角砂糖が溶けるように

6-6 困らせた罰

 普段と変わらない顔ぶれなのに、なぜか空気が重い。
 平太郎が淹れたコーヒーの味もいつもと違う気がするし、楽しそうに会話しているはずのチヨと三郎さえ、何かを感じてさっきから一言も発していない。
 カランコロン……
 たまにやって来る客たちにはいつも通り接しているが、常連客、特に芝原の前では平太郎はやけに怖い顔をしていた。
「おじいちゃん、顔、怖いよ」
 麻奈美がそう言うと元に戻しているが、またすぐに鬼のようになる。
 その麻奈美はもちろん、いつも通り芝原にセットを届けたが、何も言わずにそのまますぐにカウンターに戻ってしまった。
(一体、何が……?)
 コーヒーを飲みながら芝原はずっと平太郎の様子をうかがっていた。全ての動作がいつもより重苦しく感じた。店内ではいつも明るくしている麻奈美でさえ、何かあったのかと常連客から心配されるほど辛そうだった。
「そうそう、うちは今日は、孫たちが集まるんだ」
 思い出したように言ってチヨは立ち上がり、そのまま店を出て行ってしまった。残された三郎もブツブツ言いながら、「日が短くなったから、麻奈美ちゃんも早く帰るんだよ」と言って、店から出て行った。
「──そうだな。麻奈美ももう、帰りなさい」
 外を見ると、日は沈みかけていた。秋が深まって冬が近くなり、木々の葉は赤や黄色に染まっている。芝原はいつもホットコーヒーを頼んでいるが、他の客たちもホットコーヒーが増えた。
「でも、片付けが」
「今日は宿題が多いとか言ってなかったか?」
「うん……わかった」
 平太郎の言うことを素直に聞いて、麻奈美も家に帰って行った。
「さて」
 平太郎は芝原の席に近いカウンター席に腰を掛けた。
 険しかった顔は、まだ元に戻っていない。
「何があったか、話してもらおうか」
「──それは、僕が聞きたいんですけど」
 芝原が言うと、平太郎は「ほぉ」という顔で芝原を見た。
 文化祭の後、芝原はいつも通り大夢にやってきた。勉強はないのでカウンターに座り、チヨや三郎に並んでコーヒーを飲んでいた。しばらくしてから麻奈美がやってきて、けれど麻奈美は文化祭について、あまり話さなかった。代わりに芝原が「午後から合流して一緒に回った」と言っていた。
「何もなかったのか」
「どういうことですか? 僕は今日は、何も」
 言いながら顔を上げると、鬼の顔をした平太郎と目が合ってしまった。
「麻奈美を泣かせるなと言ったはずだが」
「──泣いてたんですか?」
「私は見てないけどね。何があったんだ」
 芝原は麻奈美が泣いた理由を正確に思い出していた。
 文化祭のあとで言ったこと、それしか考えられなかった。
「麻奈美が──店の手伝いを辞めると言いだしたんだ」
「え? 辞める、って、どうして」
「さぁな。星城は勉強が大変だろう、来年は受験生だから、勉強に集中すると言っていた。試験中でも休まなかったのにな。よっぽど──」
 平太郎はその続きを言わなかった。
 よっぽど勉強に集中したい、そこまでして忘れたいものがあるのだろう。
 それが何なのか、芝原にも簡単に想像が出来た。
「どうするんだ」
「なにを、ですか」
「麻奈美がいなくなっても、ここに来るのか?」
「麻奈美ちゃんは、本当に辞めるんですか?」
「本人はそのつもりだ。今月いっぱいで辞めるって、決めたらしい」
 大夢から麻奈美がいなくなることを、芝原は考えたこともなかった。それはもちろん、チヨや三郎も同じだと思うし、他の常連客も絶対そうだ。
「マスターは一人で大丈夫なんですか? もう、一人ではあまり」
「大丈夫だ。あれからまた元気になって、動きすぎて叱られるくらいだからな」
 それなら安心だ、と溜息をついてから、芝原は考えた。
 麻奈美がいない、この店内。
 二年前までの、妙に大夢に馴染んでいなかった自分。
 麻奈美と出会ってからの、自分の中の変化。
 走馬灯のようによみがえる思い出に、芝原は覚悟を決めた。
「マスター、すみません、僕、マスターに嘘ついてます」
 平太郎は芝原を見たまま、黙っていた。
「それから、麻奈美ちゃんにも、本当のことを言っていません」
 ようやく言う気になったか、と、平太郎は腕を組んだ。
「私に嘘、なにが嘘なんだ。言いなさい」
「はい──実習の時の、あの夜です」
 それが何の日なのか思い出して、平太郎は眉間にしわを寄せた。朝になって目覚めたとき、同じ部屋に麻奈美と芝原も一緒にいた日の前夜だ。
「僕は、酔ってて……つい、麻奈美ちゃんを、抱いて──」
「は? なんだと? 酔ってたからって、芝原」
 恐ろしく目を見開く平太郎に、芝原は慌てて「違います」と否定した。
「ただ、抱きしめた、だけです」
「それでも立派なもんだ」
「すみません……それから、こないだ麻奈美ちゃんに、返事をしました。今の僕には無理だって、その時も──」
 麻奈美をしっかりと、腕の中に閉じ込めていた。
「麻奈美が困るだけだろう」
「はい──すみません。悪いのは、ぜんぶ僕です」
「そうだな。罰として、今日は片づけを手伝ってくれ。それから、麻奈美にきちんと謝りなさい」
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