角砂糖が溶けるように
第9章
9-1 書類選考
年が明けて高校生活も残りわずかになり、同時に受験が目前に迫って来た。
年末年始に平太郎が大夢を閉めて川瀬家に来ていた以外は特に何もなく、お雑煮とおせち料理を食べて、お年玉をもらった。それ以外は家族はテレビの特別番組を見ていたが、麻奈美だけはひとり、部屋にこもって勉強をしていた。
もちろん、第一志望は調理・製菓の専門学校に変わりはない。
もしも大学に行きたくなった場合のために勉強している──ほどほどに。
「まったく。私の目を盗んで会ってたって、どういうことだ」
麻奈美が不在の川瀬家の居間で、平太郎は頬を膨らませていた。
「まぁ、良いじゃない。ずっと鬼の監視下じゃ、肩が凝るわよ」
平太郎とは反対に、光恵はずいぶんと嬉しそうだった。
「ね、お父さんも、怒ってないわよね」
「……今回は特別だ。次はないぞ」
芝原の話になるといつも不機嫌な父親も、今回だけは特別だった。
「だが──まだ確定ではないんだろう」
「大丈夫よ、麻奈美なら。心配ないわ」
ふふ、と微笑む光恵の前で、平太郎は盛大に溜息をついた。
※
麻奈美と芝原がデートしたクリスマスの夜、芝原は麻奈美に「報告がある」と言った。
街に出ると生徒に会う可能性が高いので、近くの展望台に来た。車から降りて、並んで座っていた。
「報告? 何の? ……先生、どこか行くんですか?」
会えない日が多くなるから今日だけデートなのか、と一瞬思ったが、芝原は、ううん、と笑った。
「僕じゃない。麻奈美ちゃんのことで」
「私のこと? なんですか?」
麻奈美が聞くと、芝原は鞄の中から小さな封筒を取り出した。
そこには、見覚えのある学校の名前が印刷されていた。
専門学校の願書受付は十一月に始まっていて、麻奈美は十二月中旬に出願した。選考日時は特に決まっておらず、提出次第、一週間ほどで結果通知。書類選考の結果の郵送先は自宅か学校を選べるようになっていて、麻奈美は学校を希望していた。家族は「家で良いだろう」と言っていたけれど、なんとなく、怖かった。
「昨日、学校に届いたよ。教師宛にも一枚ついてて──書類選考通過だよ。おめでとう」
「え──ほ、本当ですか?」
「うん。それに、ダメだったら、そんなに中身、厚くないしね」
確かに麻奈美が受け取った封筒は、まだ封が切られておらず、少し膨らんでいた。選考の結果通知と、面接日の連絡が入っているのだろうと思った。
「良かったぁ……。先生、ありがとうございます!」
「いや、僕は何もしてないから。麻奈美ちゃんがお店で頑張ってる、って担任の先生が書いてくれたんじゃないかな」
「うん……でも、先生がお客さんじゃなかったら──そもそも、こっちに進もうとは思ってなかったかも」
封筒を握りしめて喜びながら、麻奈美は改めて決意を強くした。
いろんなことを勉強したい。
そして早く、お店で働きたい。
それから──数年後に自分がどうなっているかはわからないけれど、あれこれ想像するのは麻奈美の自由。隣にいる好きな人とは、もっと仲良くしていたい。あまりに未来を想像しすぎて、麻奈美はつい、はは、と笑った。
「ん? 麻奈美ちゃん、どうかした?」
「ううん。何でもないです」
封筒を鞄に入れてから、麻奈美は目の前の夜景を見つめた。
残念ながら、クリスマスの輝きは見えないけれど、それでも良かった。
もう一度、この景色を見に来たい。その時は芝原は本当の彼氏かな──と思ったとき、麻奈美は芝原に抱き寄せられていた。驚いて顔を上げようとしたけれど、あまりに彼の顔が近かったので恥ずかしくてやめた。
「明日になったら、また元の関係に戻ってしまうけど……次にここに来る時は──」
