角砂糖が溶けるように
1-7 二人の関係
宿泊研修二日目、施設内の散歩コースを全員で歩いた。一度に出発すると混雑するので、班ごとに時間差で出かけた。
施設前の広場を出発して、まずはなだらかな山道を登る。散歩コースから外れなければどこを歩いても良いので、なるべく歩きやすそうな道を選んだ。けれど、どうしても急な坂道を登らなければならない時は、仕方なく登った。
「おーっ、じゃがいも発見っ!」
班の先頭を行く修二が、じゃがいもの絵が描かれたカードを見つけた。
これは単なる散歩ではなく、道のどこかに隠してある『カレーの材料のカード』を集めるというルール。そろった絵と同じだけの材料が最後に手渡され、鍋やお玉などの調理器具はすべての班に与えられている。
もちろん、お肉カードを見つけられなかった場合は、お肉なしのカレーだ。ルー無しのカレーは考えられないので、それだけは誰でも見つけやすいところに隠されていた。
幸いにも、麻奈美たちは全てのカードを集めることができた。男子たちはさておき、麻奈美はもちろん、千秋や芳恵も料理が得意だったため、美味しいカレーが出来上がった。修二たちには後片付けを頑張ってもらった。
そんな夜はもちろん、キャンプファイヤーだ。麻奈美たちは特に出番はなく、主にお祭り好きな人たちや教育実習生がいろんな出し物をしていた。最後に全員で歌を歌って、クラス順に講堂へ入った。
「来る前は面倒だったけど、結構楽しかったな」
そう言うのは、麻奈美の前に座った修二。昨日、何度目かわからない麻奈美への失恋をしたのに、相変わらず近くにいる。
「そうだねー。明日は帰って……あー、また勉強だよー」
「なぁ麻奈美……何なら俺、勉強教えてやろうか?」
修二が言ったのは親切心からなのか、あるいは麻奈美に近付く作戦なのか。どちらなのかはわからないが、今、修二の目は輝いている。けれど、次の麻奈美の返答で、修二はうなだれることになる。
「残念ながら、私、家庭教師いるから」
「片平君、知らなかったの?」
麻奈美の隣で、千秋が聞いた。芳恵の声がしないのは、男の子のところに行っているからだろう、と麻奈美は思った。麻奈美の心の中に、早く彼氏を作って仲良くしたいという気持ちはもちろんある。けれど、本当に、修二にはそういう気持ちが一切芽生えない。ここまでしつこく追われるといっそ縁も切ってやりたくなるが、今のところそこまではしていない。
「そういえば言ってなかったっけ?」
「聞いてねーよ……あっ、もしかして、気になる男って、家庭教師?」
その質問に麻奈美は、ひとこと「違うよ」とだけ答え、立ちあがった。
「ねぇ千秋ちゃん、芳恵ちゃんと矢原君見に行こうよ」
「えっ、お邪魔じゃない?」
「敢えてお邪魔しよう! 学校戻ったらまた勉強で、イジる暇ないもん」
芳恵が仲良くなった男の子の名前は、矢原光輔。どちらかというと麻奈美は、修二より光輔と仲良しが良かった。と言っても、彼に興味がわくわけではないけれど。
麻奈美は、修二と離れたくて芳恵と光輔の邪魔をする提案したのだが、光輔が同じ班ということは、彼は修二の友達でもある。二人を探す麻奈美のうしろに修二がついてきていたことは、言うまでもない。
カランカラン……
どこか懐かしい鐘の音が響いて、大夢に客がやって来た。いつもなら、麻奈美の明るい「いらっしゃいませ」という声が響いているが、今日は麻奈美はいない。
客は普段はそのまま奥の指定席へ向かうが、今日はカウンターで足を止めた。
「マスター、今日……麻奈美ちゃん休み?」
客は、そう、芝原颯太。芝原はそのままカウンター席に座った。
「ああ。学校の研修でね。明後日からまた来るよ」
本当はもっと言いたいことがあるのだが、まだ平太郎にはそれは出来なかった。麻奈美と芝原の距離がほんの少ししか縮んでいないことはわかっていたし、平太郎と芝原の関係を麻奈美が疑っているのも事実。
