角砂糖が溶けるように

9-3 学長からの提案

 それからしばらくして、友人たちも無事に進学する大学が決定した。
 修二は最初から言っていた通り、星城大学に合格し、千秋と芳恵も第一志望の大学に合格することができた。
「みんな合格で良かったね」
「うん。浪人にならなくて良かったよ」
「ねぇ、修二はどこの学部?」
 麻奈美は手に入らなくても、せめて大学だけは負けたくない。
 と言っていた修二だから、芝原とは違うところだろう、と麻奈美は予想していた。
「俺? 教育学部」
「えっ、教育って、先生になるの?」
 麻奈美が聞くと、修二は真面目な顔になった。
「──ここの教師になろうと思う」
 それはつまり、本当に芝原に負けたくない一心で?
 麻奈美たちの無言の質問が伝わったのか、修二は口角を上げて麻奈美に言った。
「四年後、どうなってるかわかんねーけど……。何かあったら俺に言えよ」
 修二の気持ちは嬉しいけれど。
 麻奈美はずっと、芝原を好きでいるつもりでいるけれど。
 実際どうなるかは、時が来ないとわからない。
「それより麻奈美、入学金免除ってどういうことだよ」

 専門学校の合格を知った日の数日後、川瀬家に一本の電話があった。
 かけてきたのは、誰かは知らないけれど、専門学校の先生だった。
 入学金免除の件について話がしたいので会いたい、という用件には、どういうわけか、平太郎にも同席してほしい、という一言が付け加えられていた。
 場所を大夢にしたい、というのは、学校側の希望だった。
 麻奈美はともかく、身体の弱っている平太郎には好都合だ。
 当日、午後の落ち着いた時間に来てもらうように連絡をし、麻奈美と平太郎は早めに昼食を済ませた。日曜なので客がいないわけではないが、いつもの常連たちなので聞かれても問題はない。
 カランコロン……
「こんにちは」
「いらっしゃいま──、香織ちゃん?」
 現れたのは、麻奈美が専門学校の体験入学で出会った佐崎香織だった。
 香織には「祖父の店を手伝っている」とは伝えたが、具体的には何も教えていない。
「え……麻奈美ちゃん……あ──そういうことなんだ!」
 ひとり納得して笑顔の香織の前で、麻奈美と平太郎は首を傾げた。
 その間に別の客が来店していて、それには平太郎が驚く番だった。
「佐崎さん? どうしてここに──」
「ああ、香織は私の娘でね。入学前に一度、実際に働いてる人を見たいと言うから……川瀬麻奈美さん、改めて、合格おめでとう。新年度が楽しみだよ」
「……もしかして、先生ですか?」
 麻奈美の質問に、香織の父親は「まぁ、そんなもんだよ」と笑った。
「私の義理の父親が、未来学園の理事をしている。それにしても、川瀬さんとここでお会いするとは……」
「あの、祖父とはどういう関係なんですか」
「私がここを開く前、いろいろとお世話になったのが佐崎さんなんだ」
 麻奈美の質問には、珍しく平太郎が答えた。
 四人がお互いの関係をそれぞれ理解した辺りで平太郎は二人に席を勧めた。
 席に着こうとして、香織の父親は客たちのほうを見た。
「気にしなくていいですよ、みんなうちの常連さんで、麻奈美のこともよく知ってる。それに、この若いのは──麻奈美の高校の教師ですから」
 平太郎が言った「若いの」に芝原は飲みかけのコーヒーを溢しそうになった。教師同士で軽く挨拶をしたあと、佐崎親子と一緒に麻奈美も席に着いた。平太郎はカウンターの奥にコーヒーを淹れに行き、一瞬迷ってから四人分のコーヒーをテーブルに運んだ。
 おじいちゃん、私、コーヒー飲めないよ!
 という麻奈美の心の叫びを完全に無視して、平太郎は佐崎親子と話を始めていた。受け取った名刺には、未来学園カフェ&スイーツ専門学校 学長、と書かれていた。
「佐崎さん、まさかとは思うが、私と知り合いだからって麻奈美の入学金を免除にするんじゃないですよね。それなら、お断りしますよ」
 平太郎が言うと、学長は「いやいや」と笑った。
「確かに、それも理由の一つです。でも、理事長も言ってたんですが、麻奈美さんのやる気というか、心構えは他の受験生とは全然違ったんです。すでに働いてるからかも知れませんが、これから学校で習う基礎も、ほとんど理解してる様子でした」
「私もそれ思ったんです。麻奈美ちゃんには、私のことは教えてなくて……私もずっとこういう仕事がしたくてアルバイトしてたけど、気持ちは負けてました。今日は麻奈美ちゃんの姿を見たくて来たんです」
 佐崎親子に褒められて、麻奈美は恥ずかしくなった。思わず照れ隠しに口に運んだブラックコーヒーが苦くてどうしようもなかったけど、ここで変な顔をするわけにはいかない。
「麻奈美には、高校入学からここで手伝いをしてもらってきた。小遣いも何もやってないのに、よくやってくれてるし、簡単な調理なら出来る。本当に助かってます」
「……あ──私は、本当にこのお店を継ぎたくて──おじいちゃんはずっと反対してるけど──だから、今まで続けて来れたし、これからもそのつもりです。でも、だからって……望んだわけでもないのに、免除なんか……」
 麻奈美と平太郎は、入学金免除の話を受け入れるつもりはなかった。
 いくら心構えが違っても、そこまで良くしてもらう必要はない。
 けれど佐崎親子は納得しなかった。
「それならせめて、在学中の試験の結果に応じて授業料を免除させていただけませんか。もしくは、卒業後にお店を構える場合──ここを改築する場合を含めてですが──お手伝いさせていただけませんか」
 学長の言葉に、平太郎は短く溜息をついた。
「そこまで言うなら、仕方ない。麻奈美、どうする」
 麻奈美はしばらく考えたけれど、その日、佐崎親子に返事はできなかった。
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