葉を切って、芝原はため息をついた。それからやおら立ち上がり、どこかから卒業アルバムを持ってきた。
「僕の時の卒業アルバム。ここ、この金髪の服装乱れてるの、僕だよ」
 平太郎の家で見たのとは全く違う顔だった。アルバムの写真を撮るのは三年生になってすぐなので、更生していく前だろう。写真の中の芝原を見て麻奈美は、あれ、と思った。
「気のせい、かな。芝原さん、悲しそうな顔してるような……」
「──どうして?」
「パッと見た感じでは、確かに怖いです。いま芝原さんがこんなだったら、絶対近付かないです。でも、この写真、目が、そんなにきつくないんです。悲しい、というか──辛いことがあったんですか?」
「……よくわかったね。そう、この写真を撮る前、両親が事故で死んだんだ。バイクで走ってるときって聞いたよ。今思えば自業自得だ……お葬式があって、悪い連中ばかりが集まった。両親と一番仲良かった人が、うちに住むことになった。僕も面識はある人だけど、正直、嫌だった。遊びまわってて、ほとんど家にいなかったけどね。それで、学校では新年度が始まって、新しい担任と──マスターと出会った」
「おじいちゃん、ですか」
「そう。聞いたことあるかな。先生は僕を最初に見たとき、ものすごく怯えてたよ。しかも退職前最後のクラスだったから、余計嫌だったんじゃないかな」
「でも、今は普通にしてますよね。卒業式の写真も、楽しそうに……」
 最後に受け持った生徒たちに囲まれて、確かに平太郎は嬉しそうだった。その隣では芝原も笑っていた。クラス全員の仲が良い、そんな印象しか受けなかった。
「ここで、麻奈美ちゃんが登場するんだよ」
「──え?」
 芝原は短く笑い、話を続けた。
「ホームルームですることがなかった時、先生は麻奈美ちゃんの話をしてた。幼稚園で描いた絵が上手くて代表で玄関に飾られた、とか、みんなの前でピアノを弾いた、とか、優秀だなーって思ってたら、走って転んで大泣きして帰って来たとか」
「おじいちゃん……」
「最初はみんな、別にどうでもいい、って思って、僕なんか特に聞いてなかったんだけど」
「その割には、覚えてるじゃないですか……」
「ははは。だけど、いつからか、みんなホームルームで麻奈美ちゃんの話を聞ける日を楽しみにするようになった。滅多にはなかったけど、間隔が開く分、成長してて、みんな自分の妹みたいな感覚だったよ」
 芝原は笑い、麻奈美は照れた。芝原と出会った頃に『平太郎が麻奈美の話をした』と聞いたことはあったが、ここまでだとはまさか思わない。
「クラスのみんな。もちろん──僕もね。麻奈美ちゃんの話を聞いてるうちに、自分がバカらしくなってきたんだ。なんで今まで人に迷惑かけてたんだろう、って。そのときに決めたんだ、教師になる、って。でも、家じゃ勉強出来なかった」
「だから、うちに通ってるんですね」
「うん。先生がお店を開くって噂は聞いてたから、頼みに行ったら歓迎してくれた。その後のことは、麻奈美ちゃんも知ってる通りだよ。ああ、一つだけ言ってなかったか──もうあの家には住んでないんだ。都合悪すぎるから、去年の夏に出た」
「……大夢の休み明けの日ですか?」
「そうそう。あの日は、荷物を運んでたんだ。無事に引っ越しも済んで普通に暮らせてるけど、やっぱり家よりお店が落ち着くな」
< 34 / 84 >

この作品をシェア

pagetop