「あんまり詳しく話すと、麻奈美が詮索するから、言わないよ」
「わかってますよ。相変わらず、可愛いんですね」
「あたりまえだ。たったひとりの孫娘だ」
そんな言葉を交しながらも、平太郎は芝原にコーヒーを淹れていた。
いつもは麻奈美が奥の席まで運ぶ『芝原セット』を、今日は平太郎がカウンター越しに一品ずつ出した。いつもなら芝原は書類やペンを持ってきているが、今日はそれを持ち合わせていない。
「今日は勉強はどうした?」
「たまには息抜きさせてくださいよ」
芝原は笑いながら、コーヒーを飲んだ。平太郎も、それ以上に勉強の話を続けようとはせず、お気に入りのカップにコーヒーを入れている。ミルクと砂糖を入れてかき混ぜてから、芝原のほうを見た。
「今でも時々、昔のこと思い出すよ」
平太郎は、ほんとうに過去を懐かしむような顔をしていた。
目の前にそれがあるかのように、穏やかな顔だった。
「君と最初に出会ったとき、どうしようもなく怖くてね」
「すみません」
芝原は肩をすくめた。
「でも、まぁ、今は立派な大学生だ。よく頑張ったな」
「ありがとうございます。マスターのおかげです。それと……麻奈美ちゃんがいてくれたからですね」
「ははは。少々、親バカだった気もするけどな」
普段はあまり表情を変えない平太郎が、にこやかに笑っていた。それにつられ、芝原も笑っていた。昔、芝原が『怖かった』陰など、どこにもない。
「ところで芝原、仕事は見つかりそうなのか?」
「はい。来年の春に実習があって、それ次第です」
「ふむ……君なら大丈夫だろう。案外、君みたいな人間のほうが採用されるかもしれんな。頑張りなさい。麻奈美も応援してくれると思うよ」
「麻奈美ちゃんは、知ってるんですか?」
「いや、君が大学生だとしか言ってないよ」
あまりの情報の少なさに、芝原は驚いた顔をしていた。
「本当に、僕のこと何も知らないんですね」
「別に知らなくてもいいだろう?」
平太郎は、よく芝原に麻奈美の話をしていた。けれどそれは、ただの孫自慢。麻奈美のことを知ってもらおうとして話したのではない。
「僕は知ってるんですよ。不公平じゃないですか」
「だったら君から言えば良いだろう。本人から聞いたほうが信用されるんじゃないか? 私はそこまで親切じゃない。第一、言いだしたのは君だよ」
芝原は一瞬面食らったが、すぐに「そうですね」と頷いた。顔をあげて平太郎を見た目は、普段より真剣だった。まだ大学生だとは思えないほど、大人の顔をしていた。
施設前の広場を出発して、まずはなだらかな山道を登る。散歩コースから外れなければどこを歩いても良いので、なるべく歩きやすそうな道を選んだ。けれど、どうしても急な坂道を登らなければならない時は、仕方なく登った。
「おーっ、じゃがいも発見っ!」
班の先頭を行く修二が、じゃがいもの絵が描かれたカードを見つけた。
これは単なる散歩ではなく、道のどこかに隠してある『カレーの材料のカード』を集めるというルール。そろった絵と同じだけの材料が最後に手渡され、鍋やお玉などの調理器具はすべての班に与えられている。
もちろん、お肉カードを見つけられなかった場合は、お肉なしのカレーだ。ルー無しのカレーは考えられないので、それだけは誰でも見つけやすいところに隠されていた。
幸いにも、麻奈美たちは全てのカードを集めることができた。男子たちはさておき、麻奈美はもちろん、千秋や芳恵も料理が得意だったため、美味しいカレーが出来上がった。修二たちには後片付けを頑張ってもらった。
そんな夜はもちろん、キャンプファイヤーだ。麻奈美たちは特に出番はなく、主にお祭り好きな人たちや教育実習生がいろんな出し物をしていた。最後に全員で歌を歌って、クラス順に講堂へ入った。
「来る前は面倒だったけど、結構楽しかったな」
