角砂糖が溶けるように
第7章…高校3年生…

7-1 最初の授業

「どうしたの、麻奈美ちゃん。さっきから変だよ」
 教室の自分の席でそわそわしている麻奈美に千秋が詰め寄った。
「べ、別に、何もないよ」
「あっ、もしかして、先生のこと考えてたでしょ?」
 千秋の言葉は図星で、麻奈美はギクリと固まった。
 麻奈美は高校三年生になり、千秋だけが同じクラスになった。違うクラスになった修二は「寂しくなったらいつでも呼べよ!」と言って、新しいクラスの中に消えていった。
 一方、芳恵は光輔と同じクラスになれたらしく、麻奈美と千秋も邪魔をするのをやめた。二人の成績は良い方なので、落ちないことを願った。
 着任式は始業式に続いて行われ、その中に芝原もちゃんと立っていた。式の間は特に何もなかったけれど、終わってから教室に戻るまで、女子生徒たちが芝原の噂をしているのを何度も聞いた。
「あれから何もないの?」
「な、ないよ。何も変わってないよ」
 変わったと言えば、芝原が大夢に来る時の服装が普段着からスーツになったくらいだ。今までにも何度か芝原のスーツ姿を見たことはあった。けれど、改めてそれを見ると、やっぱりかっこいいな、と思う。
「ネクタイ……」
「なに?」
「ネクタイをプレ……」
 言いかけて、麻奈美は口を閉じて、押さえた。
 芝原にネクタイをプレゼント──想像するだけで顔が緩んでしまう。
「なに、麻奈美ちゃん、大丈夫? おかしいよ?」
 千秋も笑いながら、麻奈美の考えていることを想像していた。
「うん。……ダメだ、ぐるぐる回ってる」
 新学期を迎えてから、麻奈美は頭から芝原のことが離れなかった。
 それは、時間割をもらったときから始まった。一週間に四回ある世界史の授業の担当が、まさかの芝原になっていた。「いきなり受験生の担当はない」と言っていた芝原に確認に行くと、教育実習のときの授業が高く評価されたらしい、と戸惑っていた。
「あ、ってことは、テストを作るのも芝原先生?」
「……そっか。あーなんか、すごい細かい問題になりそう!」
 麻奈美は世界史は苦手ではなかったが、地域によってはものすごく嫌いな部分もある。
 たとえば、古代ローマあたりは同じような名前で舌を噛みそうでも響きが可愛い単語が多くて楽しく覚えられたけれど、アメリカやイギリスが出てきて同盟やら革命やらになると頭はさっぱりついていかない。
「麻奈美ちゃんは良いんじゃないの?」
「なにが?」
「だって、学校が休みでも、いつでも質問出来るよね」
「──それは、千秋ちゃんだって、放課後時間あるでしょ?」
「あるけど、麻奈美ちゃんの邪魔しちゃ悪いもん」
 千秋は意地悪く笑った。
 三年次のクラスは文系と理系は別になるらしく、麻奈美は迷わず文系を選んだ。数学が苦手な割に化学が得意だったりするけれど、やっぱり数字は受け付けない。社会は日本史と世界史が二年次から選択できるようになっていて、麻奈美は「漢字を覚えなくて良い!」という単純な理由で世界史を選んだ。もちろん、中国史あたりは漢字だらけで日本との関わりも出てくるので、全部カタカナ、というわけにはいかないし、日本と比べて世界は広い。
「麻奈美ちゃん、世界史の成績、伸びるんじゃない?」
「そ、そんなことないよ」
「だって、前は数学が苦手だったのに、家庭教師始めてからすごい伸びたんだよ?」
「それはそうだけど……」
 千秋には否定しながら、こっそり大夢で教えてもらおうか、と思う。
 けれど、麻奈美は今年度から、店の手伝いをする日を減らすことになっていた。本当に勉強が忙しくなると先生が言っていたし、平太郎や、芝原にも言われた。これからの麻奈美には、手伝いをするより勉強のほうが大事になってくる。
 始業式の後のホームルームが終わり、麻奈美は千秋と一緒に校舎を出た。修二とは朝から会っていないし、芳恵も光輔と帰ると言っていた。
「今日はお店、行くの?」
 正門へ向かって歩きながら、千秋が聞いた。
「どうしよっかなぁ。勉強は……特にない、かな?」
「最初の授業でテスト、するよ」
「──え?」
 声がした方を見ると、正門横に芝原が立っていた。他の先生たちと一緒に、下校指導をしていた。
「……テスト、って、何ですか?」
「テストはテストだよ。君たちの実力を把握したくて」
「は、範囲は? 範囲はどこですか?」
「それは言えないな。テスト自体、秘密なのに」
「えーっ、先生、教えてくださいっ!」
「ダメ。習ってないところからは出さないから」
 ははは、と笑う芝原の横で、千秋はぷぅ、と膨れた。
「先生、いきなりテストって、人気落ちますよ」
 それでも芝原は笑い続け、「君たちはいつだったかな」と時間割を思い出していた。そして「あ、そうだ」と思い出したのと、麻奈美が自分の時間割を出したのは同時だった。
「ちょっ、芝原さ、先生、明日じゃないですか!」
「そうだね。楽しみにしてるよ」
 そう言う芝原は、笑いながら麻奈美を見ていた。
 まるで「今日は家で勉強しなさい」と言っているようだった。
「──仕方ない。今日は勉強しよう。帰ろう、千秋ちゃん」
「ちなみに」
 麻奈美と千秋が帰ろうとすると、芝原がぽつりと言った。
「全部記述だから。選択はないよ」
 それはつまり、きちんと理解していないと正解にならないということでしょうか。
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