角砂糖が溶けるように
8-5 ラブレター?
麻奈美が担任に呼び出されたのは、夏休みが明けた九月初旬の放課後。
千秋と芳恵は待ってくれると言っていたが、翌日には何度目かわからない模擬試験が控えていたので先に帰ってもらった。
担任に連れられて行ったのは、進路指導室だった。
「もう志望校は決めたのか? 専門学校に行きたいって言ってただろう」
「はい──でも、本当はまだ迷ってるんです。大学に行かないで後悔しないか」
「それは逆でも同じだろう」
「そうなんですけど……わからないんです、自分が何をしたいのか」
勉強が特別好き、ではないけれど。
むしろ、数学的な話になると、嫌いではあるけれど。
普通の大学を出て一般企業に就職しようと思ったこともあるし、日毎に身体が弱くなっていく平太郎やチヨ、三郎を見ながら、福祉の仕事に就きたいと思ったこともある。
「川瀬はいま、お祖父さんの手伝いをしているな。楽しいんじゃないのか? 仕事もずいぶん任せられるようになった、って、喜んでたぞ」
「はい……でも──」
「周りのことはあまり気にするな。先生たちは大学に行かせたがるだろうが、それ以外が悪いわけじゃない。前例がなければ、作ればいい」
もう一度、麻奈美は考えた。
大学に行くべきか、専門学校に行くべきか。
「まだ決められないみたいだな──だったら、体験入学をしてみないか? 本当は去年のうちに行くのが一番良かったんだが……今でも遅くはないだろう」
言いながら担任が麻奈美に見せたのは、麻奈美の第一志望の専門学校だった。
麻奈美の表情が明るくなったのを、担任は見逃さなかった。
「ほら、やっぱり嬉しそうな顔してるぞ。行ってみたらどうだ? あいにく、実習は出来ないみたいだけどな」
担任から資料を受け取り、さっと目を通した。
実際の学生と同じように朝から簡単な講義を受けて、併設のカフェで食事をとってから、午後は学生に相談できる時間が設けられていた。
「行きたい……でも、この日って」
「そうなんだ。だけど、それは気にするな。欠席扱いはしない」
翌日の放課後。
「試験も終わったし、やっと文化祭に打ち込めるぞ!」
そう意気込んでいる修二ほどではないが、千秋と芳恵もそれなりに楽しそうに文化祭の話をしていた。
「それで結局、有志のやつって何になるんだろうね」
「何だろうね。ダンスは、やめてほしいけどね……麻奈美ちゃん、どうしたの、そんな顔して」
「あの、その文化祭の日なんだけど、私、休むことになったの」
「えっ? もしかしてーっ、先生とデート?」
「ち、違うから! そんなんじゃないよ」
「本当? 先生も午前中だけ出て午後は休むんだって」
麻奈美は昨日は真っすぐ家に帰ったし、今日も芝原には会っていない。だからそんな話は聞いていないし、麻奈美が体験に行くことも、直接は話していない。
「麻奈美ちゃんはどうして休むの?」
「昨日、呼びだされた話なんだけど、専門学校の体験入学があって、文化祭の日と重なってたんだよ。余裕持って行けるのは今回が最後だろう、って。だから、行くことにした」
「ふぅん。そうなんだ」
「実習は出来ないみたいなんだけどね。一番行きたい学校だったし。迷ってるなら行ったほうが良いって、先生にも言われた」
「麻奈美ちゃんがいないのは寂しいけど、受験生だもんね、私たち」
受験生、という単語が重く圧《の》し掛かる。
第一志望を専門学校にしている麻奈美にも、それは例外ではない。
「受験かぁ。やだなぁ。そうだ、年明けすぐにセンター試験もあるもんね、のんびりしてられないね」
「そうだね。センター試験の会場って、星城大学だよね。はは、複雑だなぁ」
ははは、と笑う千秋につられて、芳恵と麻奈美も笑った。
三人の中では誰も星城大学を第一志望にはしていないし、志望校にも入っていない。行きたい学部・学科がないわけではなく、単に、レベルが高すぎて届かない。
「麻奈美ちゃんも、センター受けるの?」
芳恵の質問に、麻奈美は「うん」と返事した。
「一応ね。もしものこともあるし……自分の実力も見てみたいし」
「でも、一番行きたいのは、専門学校なんでしょ? それって、試験あるの?」
「試験──書類と面接だけだって」
言いながら、麻奈美の表情はすこし硬くなった。
今まで頑張ってきた勉強をほとんど必要としない試験。学校で勉強以外がどう評価されているのかほとんど気にしていなかったし、面接はどれだけ練習しても慣れるものではない。大夢を手伝いながら人と話すことは好きになったが、面接だけは別だ。
「大丈夫だよ、麻奈美ちゃんなら」
「日頃の行いも良いもんね」
「よ、良くないから!」
「ああ、良くないな。幼馴染の俺が隣にいながらずっと無視するって、あんまりだよな」
その声に驚いて振り向くと、修二が腕を組んで立っていた。
「いつからいたの? 全然知らなかった」
「ほら、またそんなこと言う。冷たいなぁ」
「修二こそ、いるならいるって言ってよ。何か用?」
もちろん、修二は麻奈美と芝原の関係を正しく知っている。
だから今更、ストーカーに戻ろうとは思っていないはずだ。
「ああ──これ、頼むから読んでくれ」
「なに? 片平君、もしかして、ラブレター?」
その単語に反応した生徒たちが振り返ったけれど、麻奈美が受け取った手紙は包囲していた友人たちのおかげで他の誰の目にも入っていない。
手紙には、こう書かれていた。
