角砂糖が溶けるように

7-2 女子の人気者

　翌日、芝原の予告通り、世界史の授業中に小テストが行われた。
　もちろん、他の生徒たちはテストの存在自体知らなかったので、授業の前半は芝原の改めての自己紹介と勉強時間にあてられた。
　試験範囲は、今までに習ったところ全部だった。人類の誕生から各地での戦争、文化が広く浅く質問されていた。
（うわ、イギリス出てる……薔薇《ばら》戦争ってなんだっけ？）
　ノートに書いたことを必死に思い出しながら、麻奈美は眼を閉じた。
（確か、フランスの百年戦争でボルドーが……）
　思い出せそうで思い出せず、両手でこめかみを持ち上げた。そのまま視線を上にして──芝原と目が合ってしまった。
　そのまま元に戻れずにいると、芝原が口を動かした。
『できたのか？』
　麻奈美は首を縦に振るでも横に振るでもなく、傾げるように動かした。
　どちらかといえば、できていない。
　チャイムが鳴って解答用紙が回収され、「次回、返却します」と言って芝原は職員室に戻って行った。
　クラスメイトたちが騒ぎ出すのを待って、麻奈美は大きなあくびをした。
「見たよー、麻奈美ちゃん、今のあくび！」
　笑いながら近付いてくる千秋に、麻奈美は思わず口を押さえた。
「眠くって……」
「勉強で？」
「うん。だって、──どこ出るかわからなかったから」
　後半は、声をひそめた。
「まさか、教えてもらってないよね？」
「そ、それは、ないよ。昨日は、ずっと家にいたから」
　麻奈美は昨日、本当に大夢には行かなかったし、ずっと部屋で勉強していた。最初のテストでいきなり悪い点数を芝原に見られるのも嫌で、一生懸命勉強した。
　ふわぁ──、と再びあくびをして、すぐにまた、顔の半分くらい、口があいた。
「なんか、新鮮」
「え？　なにが？」
　聞きながらもあくびは止まらないようで、麻奈美は両手で口をふさいでいた。
「麻奈美ちゃんがあくびすることって、今までなかったもんね」
「ふぅゎ……、そうだっけ？」
「うん。それだけ、本気なんだね」
「……ふられっぱなしだけどね」
「諦めるのはまだ早いよ。嫌われてはないんだから」
　そんな時。
　近くにいた女子生徒のグループが、芝原の話をしているのが聞こえた。麻奈美と千秋は自分たちの話をやめて、その話を聞いた。
「昨日、たまたま帰りに一緒になって」
「えっ、一緒に帰ったの？」
「ううん。先生は逆方向で、門のところで分かれたんだけど」
　中心に話していた生徒は、一旦、言葉を切った。
「独身で彼女はいないんだって」
　その言葉を聞いた瞬間、聞いていた生徒たちが騒ぎ出した。
「やった、チャンス！」
「でもね、好きな人はいるらしいよ」
「なんだぁ……でも、彼女じゃないんなら問題ないよ」
「そっかぁ。でも、この学校、厳しいからなぁ」
「大丈夫なんじゃないの？　若いし。先生ひとりなら堅苦しくなさそうだよ」
　確かに、星城の先生たちは厳しいけれど、芝原だけは、まだ入ってすぐだからだろうか、生徒たちには優しくしていた。過去のことを知っている分、余計に厳しく思われていないのかもしれない。
「もうちょっと遅く入学したら、先生と三年間一緒だったのになぁ」
「今年で私たち卒業だもんね。寂しいなぁ」
「こらこら、立派な彼氏がいる人が何言ってるの」
　それでも気にしてしまうくらいかっこいいのだ、芝原は。
「おーい、麻奈美いるかー？」
　突然の叫び声に驚いて振り返ると、入口に修二が立っていた。教室の中を見渡して、すぐに麻奈美を見つけた。
「大声で叫ばないでよ」
「悪い悪い。あのさ」
　と言いながら、修二は近くの椅子を持ってきて、麻奈美のほうを向いて座った。
　今まで芝原の話をしていた女子生徒たちも、声につられて彼に注目する。
「──いや、これは俺と麻奈美の問題だから、聞かなくて良いぞ」
　修二は女子生徒たちに言ったけれど、言われたところで興味は増すだけだ。
「私と修二の問題って、なに？」
「まさか片平君、今さら……」
　麻奈美に芝原を諦めさせて自分のものにしようと思っていないか？
　その千秋の無言の質問を、修二は正しく受け取った。
「あ、いや、そういう話じゃないから。──うちのクラスの女子《やつ》がさ。今日の昼休みに捉まえるって言ってたぞ」
「……芝原先生を？」
「そうそう！　実習の時から気になってたらしいぞ」
「ふぅん」
「──って、なんだよ、その反応？」
「だって、それくらい……」
　麻奈美も普通の生徒として出会っていれば、同じだったに違いない。
　他の生徒の存在を気にしたところで、どうしようもない。
「でも、川瀬さんだって、先生のこと気になるでしょ？」
　隣にいた女子生徒たちが麻奈美に笑顔で聞いた。
「ま、まぁね……」
　芝原との関係が知られるとどうなるか、想像するのは怖いからやめた。