言葉が続く代わりに、麻奈美を抱く腕の力が強くなった。
麻奈美もそのまま何も言わず、彼に身体を預けた。
※
「で、それから何もなかったの?」
久々に登校した星城学園の教室で、麻奈美は友人たちにクリスマスの出来事を話していた。大夢の手伝いが終わってすぐ、芝原と夜景を見に行ったこと。それから、専門学校の書類選考を無事に通過したこと。
「何もって……何が?」
「そりゃ、あんなことやこんなことだよ。数時間だけでも彼氏だったんでしょ?」
「そうだけど……」
しばらく二人で夜景を見てから、そのまま家まで送ってもらった。
恋人らしいことは──特に何もしていない。
「ま、今の時期に始まるのは、受験に影響するしね。勉強出来なかったら大変だよ」
「そうだね。もうすぐだもんね……」
センター試験を間近に控え、三年生たちの表情から余裕は消えていた。
専門学校を第一志望にしている麻奈美も、センター試験は出願した。もちろんそのために、冬休みはほとんど返上で勉強に充てた。
「ねぇ、麻奈美ちゃん、面接はいつなの?」
「そうだ、麻奈美ちゃんはセンター試験よりそっちが大事だもんね」
「面接……昨日、行ってきたよ」
「え?」
芝原から受け取った封筒を開けて、年末年始を挟んでいるので、書かれていた面接日はちょうど二週間後だった。父親もまだ仕事が始まっていなかったので、行きも帰りも送ってもらった。
志望理由や高校生活で頑張ったことの他に、大夢の手伝いに関する質問が多く飛び出した。始めた頃と今との違い、嬉しかったこと、悲しかったこと。大夢で過ごした三年間を、麻奈美はほとんど全て話した。平太郎にはまだ、店を継ぐのを反対されていることも。
「すごい緊張したけど、先生は笑顔だったから……大丈夫、かなぁ?」
麻奈美が専門学校を受験したことは、職員室でも話題になっていた。
そして一週間後の昼休み、麻奈美は進路指導室に呼び出されることになる──。
年末年始に平太郎が大夢を閉めて川瀬家に来ていた以外は特に何もなく、お雑煮とおせち料理を食べて、お年玉をもらった。それ以外は家族はテレビの特別番組を見ていたが、麻奈美だけはひとり、部屋にこもって勉強をしていた。
もちろん、第一志望は調理・製菓の専門学校に変わりはない。
もしも大学に行きたくなった場合のために勉強している──ほどほどに。
「まったく。私の目を盗んで会ってたって、どういうことだ」
麻奈美が不在の川瀬家の居間で、平太郎は頬を膨らませていた。
「まぁ、良いじゃない。ずっと鬼の監視下じゃ、肩が凝るわよ」
平太郎とは反対に、光恵はずいぶんと嬉しそうだった。
「ね、お父さんも、怒ってないわよね」
「……今回は特別だ。次はないぞ」
芝原の話になるといつも不機嫌な父親も、今回だけは特別だった。
「だが──まだ確定ではないんだろう」
「大丈夫よ、麻奈美なら。心配ないわ」
ふふ、と微笑む光恵の前で、平太郎は盛大に溜息をついた。
※
麻奈美と芝原がデートしたクリスマスの夜、芝原は麻奈美に「報告がある」と言った。
街に出ると生徒に会う可能性が高いので、近くの展望台に来た。車から降りて、並んで座っていた。
「報告? 何の? ……先生、どこか行くんですか?」
会えない日が多くなるから今日だけデートなのか、と一瞬思ったが、芝原は、ううん、と笑った。
「僕じゃない。麻奈美ちゃんのことで」
「私のこと? なんですか?」
麻奈美が聞くと、芝原は鞄の中から小さな封筒を取り出した。
そこには、見覚えのある学校の名前が印刷されていた。
専門学校の願書受付は十一月に始まっていて、麻奈美は十二月中旬に出願した。選考日時は特に決まっておらず、提出次第、一週間ほどで結果通知。書類選考の結果の郵送先は自宅か学校を選べるようになっていて、麻奈美は学校を希望していた。家族は「家で良いだろう」と言っていたけれど、なんとなく、怖かった。