───芝原先生が女の人と楽しそうに街を歩いてた、って噂だ。───
千秋と芳恵は待ってくれると言っていたが、翌日には何度目かわからない模擬試験が控えていたので先に帰ってもらった。
担任に連れられて行ったのは、進路指導室だった。
「もう志望校は決めたのか? 専門学校に行きたいって言ってただろう」
「はい──でも、本当はまだ迷ってるんです。大学に行かないで後悔しないか」
「それは逆でも同じだろう」
「そうなんですけど……わからないんです、自分が何をしたいのか」
勉強が特別好き、ではないけれど。
むしろ、数学的な話になると、嫌いではあるけれど。
普通の大学を出て一般企業に就職しようと思ったこともあるし、日毎に身体が弱くなっていく平太郎やチヨ、三郎を見ながら、福祉の仕事に就きたいと思ったこともある。
「川瀬はいま、お祖父さんの手伝いをしているな。楽しいんじゃないのか? 仕事もずいぶん任せられるようになった、って、喜んでたぞ」
「はい……でも──」
「周りのことはあまり気にするな。先生たちは大学に行かせたがるだろうが、それ以外が悪いわけじゃない。前例がなければ、作ればいい」
もう一度、麻奈美は考えた。
大学に行くべきか、専門学校に行くべきか。
「まだ決められないみたいだな──だったら、体験入学をしてみないか? 本当は去年のうちに行くのが一番良かったんだが……今でも遅くはないだろう」
言いながら担任が麻奈美に見せたのは、麻奈美の第一志望の専門学校だった。
麻奈美の表情が明るくなったのを、担任は見逃さなかった。
「ほら、やっぱり嬉しそうな顔してるぞ。行ってみたらどうだ? あいにく、実習は出来ないみたいだけどな」
担任から資料を受け取り、さっと目を通した。
実際の学生と同じように朝から簡単な講義を受けて、併設のカフェで食事をとってから、午後は学生に相談できる時間が設けられていた。
「行きたい……でも、この日って」
「そうなんだ。だけど、それは気にするな。欠席扱いはしない」
翌日の放課後。
「試験も終わったし、やっと文化祭に打ち込めるぞ!」
そう意気込んでいる修二ほどではないが、千秋と芳恵もそれなりに楽しそうに文化祭の話をしていた。
「それで結局、有志のやつって何になるんだろうね」
「何だろうね。ダンスは、やめてほしいけどね……麻奈美ちゃん、どうしたの、そんな顔して」
「あの、その文化祭の日なんだけど、私、休むことになったの」
「えっ? もしかしてーっ、先生とデート?」
「ち、違うから! そんなんじゃないよ」
「本当? 先生も午前中だけ出て午後は休むんだって」
麻奈美は昨日は真っすぐ家に帰ったし、今日も芝原には会っていない。だからそんな話は聞いていないし、麻奈美が体験に行くことも、直接は話していない。
「麻奈美ちゃんはどうして休むの?」
「昨日、呼びだされた話なんだけど、専門学校の体験入学があって、文化祭の日と重なってたんだよ。余裕持って行けるのは今回が最後だろう、って。だから、行くことにした」
「ふぅん。そうなんだ」
「実習は出来ないみたいなんだけどね。一番行きたい学校だったし。迷ってるなら行ったほうが良いって、先生にも言われた」
「麻奈美ちゃんがいないのは寂しいけど、受験生だもんね、私たち」
受験生、という単語が重く圧《の》し掛かる。
第一志望を専門学校にしている麻奈美にも、それは例外ではない。
「受験かぁ。やだなぁ。そうだ、年明けすぐにセンター試験もあるもんね、のんびりしてられないね」
「そうだね。センター試験の会場って、星城大学だよね。はは、複雑だなぁ」
ははは、と笑う千秋につられて、芳恵と麻奈美も笑った。
三人の中では誰も星城大学を第一志望にはしていないし、志望校にも入っていない。行きたい学部・学科がないわけではなく、単に、レベルが高すぎて届かない。
「麻奈美ちゃんも、センター受けるの?」
芳恵の質問に、麻奈美は「うん」と返事した。
「一応ね。もしものこともあるし……自分の実力も見てみたいし」
「でも、一番行きたいのは、専門学校なんでしょ? それって、試験あるの?」
「試験──書類と面接だけだって」
言いながら、麻奈美の表情はすこし硬くなった。
今まで頑張ってきた勉強をほとんど必要としない試験。学校で勉強以外がどう評価されているのかほとんど気にしていなかったし、面接はどれだけ練習しても慣れるものではない。大夢を手伝いながら人と話すことは好きになったが、面接だけは別だ。
「大丈夫だよ、麻奈美ちゃんなら」
「日頃の行いも良いもんね」
「よ、良くないから!」
「ああ、良くないな。幼馴染の俺が隣にいながらずっと無視するって、あんまりだよな」
その声に驚いて振り向くと、修二が腕を組んで立っていた。
「いつからいたの? 全然知らなかった」
「ほら、またそんなこと言う。冷たいなぁ」
「修二こそ、いるならいるって言ってよ。何か用?」
もちろん、修二は麻奈美と芝原の関係を正しく知っている。
だから今更、ストーカーに戻ろうとは思っていないはずだ。
「ああ──これ、頼むから読んでくれ」
「なに? 片平君、もしかして、ラブレター?」
その単語に反応した生徒たちが振り返ったけれど、麻奈美が受け取った手紙は包囲していた友人たちのおかげで他の誰の目にも入っていない。
手紙には、こう書かれていた。
───芝原先生が女の人と楽しそうに街を歩いてた、って噂だ。───