角砂糖が溶けるように

5-7 頑張れ、オトメ!

 二学期の学園行事と言えば、文化祭がある。麻奈美は相変わらず帰宅部なので特に用事はなく、クラスの出し物を手伝うことになっていた。
 去年、麻奈美たちのクラスは型抜きをした。生徒たちはもちろん、保護者からも人気があって、会場になった教室の外にも机を用意した時間帯もあった。
「あれはあれで楽しかったけど、違うことしたいね」
「そうだね。何が良いかな」
 麻奈美が千秋や芳恵をそんな話をしていたとき、
「やっぱ、劇だよな!」
 麻奈美の前に座っている修二が元気よく言った。
「劇……何するの?」
「なぁ、麻奈美、俺の気持ちをわかってくれ……」
 振り返った修二はいつもより真面目な顔をしていた。
「──やだ」
「なんでだよ!」
「嫌だから。もう、しつこいよ?」
 麻奈美はそっぽを向き、修二はため息をつく。この光景をそろそろ見飽きたクラスメイト達も、最近は修二の味方をしなくなっている。
「片平君、何の劇やるの?」
 芳恵が聞いたのは、可哀想だったから?
 自分の彼氏の友人だったから?
 単に、気になったから?
「いや……麻奈美が賛成してくれないんなら言わない」
「どうせあれでしょ、ロミオとジュリエット」
 修二はロミオに立候補し、ジュリエットには麻奈美を指名するのだろう、と麻奈美は予想していた。主役を麻奈美と演じる以外に、修二が劇をやりたがる理由がないことを麻奈美は知っている。
「あー……あれかぁ」
「よくやってるよね」
 確か去年の文化祭でも、どこかのクラスがやっていたはずだ。
 知っている人が多いという理由で選ばれる割に、たいてい、クラスで脚色されている。別の物語と一緒になったり、全く違う結末を迎えたり、題材を間違えない限り、劇は成功に終わる。
 それはそれとして麻奈美も認めているが、修二と主役を演じる気にはなれなかった。原作通りに演じて修二との関係を疑われるのは嫌で、修二が予定外の台詞を言って麻奈美に再度告白し、振られ、違う意味で有名になってしまうのも嫌だ。
「そうだ、芳恵ちゃん、隣のクラスから光輔君連れてきて出たら?」
「麻奈美ちゃん、まだ、ロミオとジュリエットに決まってないから……」
「あ、そっか。うーん……でも、いいかもね。私は出ないけど」
 出ない。
 もちろん、クラスに協力しないわけではない。
「あんまり目立ちたくないなぁ。裏方で良いよ」
「劇って決まったわけでもないんだよ?」
「──そうか。ははは、私、おかしいなぁ」
 麻奈美は笑いながら立ちあがり、そのまま廊下に出た。
 それから窓の外を眺め、ため息をついた。
(──あれから一年かぁ。長いなぁ。短い、のかな)
 一年前の文化祭の日、平太郎が怪我をして病院に運ばれた。
 大夢をしばらく閉めることになったけれど、芝原の頼みで鍵を開けた。
(それからかぁ、仲良くなったの……でもあの時はもう、知ってたんだっけ……)
 芝原にはずっと前から気になっている人がいる事実。
(今頃、何してるのかな……)
 麻奈美は遠くに見える大学のキャンパスに芝原の姿を探した。もちろん、建物の形がぼんやり見える程度で、人が見えることはない。
(今日は授業、あるのかな。休み、かな)
「麻奈美ちゃん」
 振り返ると、千秋が教室から出てくるところだった。
「またそんな顔して、今度はどうしたの」
 千秋は言わなかったが、「芝原先生と何があったの?」と顔に書いていた。芳恵はまだ修二と話を続けていて、光輔が来たので千秋は出てきたらしい。
「うん……何もないよ」
 本当に、何もない。
 あの夜のことは千秋には話したし、芝原との関係は何も変わっていない。
 いつも夕方に大夢に来て、最近はカウンターで喋ることが多くなっている。
「何もないん、だけどね。言ってないことがあって……」
 それ以上、麻奈美は何も言わなかった。
 ただ遠くの大学キャンパスを見つめ、千秋の言葉を待った。
「その、気になってる人が誰かわかったの?」
「ううん。わからない」
「じゃ……はっきり断られた?」
「ううん。違うよ」
 麻奈美は大きな溜め息をついた。同時に視線も近くに戻し、振り返って窓に背を向けた。
「──あの夜、なんだけど」
「うん」
「あの人に……」
「何かされ──もしかして、告白した?」
「うん。言っちゃった……」
 けれど、芝原は何も返事をしなかった。
 困ったような顔だけして、話は流れてしまった。
 大夢では毎日会っているのに、芝原は麻奈美に何も言ってこない。店内では無理でも、今までなら店の外で帰りを待っていることもあったのに、最近はそれもない。
「保留、とか?」
「保留かぁ……」
「良かったんじゃないの? 今の関係が続くってことでしょ?」
「そう、だけど……」
 それも辛いな、と麻奈美は思う。芝原とはほぼ毎日、顔を合わせるし、何より芝原セットを運ぶのはいつも麻奈美だ。勉強する日は以前より減ってはいるが、彼に水やおしぼり、コーヒーを出すのは麻奈美に変わりない。
「どっちにしても、言いにくいだろうね」
「うん……」
「ま、まだ負けたって決まったわけじゃないんだから。頑張れ、オトメ!」
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