「昨日、学校に届いたよ。教師宛にも一枚ついてて──書類選考通過だよ。おめでとう」
「え──ほ、本当ですか?」
「うん。それに、ダメだったら、そんなに中身、厚くないしね」
確かに麻奈美が受け取った封筒は、まだ封が切られておらず、少し膨らんでいた。選考の結果通知と、面接日の連絡が入っているのだろうと思った。
「良かったぁ……。先生、ありがとうございます!」
「いや、僕は何もしてないから。麻奈美ちゃんがお店で頑張ってる、って担任の先生が書いてくれたんじゃないかな」
「うん……でも、先生がお客さんじゃなかったら──そもそも、こっちに進もうとは思ってなかったかも」
封筒を握りしめて喜びながら、麻奈美は改めて決意を強くした。
いろんなことを勉強したい。
そして早く、お店で働きたい。
それから──数年後に自分がどうなっているかはわからないけれど、あれこれ想像するのは麻奈美の自由。隣にいる好きな人とは、もっと仲良くしていたい。あまりに未来を想像しすぎて、麻奈美はつい、はは、と笑った。
「ん? 麻奈美ちゃん、どうかした?」
「ううん。何でもないです」
封筒を鞄に入れてから、麻奈美は目の前の夜景を見つめた。
残念ながら、クリスマスの輝きは見えないけれど、それでも良かった。
もう一度、この景色を見に来たい。その時は芝原は本当の彼氏かな──と思ったとき、麻奈美は芝原に抱き寄せられていた。驚いて顔を上げようとしたけれど、あまりに彼の顔が近かったので恥ずかしくてやめた。
「明日になったら、また元の関係に戻ってしまうけど……次にここに来る時は──」
言葉が続く代わりに、麻奈美を抱く腕の力が強くなった。
麻奈美もそのまま何も言わず、彼に身体を預けた。
※
「で、それから何もなかったの?」
久々に登校した星城学園の教室で、麻奈美は友人たちにクリスマスの出来事を話していた。大夢の手伝いが終わってすぐ、芝原と夜景を見に行ったこと。それから、専門学校の書類選考を無事に通過したこと。
「何もって……何が?」
「そりゃ、あんなことやこんなことだよ。数時間だけでも彼氏だったんでしょ?」
「そうだけど……」
しばらく二人で夜景を見てから、そのまま家まで送ってもらった。
恋人らしいことは──特に何もしていない。
「ま、今の時期に始まるのは、受験に影響するしね。勉強出来なかったら大変だよ」
「そうだね。もうすぐだもんね……」
センター試験を間近に控え、三年生たちの表情から余裕は消えていた。
専門学校を第一志望にしている麻奈美も、センター試験は出願した。もちろんそのために、冬休みはほとんど返上で勉強に充てた。
「ねぇ、麻奈美ちゃん、面接はいつなの?」
「そうだ、麻奈美ちゃんはセンター試験よりそっちが大事だもんね」
「面接……昨日、行ってきたよ」
「え?」
芝原から受け取った封筒を開けて、年末年始を挟んでいるので、書かれていた面接日はちょうど二週間後だった。父親もまだ仕事が始まっていなかったので、行きも帰りも送ってもらった。
志望理由や高校生活で頑張ったことの他に、大夢の手伝いに関する質問が多く飛び出した。始めた頃と今との違い、嬉しかったこと、悲しかったこと。大夢で過ごした三年間を、麻奈美はほとんど全て話した。平太郎にはまだ、店を継ぐのを反対されていることも。
「すごい緊張したけど、先生は笑顔だったから……大丈夫、かなぁ?」
麻奈美が専門学校を受験したことは、職員室でも話題になっていた。
そして一週間後の昼休み、麻奈美は進路指導室に呼び出されることになる──。