角砂糖が溶けるように

9-2 進路指導室

 センター試験のために久々に訪れた星城大学は、以前とほとんど変わっていなかった。ただ、芝原が在籍している大学から、彼の母校になった。それ以外に、麻奈美には何も変わったことはない。
 けれど本当は、それがいちばん麻奈美には印象的だった。
 いったい何なのかはよくわからないけれど、なんとなく、新鮮な気がした。
「センター試験はほとんど教科書通りだから、落ち着いて臨めば大丈夫だよ」
 その芝原の言葉を何度も思い出しながら、麻奈美は理数系以外の教科を受験した。
 この受験は力試しで終わるかもしれない。むしろ、麻奈美にとってはそれが一番望ましい。それでも一応、真剣にマークシートを塗りつぶした。
 二日間に渡ったセンター試験の翌日は、朝刊に解答が載る。
 そのコピーが学校で配られ、持ち帰った問題用紙に書き込んだ自分の答えを自己採点する。各教科の得点を記入し、学校に提出する。あとの時間は、授業という授業はほとんどなく、各自が自習に充てている。
「応用問題が多かったよね、平均点ないかも」
「英語も知らない単語がいっぱい出てきてたし……厳しいなぁ」
 教室のあちこちで、そんな会話が聞こえた。
 もちろん、麻奈美たちも例外ではない。
「俺、けっこういけたかも」
 いつの間に修二が来ていたのかはわからないけれど──。
「修二って、星城大学が第一志望だったよね」
「ああ。近いし。……せめて学校だけでも負けたくねーし」
 麻奈美を見ながらそう言ったのは、「……」の部分に「芝原先生に」が隠れているからだと想像するのは簡単だった。麻奈美と芝原の最近のことは、修二にもすでに話してある。もちろん、修二は今も、ストーカーのフリをしてくれている。
 センター試験の結果をもとに、最終的にどこの大学を受験するか、という話をしている麻奈美を担任が呼びにきた。
「川瀬──ちょっと来なさい」
 担任の口調は、なんとなくいつもと違っていた。
 教室を出ようとしている麻奈美に友人たちは「どうしたの?」と聞いた。
「なんだろう……? わからない。先生、怒ってたよね?」
 けれど麻奈美には悪いことをした記憶は全くない。
 先生が気分を悪くする、といえば──。
 担任は麻奈美を進路指導室へ連れて行った。中にはすでに進路指導の先生が椅子に座って待機していた。担任は隣に、麻奈美は向かいに座った。
「川瀬──教えてくれ。何を言ったんだ」
「え? 言う……って、何をですか」
 担任も進路指導の先生も、どちらも表情は変わらない。
 何のことを言われているのか、麻奈美には見当もつかない。
 まさか、年末の芝原とのことではないはずだ──。
「先週だ。専門学校の面接で、何を言ったんだ」
「面接ですか? あれは……ただ、今までの経験と、将来やりたいことを話しただけです。何も悪いことは──もしかして、ダメだったんですか」
 麻奈美は正面を向いて担任に聞いた。
 担任は腕を組んだまま何も言わず、しばらくしてから進路指導の先生が書類の山の中から封筒を取り出した。クリスマスに芝原から受け取ったのと同じものだった。
「開けてみなさい」
 麻奈美は黙って封筒を開けた。
「──え、ごっ?」
「合格だ」
「やったぁ!」
 二人の先生はもう、怖い顔をしていなかった。
 立ちあがって喜ぶ麻奈美を、しばらく笑顔で見ていた。
「センター試験の間に届いて、昨日、学校から電話があった。理由は本人に伝えるからって教えてくれなかったんだが……入学金を全額免除したいという話があった」
「え? どうしてですか?」
「それが知りたくてここに呼んだんだ」
「そうですか……でも、私、何もわからないです」
 麻奈美は本当に一般枠で受験したし、学校も推薦ではなく自分で決めた。
 もちろん、芝原も平太郎も、誰もその学校には関係していない。
「ただ、向こうの先生は……非常に有望な生徒さんだと言ってたな。やる気が評価されたのかもしれないな」
「はい……ありがとうございます」
「センター試験の結果は、良かったとは言えないが──。まぁ。お祖父さんに負けないように、頑張りなさい」
「はい!」
 ありがとうございます、と一礼してから、麻奈美は元気に進路指導室を飛び出した。教室に戻る途中、廊下で芝原を見かけた。
「先生! 芝原先生!」
「ん? ……あぁ、麻奈──川瀬さん。どうしたの、すごい笑顔で」
 麻奈美は芝原のところまで走っていった。他の生徒にあやしまれない距離でブレーキをかけた。
「面接、合格しました! うれ、しい……!」
「本当に? おめでとう!」
「良かった……嬉しい……!」
 麻奈美が流す嬉し涙を拭ってやりたい気持ちを芝原は必死で抑え──。
 近くに他の生徒がいないのを確認してから、小声で言った。
「僕は信じてたよ。麻奈美ちゃんは本気だったから」
 ぽんぽん、と久しぶりに麻奈美の頭に手を乗せた。
「これからますます、マスターの目が怖くなるよ。僕のこともあるだろうけど、お店は継がせない、ってね」
 麻奈美が顔を上げた時には、芝原はもう歩きだしていた。
「先生! ありがとうございます!」
 芝原は振り返り、笑顔で手を振った。
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