角砂糖が溶けるように
7-5 言葉の真実味
三年生の女子生徒が芝原に告白して砕け散った。
というのは、その日の午後には学校中で噂になっていた。麻奈美が到着する前に言っていたこと──生徒と恋愛する気はない、卒業しても変わらない、ということも、ふられた本人が泣きながら言っていたと噂で聞いた。
「やっぱり、ないのかなぁ」
帰り仕度をしながら麻奈美がため息をつくと、千秋が「何が?」と聞いた。
「先生と生徒の恋愛。浅岡先生は『あるような気がする』って言ってたけど、やっぱり、気がするだけなのかな」
「そうかもね。厳しい先生が言うならまだしも、芝原先生が言うんだもんね」
「うん……やっぱり、ダメなのかな」
星城学園の生徒である麻奈美も、ふられた生徒と条件は変わらない。
卒業したところで、芝原には卒業生を相手にする気もないらしい。
「でもさ、そんなに拒否するんなら──教えてくれてもいいのに」
「先生の、ずっと好きな人?」
芝原を担任していた先生が知っていたので、この学園の関係者なのは間違いない。
それも、芝原が生徒だった頃から、彼の近くにいた人。
「──ねぇ、麻奈美ちゃん、思い切って聞いちゃえば?」
「何なら、私が聞いてあげようか?」
いつの間にかクラスに芳恵が到着していて、千秋の横に並んでいた。
光輔と修二は、気晴らしに遊びに行くと言っていた。
「いいよ、芳恵ちゃん、そんなに、気にすることじゃ……」
「一番気にしてるの、麻奈美ちゃんなんだけどな」
「そうだよ、今までだって、口を開いたら先生の話しかしなかったんだよ。それも、入学した頃から」
「でも……」
芝原に聞く勇気が、麻奈美にはなかった。
もし本当のことを教えてくれたとしても、それを受け入れる強さもない。
三人一緒に校舎を出て歩いて行くと、正門の手前に芝原が立っていた。今週一週間は、下校指導を担当しているらしい。
「あっ、先生、今日のテスト、採点しましたか?」
麻奈美が口を開くよりも早く、千秋が芝原に駆け寄っていた。
「返却は明日ですよね……」
「ああ──職員室に戻ってすぐ、終わらせたよ」
「どうでしたか? 平均点は?」
「ええと、どうだったかな。他のクラスのもあったから──」
「私のクラスは、テスト明日かぁ」
「あ、そうだ、問題は別だからね」
そんな話をしている友人たちと芝原の輪の中に、麻奈美は入って行けなかった。
友人たちは、麻奈美の気を紛らわせるのにわざとテストの話をしてくれていた。もちろん麻奈美も結果は気になるけれど、そんな話は、出来なかった。
「──したか? 出来てましたか?」
「ええと……悪くはなかったと思うよ」
昼休みに聞いた、芝原と年配の先生の会話が、頭から離れなかった。
それから、芝原が昼休みに生徒に言い放った、冷たい言葉。
生徒と恋愛する気はない。卒業しても、関係は変わらない──。
「──たんですよ。ね、麻奈美ちゃん。……麻奈美ちゃん?」
「……え? なに?」
「麻奈美ちゃん、昨日は頑張ったんだもんね」
「え……う、うん……」
「どうした? しんどいのか?」
「い、いえ。大丈夫です」
慌ててそう言ったけれど、笑顔はすぐに消えた。
「あ──あれか──昼間の──」
「ベ、別に、気にしてないです! やっぱり、先生も、厳しいんだなって、それだけ……それに、先生には何回もふられてるし……慣れました」
もう一度麻奈美は、笑顔を作った。
さっきよりは長く続いたが、やがて、消えてしまった。
「でも──あのときの先生の言葉、すごく冷たかったんです。だから余計、自分に言われた気がして──」
「あのとき、って……?」
芝原の質問に、麻奈美は答えなかった。
「一つだけ、教えてください。去年のクリスマスに言ってたこと……今でも、ですか?」
『僕も言ったと思うけどな、麻奈美ちゃんのことは好きだって』
その芝原の言葉を、麻奈美は忘れたことがなかった。何度ふられてもその言葉を思い出して、自分を勇気づけていた。言葉の真実味をもう一度、確認したかった。
それがどういう関係だとしても。
平太郎の孫としてなのか。ひとりの生徒としてなのか。あるいは──。
「今でも、変わってないよ。変えるつもりもない」
芝原の言葉を聞いて、麻奈美は少しだけ笑った。
「ありがとうございます……でも、私も、生徒には変わりないんですよね」
「まぁ、そうだね」
それから星城大学の話を少しだけ聞いて、三人は学園を出た。
芝原が職員室に戻ると、遠くから誰かに呼ばれた。
「おーい、芝原、ちょっと来い」
「はい……」
呼びだしたのは、昼休みに話した年配の先生だった。職員室の奥の相談室で、二人きりになった。
「君とここで話すのは、久しぶりだな」
「そうですね……ご迷惑おかけしました」
悪いことをした時は、いつもここで説教されていた。
「本当にな。まぁ、それが今は、教師としてここにいる。立派じゃないか」
「いえ。ありがとうございます」
「それで、話なんだが──本当のことが聞きたいそうだ」
先生は立ち上がり、ドアのほうへ歩いて行って誰かを呼んだ。芝原に使うような砕けた言葉ではなく、目上の人への敬語だった。
