角砂糖が溶けるように

6-3 意外な特技

「あれ──麻奈美ちゃん?」
 型抜きの会場に入ると、知っている声に呼ばれた。
「この声……あっ、浅岡先生!」
 家庭教師をしてもらっていた浅岡が、型抜きに挑戦していた。その隣では──芝原も同じように、ピンク色の四角い板と細いピンで真剣勝負をしていた。大夢で見る勉強中の顔よりも、比べ物にならないくらい真剣だった。
「いま、集中してるから……」
 麻奈美たちが見守る中、芝原は黙って型を抜いていた。少しずつ丁寧に、一度も顔を上げることなく、動いているのか眠っているのか疑うくらい──。
「よし、出来た!」
「えっ、すごい! あれ、もしかして、三枚も?」
 驚く麻奈美の目の前で、芝原は綺麗に抜いた型を三つ、手のひらに乗せた。
「僕、これ、大好きだったんだ。小さい頃、何回も遊んだよ」
「芝原さん……そんな特技あったんですね……」
 口をぽかんと開けて動けずにいる麻奈美をよそに、芝原は受付で賞品を受け取っていた。そしてそれを鞄の中に入れてから、元のテーブルに戻った。
 麻奈美が一緒にいる生徒の顔ぶれを見て芝原が戸惑ったのを麻奈美は見逃さなかった。おそらく彼は、麻奈美を何と呼ぼうか迷ったのだろう。この子たちはどこまで知ってるのか、という顔で麻奈美を見ていた。
「えっと、二人とも、だいたい正しく知ってます」
「あ──そう……」
 それから麻奈美は千秋と芳恵を芝原に紹介し、浅岡を二人に紹介した。その間に芝原は麻奈美をいつもどおり呼ぶことに決めたらしい。
「芝原先生、ここの教師になるんですよね」
「うん。でも、クラスもそうだけど、授業も三年生の担当にはならないと思うよ」
「やっぱりそうなんですか? 先生が担任なら、風邪でも登校するのになぁ」
「ははは、ありがとう。新任にいきなり受験生は、さすがにキツイよ。それから、僕まだ学生だから、先生はつけなくて良いよ」
 芝原は笑いながらそう答えた。
 麻奈美は、来年、彼を先生と呼ぶことに苦労しそうだ、と思いながら、空いた席に座って型抜きを始めた。それを見ていた千秋と芳恵も適当な席に座り、浅岡は全部失敗してしまっていたらしく、残念賞をすでに受け取っていた。
「──あっ、ヤバ……割れた……」
 集中力が途切れたのか、力を入れすぎたのか、麻奈美が挑戦していた駒の型は、開始後一分で割れてしまった。千秋と芳恵も同じ頃、それぞれの割れた型で遊びながら、他に挑戦している生徒を見ていた。
「芝原さん、どうしてそんなに、綺麗に抜けるんですか?」
「さぁ……」
「そういえば中学の時もやってたわよねぇ」
「うん。おかげで集中力だけはついたよ」
 それから全員が持っていた型が全て割れてしまってから、五人は一緒に校内を回ることになった。修二と光輔、それから千秋の彼氏とはまだ合流できていないので、別行動はもう少し後だ。
 千秋が言っていた通り、芝原の存在に気付く生徒はあまりいなかった。隣に浅岡がいたから余計に外部の人間と思ったのか、ほとんどの生徒は彼の隣を素通りしていた。
「良いのか悪いのか、どっちなんだろう」
「良いんじゃないの? いつも通りに出来るんだから」
 浅岡の意味ありげな発言に芝原は苦笑した。
「まぁ、そうなんだけど……やっぱり、寂しいなぁ」
 少し落ち込みながら歩く芝原の後ろに麻奈美はついていた。友人たちと話しながら、大人二人の会話にも時々参加しながら、一年ぶりの文化祭を本当に楽しんだ。
「ねぇ、麻奈美ちゃん、麻奈美ちゃんのクラスは何をやってるの?」
 振り返って聞いたのは浅岡だった。
「い、行くんですか?」
「だって、私はここでは麻奈美ちゃんしか知らないから」
 せっかくだから行っておきたい、という浅岡に、千秋と芳恵が「是非どうぞ!」とお化け屋敷に誘っていた。
「みんなで入りましょうか?」
 という浅岡の誘いに、麻奈美はもちろん乗らなかった。
「わ、私は外で待ってます、それに、五人って中途半端で、一人余るし」
 お化け屋敷内の通路は二人並んで歩くのが精いっぱいなことは、麻奈美も一応、情報として持っていた。団体で入ろうとしていた客に、二列でお願いします、と何度言ったかわからない。
「外れることないわよー。別に二列にならないといけないわけじゃないんでしょ?」
 浅岡は笑いながら、千秋と芳恵に聞く。
「はい。全然、そんな決まりはないです」
「で、でも」
「そんなに嫌がったら、余計、行かせたくなるのよねー」
 と、浅岡が不敵に笑うときには、麻奈美たちは大教室──お化け屋敷会場の前に到着してしまっていた。
「やだ、もう、なんで?」
 けれど誰も麻奈美の泣きごとを聞いてくれていない。
 しかも、教室の前には光輔と千秋の彼氏も来ていたようで、千秋と芳恵はそれぞれの彼氏と入ることになった。
「麻奈美は俺と入るのか?」
 幽霊になって中で待機しているはずの修二の声がした。
「いやっ、それも嫌!」
「だったら、私たちと入りましょう! ほらほら!」
 じたばたする麻奈美を引っ張って、浅岡はどんどんお化け屋敷に近付いて行く。
「先生、なんでっ、私は外でっ」
 やはりそんな麻奈美の願いは聞いてもらえず、とうとう一歩足を踏み入れた。途端に視界が暗くなって、冷たい風が頭上を吹き抜ける。
「何、今のっ、絶対入らないって決めてたのに……て、あれ? 先生? どこ?」
 という麻奈美の声を、浅岡は入口の外から聞いていた。
「ごめんね、麻奈美ちゃん……許してね……」
 そう呟いた浅岡の声は、麻奈美には届かなかった。
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