角砂糖が溶けるように

5-6 適度な甘さ

「だからか──」
「何がだ?」
 いつの間にか、芝原の目の前には平太郎の顔があった。
「写真でも見て、何か思い出したのか?」
 芝原は、カウンターに置いてあるアルバムを手に取っていた。手はページをめくりかけて、こないだのパーティーのところで止まっていた。
「今、思い出しました……こないだのこと」
「ほぉ。それで?」
「それで、って、何ですか?」
「言うことはないのか?」
 一瞬、平太郎にすべて話してしまおうかと思ったが、やめた。
 麻奈美に告白されたと言ったところで、『勉強が本分だ』と言われるに決まっている。
「麻奈美の表情は、最近コロコロ変わるんだよ。何か知らないか?」
「コロコロって、どれくらいでですか?」
「頻繁だな。思い出してにやけてるかと思えば、すぐ悲しそうに溜息をついてるよ。まぁ、大方、見当はつくが……」
 平太郎はデザートのケーキを切り分けながら芝原に言った。色とりどりのケーキはアイスティーと一緒にお盆に載せられ、テーブル席の客の方へ運ばれた。
「お待たせしました」
「わぁ、美味しそう!」
 振り返ってみると、芝原より年上の、若い女性の姿があった。
 向かいにはもう少し年上の、スーツを着た男性が座っていた。二人の関係は何だろうかと思い、会社の同僚──社内恋愛あたか、と落ち着いた。
「あの二人もうちの常連でね」
 カウンターに戻って来た平太郎が、芝原に言った。
「もともと、男性の方が昔から通ってたんだが、彼女だろうな」
「けっこう、離れてそうですね」
「何が? ああ、年齢か。九歳違うらしいよ」
「そんなにですか……」
 芝原は驚き、もう一度、二人を見た。
 二人とも楽しそうに話をしていた──男性の方と目が合ってしまったので、芝原は軽く会釈をしてから前を向いた。
「君は麻奈美より、五歳上なんだな」
「そうですね……」
「で、何があったんだ?」
「──やっぱり、聞きたいんですか」
「そりゃそうだろう。可愛い孫が目の前で男に飛びついたんだ、放っておけるわけがないだろう」
 平太郎は腕組みをしたけれど──。
「いや、でも、僕の口からは、言えないです」
 芝原は笑い、首を横に振った。
「相変わらずヤキモチ妬いてるねぇ、平ちゃんは」
「ほんとに、麻奈美ちゃんもかわいそうだな」
 チヨと三郎が来ていたことに、平太郎は気付いていなかった。
 もちろん、ドアの鐘の音が聞こえなかったわけではない。
 芝原との話に夢中になりすぎて、つい、だ。
「すみません、気付かずに」
「いいよいいよ、好きなだけ妬けば」
 そう言いながら、チヨはカウンター席に座り、隣の青年を見た。
「私にはねぇ、平ちゃん、麻奈美ちゃんはこの子が好きとしか思えないんだよ」
 すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干そうとしていた芝原は、危うくそれをこぼしそうになる。麻奈美の母親もそうだったが、チヨも結構、すごいことを言う。
「ねぇ、実際どうなんだい、麻奈美ちゃんとは」
「それは、何もないです、本当に」
「チヨさん、前にも言いましたよね、芝原には好きな人が」
「平ちゃん、ちょっとうるさいよ」
 チヨに言われてしまい、平太郎は思わず縮こまった。すでに聞いていた二人の注文──アイスコーヒーを二つ、黙って作った。
「どうして年寄りって、こうもヤキモチ妬くんだろうねぇ」
 チヨも同じ年寄りだ、と思いながら、平太郎は黙ってコーヒーを淹れる。
 麻奈美と芝原に関して、気にし過ぎている、と思ったことはある。
 けれど麻奈美はたった一人の孫なので、そう簡単に手放したくはない。
「平ちゃんも、この子を悪くは思ってないんだろう?」
「それはそうだが──話は別ですよ」
「ほんとに頑固だねぇ、わしが平ちゃんの立場だったら、大賛成だけどな」
 平太郎からコーヒーを受け取りながら、三郎は芝原に向かって微笑んだ。出されたシロップとクリームは、とりあえず全部入れる主義だ。
「甘やかしすぎはどうかと思うが、厳しすぎても良くないぞ──甘いな、これ。全部は入れすぎだったか」
 しまった、という顔をしながら三郎はコーヒーをストローで吸い上げる。底の方にはまだ甘くない部分があったようで、気を取り直してかき混ぜる。
「うん、何にしても、適度にせんといかんよ」
 それは誰に向けて言ったのだろうか、誰も返事をしなかった。
 チヨは調整しながらシロップとクリームをコーヒーに入れ、自分好みの味になったのを確認してからストローで吸い上げた。二・三回飲んだところで何かを思い出し、三郎と話を始めていた。
 ふぅ──、と溜息をつく芝原の前で平太郎はまだ複雑な顔を見せた。
「あのな、芝原」
「はい……?」
「何があったのかは、もういい。だが、一つだけ頼みがある」
「何、でしょうか?」
「君が誰を好きになろうと、それは君の勝手だが──麻奈美が泣くようなことは、絶対にしないでほしい。これだけは、頼む」
 麻奈美が泣くこと、それは何なのか。
 また麻奈美を、泣かせてしまうのか──。
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