相談室に現われた姿に芝原はぽかんと口を開け、しばらく閉じることが出来なかった。
というのは、その日の午後には学校中で噂になっていた。麻奈美が到着する前に言っていたこと──生徒と恋愛する気はない、卒業しても変わらない、ということも、ふられた本人が泣きながら言っていたと噂で聞いた。
「やっぱり、ないのかなぁ」
帰り仕度をしながら麻奈美がため息をつくと、千秋が「何が?」と聞いた。
「先生と生徒の恋愛。浅岡先生は『あるような気がする』って言ってたけど、やっぱり、気がするだけなのかな」
「そうかもね。厳しい先生が言うならまだしも、芝原先生が言うんだもんね」
「うん……やっぱり、ダメなのかな」
星城学園の生徒である麻奈美も、ふられた生徒と条件は変わらない。
卒業したところで、芝原には卒業生を相手にする気もないらしい。
「でもさ、そんなに拒否するんなら──教えてくれてもいいのに」
「先生の、ずっと好きな人?」
芝原を担任していた先生が知っていたので、この学園の関係者なのは間違いない。
それも、芝原が生徒だった頃から、彼の近くにいた人。
「──ねぇ、麻奈美ちゃん、思い切って聞いちゃえば?」
「何なら、私が聞いてあげようか?」
いつの間にかクラスに芳恵が到着していて、千秋の横に並んでいた。
光輔と修二は、気晴らしに遊びに行くと言っていた。
「いいよ、芳恵ちゃん、そんなに、気にすることじゃ……」
「一番気にしてるの、麻奈美ちゃんなんだけどな」
「そうだよ、今までだって、口を開いたら先生の話しかしなかったんだよ。それも、入学した頃から」
「でも……」
芝原に聞く勇気が、麻奈美にはなかった。
もし本当のことを教えてくれたとしても、それを受け入れる強さもない。
三人一緒に校舎を出て歩いて行くと、正門の手前に芝原が立っていた。今週一週間は、下校指導を担当しているらしい。
「あっ、先生、今日のテスト、採点しましたか?」
麻奈美が口を開くよりも早く、千秋が芝原に駆け寄っていた。
「返却は明日ですよね……」
「ああ──職員室に戻ってすぐ、終わらせたよ」
「どうでしたか? 平均点は?」
「ええと、どうだったかな。他のクラスのもあったから──」
「私のクラスは、テスト明日かぁ」
「あ、そうだ、問題は別だからね」
そんな話をしている友人たちと芝原の輪の中に、麻奈美は入って行けなかった。
友人たちは、麻奈美の気を紛らわせるのにわざとテストの話をしてくれていた。もちろん麻奈美も結果は気になるけれど、そんな話は、出来なかった。
「──したか? 出来てましたか?」
「ええと……悪くはなかったと思うよ」
昼休みに聞いた、芝原と年配の先生の会話が、頭から離れなかった。
それから、芝原が昼休みに生徒に言い放った、冷たい言葉。
生徒と恋愛する気はない。卒業しても、関係は変わらない──。
「──たんですよ。ね、麻奈美ちゃん。……麻奈美ちゃん?」
「……え? なに?」
「麻奈美ちゃん、昨日は頑張ったんだもんね」
「え……う、うん……」
「どうした? しんどいのか?」
「い、いえ。大丈夫です」
慌ててそう言ったけれど、笑顔はすぐに消えた。
「あ──あれか──昼間の──」
「ベ、別に、気にしてないです! やっぱり、先生も、厳しいんだなって、それだけ……それに、先生には何回もふられてるし……慣れました」
もう一度麻奈美は、笑顔を作った。
さっきよりは長く続いたが、やがて、消えてしまった。
「でも──あのときの先生の言葉、すごく冷たかったんです。だから余計、自分に言われた気がして──」
「あのとき、って……?」
芝原の質問に、麻奈美は答えなかった。
「一つだけ、教えてください。去年のクリスマスに言ってたこと……今でも、ですか?」
『僕も言ったと思うけどな、麻奈美ちゃんのことは好きだって』
その芝原の言葉を、麻奈美は忘れたことがなかった。何度ふられてもその言葉を思い出して、自分を勇気づけていた。言葉の真実味をもう一度、確認したかった。
それがどういう関係だとしても。
平太郎の孫としてなのか。ひとりの生徒としてなのか。あるいは──。
「今でも、変わってないよ。変えるつもりもない」
芝原の言葉を聞いて、麻奈美は少しだけ笑った。
「ありがとうございます……でも、私も、生徒には変わりないんですよね」
「まぁ、そうだね」
それから星城大学の話を少しだけ聞いて、三人は学園を出た。
芝原が職員室に戻ると、遠くから誰かに呼ばれた。
「おーい、芝原、ちょっと来い」
「はい……」
呼びだしたのは、昼休みに話した年配の先生だった。職員室の奥の相談室で、二人きりになった。
「君とここで話すのは、久しぶりだな」
「そうですね……ご迷惑おかけしました」
悪いことをした時は、いつもここで説教されていた。
「本当にな。まぁ、それが今は、教師としてここにいる。立派じゃないか」
「いえ。ありがとうございます」
「それで、話なんだが──本当のことが聞きたいそうだ」
先生は立ち上がり、ドアのほうへ歩いて行って誰かを呼んだ。芝原に使うような砕けた言葉ではなく、目上の人への敬語だった。
相談室に現われた姿に芝原はぽかんと口を開け、しばらく閉じることが出来なかった。