角砂糖が溶けるように
8-7 甘い誘惑
高校最後の文化祭の三年有志枠は、結局、何もせずに終わってしまったらしい。中学から星城に通っていてダンスを踊れる生徒はそれを希望していたが、踊りたい相手ダントツ一位の芝原が不在と聞いて、その熱は冷めた。千秋が提案した大学の授業体験も、上手く大学側との都合が合わなかったらしい。
「でもその分、卒業パーティーを盛大にするって噂だけどね」
麻奈美が久々に顔を出した大夢のカウンターには、いつものようにチヨと三郎、それから芝原が並んで座っていた。平太郎は美味しいサツマイモを入手したとかで、デザートの新作を試作中だ。
「パーティーって言っても、謝恩会くらいに思っといた方がいいかな」
「シャオン会……あ、先生に感謝する会？」
「そう。途中から、どっちが主役なのかわからなくなるんだけどね」
「歌を歌ったりするのかい？ ほら、仰げば尊し、とか」
三郎は得意気に聞いてみたけれど。
「三ちゃん、それは卒業式で歌うだろうよ。パーティーでしんみりしてどうするんだよ。やだねぇ、これだから年寄りは」
チヨの指摘に、芝原は苦笑した。
麻奈美は平太郎にカウンターの奥に呼ばれ、出来あがったデザートを見て歓声をあげた。
「わぁ、美味しそう！」
「平ちゃん、何を作ったんだい？」
「サツマイモだったら、スイートポテトじゃないかい？」
チヨと三郎の会話を聞きながら、麻奈美はそれを人数分に切り分けた。カウンターの常連客だけでなく、もちろん他の客にも忘れず配る。
「これは──モンブラン？」
「はい。表面のクリームとトッピングはサツマイモで、スポンジの中に刻んだ栗が入ってます。私も早く食べたいっ！」
「麻奈美は進路が決定してからだな」
大夢の客たちがサツマイモのモンブランを食べる様子を伺いながら、平太郎は笑った。
「その前に、卒業できるかどうか……入試も難しいし、センター試験だってあるんだろう。期末試験だってあるんだ。芝原、君も教師だったら厳しくしてくれ」
麻奈美は頬を膨らまして拗ねながら、平太郎と芝原を交互に見た。
平太郎は相変わらず厳しい顔で、芝原は完全に困惑していた。
「まぁ、食べても構わんが──くれぐれも、失敗しないようにな」
「うん……！」
そうして笑顔になった麻奈美は、自分の分のモンブランを持ってきて迷わず芝原の隣に腰掛けた。
「先生」
「ん？ なに？」
「──まったく、教師に見えんぞ」
麻奈美が続けるより早く、カウンターの向こうから平太郎が溜息をついた。
芝原は出されたモンブランにフォークを突き刺し、それを食べようと口を開けたところだった。顔の正面で行き場を無くした甘い誘惑は、そのままお皿に戻された。
「センター試験って、そもそも何なんですか？ あ、先生は試験は内部で……じゃ、受けてないんですか？」
「うん。僕は内部進学したからセンターは受けてないんだ。というか、僕のときは、センター試験はなかったんだよ」
「え？」
芝原の予想外の返答に麻奈美は思わず声をあげた。
「なかった、って……」
「芝原の学年は、ちょっと古くてな」
「ふ、古いって、マスター、それはないですよ」
笑いながら芝原は、モンブランをようやく一口食べた。
表面のさつまいもクリームの甘みが口いっぱいに広がった。
「うん……栗もちゃんと、負けてないですね。僕の時も、そういう試験は一応はあったんだよ。共通一次っていう……でも、それは国公立大学を受ける人が対象だったから、どっちみち、私立の星城には必要なかったんだけど」
言い終わってから、芝原はコーヒーカップを持ち上げた。すっかり冷めてしまっているが、大夢のコーヒーは冷めても美味しく飲める。
「ふぅん」
センター試験を利用して受験できる私立大学もいくつかあって、麻奈美は万が一のために受験することに決めていた。もちろん、第一志望は専門学校なので、面接を突破することが一番の課題だ。
「麻奈美ちゃんなら、大丈夫なんじゃないかな」
モンブランを平らげてしまってから、芝原は笑った。
「そうやって甘やかすと、成績が落ちる」
「平ちゃんも、相変わらず厳しいねぇ。少しくらい良いじゃないか」
「チヨさん、これは麻奈美の人生がかかってるんですよ」
「おじいちゃん、気持ちは嬉しいけど、人生って大げさだよ」
麻奈美は言いながら、フォークでモンブランを一口大に切った。平太郎はそれを見ながら、誰かが口を開くのを待った。
「──担任の先生も言ってたけど、麻奈美ちゃんは最近の模試ではA判定も出てる。それに、学校での態度も他の生徒より良い。僕は、大学と専門学校の両方の合格を信じてますよ」
隣で芝原が平太郎にそう言うのを聞いて、麻奈美は照れてしまった。
確かにA判定を貰って驚いたことはあったし、他の生徒──例えば修二が、受験生にしては遊び過ぎていると思うこともある。
けれど、今の芝原の発言は、単に教師としての意見ではない気がする。
「そんな……まだ面接で何を聞かれるかもわからないのに、先生、それはプレッシャーです」
「僕は本当のことしか言わないよ。絶対、大丈夫」
芝原は麻奈美に笑いかけたが、麻奈美にはそんな余裕はない。両手で頭を抱え込み、「先生のばかぁああ」と低く唸った。
もちろん、そんな芝原と麻奈美を平太郎が険しい顔で見つめていることにも、平太郎を見ながらチヨと三郎がため息をついていることにも、二人が気づくことはなかった。
「でもその分、卒業パーティーを盛大にするって噂だけどね」
麻奈美が久々に顔を出した大夢のカウンターには、いつものようにチヨと三郎、それから芝原が並んで座っていた。平太郎は美味しいサツマイモを入手したとかで、デザートの新作を試作中だ。
「パーティーって言っても、謝恩会くらいに思っといた方がいいかな」
「シャオン会……あ、先生に感謝する会？」
「そう。途中から、どっちが主役なのかわからなくなるんだけどね」
「歌を歌ったりするのかい？ ほら、仰げば尊し、とか」
三郎は得意気に聞いてみたけれど。
「三ちゃん、それは卒業式で歌うだろうよ。パーティーでしんみりしてどうするんだよ。やだねぇ、これだから年寄りは」
チヨの指摘に、芝原は苦笑した。
麻奈美は平太郎にカウンターの奥に呼ばれ、出来あがったデザートを見て歓声をあげた。
「わぁ、美味しそう！」
「平ちゃん、何を作ったんだい？」
「サツマイモだったら、スイートポテトじゃないかい？」
チヨと三郎の会話を聞きながら、麻奈美はそれを人数分に切り分けた。カウンターの常連客だけでなく、もちろん他の客にも忘れず配る。
「これは──モンブラン？」
「はい。表面のクリームとトッピングはサツマイモで、スポンジの中に刻んだ栗が入ってます。私も早く食べたいっ！」
「麻奈美は進路が決定してからだな」
大夢の客たちがサツマイモのモンブランを食べる様子を伺いながら、平太郎は笑った。
「その前に、卒業できるかどうか……入試も難しいし、センター試験だってあるんだろう。期末試験だってあるんだ。芝原、君も教師だったら厳しくしてくれ」
麻奈美は頬を膨らまして拗ねながら、平太郎と芝原を交互に見た。
平太郎は相変わらず厳しい顔で、芝原は完全に困惑していた。
「まぁ、食べても構わんが──くれぐれも、失敗しないようにな」
「うん……！」
そうして笑顔になった麻奈美は、自分の分のモンブランを持ってきて迷わず芝原の隣に腰掛けた。
「先生」
「ん？ なに？」
「──まったく、教師に見えんぞ」
麻奈美が続けるより早く、カウンターの向こうから平太郎が溜息をついた。
芝原は出されたモンブランにフォークを突き刺し、それを食べようと口を開けたところだった。顔の正面で行き場を無くした甘い誘惑は、そのままお皿に戻された。
「センター試験って、そもそも何なんですか？ あ、先生は試験は内部で……じゃ、受けてないんですか？」
「うん。僕は内部進学したからセンターは受けてないんだ。というか、僕のときは、センター試験はなかったんだよ」
「え？」
芝原の予想外の返答に麻奈美は思わず声をあげた。
「なかった、って……」
「芝原の学年は、ちょっと古くてな」
「ふ、古いって、マスター、それはないですよ」
笑いながら芝原は、モンブランをようやく一口食べた。
表面のさつまいもクリームの甘みが口いっぱいに広がった。
「うん……栗もちゃんと、負けてないですね。僕の時も、そういう試験は一応はあったんだよ。共通一次っていう……でも、それは国公立大学を受ける人が対象だったから、どっちみち、私立の星城には必要なかったんだけど」
言い終わってから、芝原はコーヒーカップを持ち上げた。すっかり冷めてしまっているが、大夢のコーヒーは冷めても美味しく飲める。
「ふぅん」
センター試験を利用して受験できる私立大学もいくつかあって、麻奈美は万が一のために受験することに決めていた。もちろん、第一志望は専門学校なので、面接を突破することが一番の課題だ。
「麻奈美ちゃんなら、大丈夫なんじゃないかな」
モンブランを平らげてしまってから、芝原は笑った。
「そうやって甘やかすと、成績が落ちる」
「平ちゃんも、相変わらず厳しいねぇ。少しくらい良いじゃないか」
「チヨさん、これは麻奈美の人生がかかってるんですよ」
「おじいちゃん、気持ちは嬉しいけど、人生って大げさだよ」
麻奈美は言いながら、フォークでモンブランを一口大に切った。平太郎はそれを見ながら、誰かが口を開くのを待った。
「──担任の先生も言ってたけど、麻奈美ちゃんは最近の模試ではA判定も出てる。それに、学校での態度も他の生徒より良い。僕は、大学と専門学校の両方の合格を信じてますよ」
隣で芝原が平太郎にそう言うのを聞いて、麻奈美は照れてしまった。
確かにA判定を貰って驚いたことはあったし、他の生徒──例えば修二が、受験生にしては遊び過ぎていると思うこともある。
けれど、今の芝原の発言は、単に教師としての意見ではない気がする。
「そんな……まだ面接で何を聞かれるかもわからないのに、先生、それはプレッシャーです」
「僕は本当のことしか言わないよ。絶対、大丈夫」
芝原は麻奈美に笑いかけたが、麻奈美にはそんな余裕はない。両手で頭を抱え込み、「先生のばかぁああ」と低く唸った。
もちろん、そんな芝原と麻奈美を平太郎が険しい顔で見つめていることにも、平太郎を見ながらチヨと三郎がため息をついていることにも、二人が気づくことはなかった。