そう言うのは、麻奈美の前に座った修二。昨日、何度目かわからない麻奈美への失恋をしたのに、相変わらず近くにいる。
「そうだねー。明日は帰って……あー、また勉強だよー」
「なぁ麻奈美……何なら俺、勉強教えてやろうか?」
修二が言ったのは親切心からなのか、あるいは麻奈美に近付く作戦なのか。どちらなのかはわからないが、今、修二の目は輝いている。けれど、次の麻奈美の返答で、修二はうなだれることになる。
「残念ながら、私、家庭教師いるから」
「片平君、知らなかったの?」
麻奈美の隣で、千秋が聞いた。芳恵の声がしないのは、男の子のところに行っているからだろう、と麻奈美は思った。麻奈美の心の中に、早く彼氏を作って仲良くしたいという気持ちはもちろんある。けれど、本当に、修二にはそういう気持ちが一切芽生えない。ここまでしつこく追われるといっそ縁も切ってやりたくなるが、今のところそこまではしていない。
「そういえば言ってなかったっけ?」
「聞いてねーよ……あっ、もしかして、気になる男って、家庭教師?」
その質問に麻奈美は、ひとこと「違うよ」とだけ答え、立ちあがった。
「ねぇ千秋ちゃん、芳恵ちゃんと矢原君見に行こうよ」
「えっ、お邪魔じゃない?」
「敢えてお邪魔しよう! 学校戻ったらまた勉強で、イジる暇ないもん」
芳恵が仲良くなった男の子の名前は、矢原光輔。どちらかというと麻奈美は、修二より光輔と仲良しが良かった。と言っても、彼に興味がわくわけではないけれど。
麻奈美は、修二と離れたくて芳恵と光輔の邪魔をする提案したのだが、光輔が同じ班ということは、彼は修二の友達でもある。二人を探す麻奈美のうしろに修二がついてきていたことは、言うまでもない。
カランカラン……
どこか懐かしい鐘の音が響いて、大夢に客がやって来た。いつもなら、麻奈美の明るい「いらっしゃいませ」という声が響いているが、今日は麻奈美はいない。
客は普段はそのまま奥の指定席へ向かうが、今日はカウンターで足を止めた。
「マスター、今日……麻奈美ちゃん休み?」
客は、そう、芝原颯太。芝原はそのままカウンター席に座った。
「ああ。学校の研修でね。明後日からまた来るよ」
本当はもっと言いたいことがあるのだが、まだ平太郎にはそれは出来なかった。麻奈美と芝原の距離がほんの少ししか縮んでいないことはわかっていたし、平太郎と芝原の関係を麻奈美が疑っているのも事実。
「あんまり詳しく話すと、麻奈美が詮索するから、言わないよ」
「わかってますよ。相変わらず、可愛いんですね」
「あたりまえだ。たったひとりの孫娘だ」
そんな言葉を交しながらも、平太郎は芝原にコーヒーを淹れていた。
いつもは麻奈美が奥の席まで運ぶ『芝原セット』を、今日は平太郎がカウンター越しに一品ずつ出した。いつもなら芝原は書類やペンを持ってきているが、今日はそれを持ち合わせていない。
「今日は勉強はどうした?」
「たまには息抜きさせてくださいよ」
芝原は笑いながら、コーヒーを飲んだ。平太郎も、それ以上に勉強の話を続けようとはせず、お気に入りのカップにコーヒーを入れている。ミルクと砂糖を入れてかき混ぜてから、芝原のほうを見た。
「今でも時々、昔のこと思い出すよ」
平太郎は、ほんとうに過去を懐かしむような顔をしていた。
目の前にそれがあるかのように、穏やかな顔だった。
「君と最初に出会ったとき、どうしようもなく怖くてね」
「すみません」
芝原は肩をすくめた。
「でも、まぁ、今は立派な大学生だ。よく頑張ったな」
「ありがとうございます。マスターのおかげです。それと……麻奈美ちゃんがいてくれたからですね」
「ははは。少々、親バカだった気もするけどな」
普段はあまり表情を変えない平太郎が、にこやかに笑っていた。それにつられ、芝原も笑っていた。昔、芝原が『怖かった』陰など、どこにもない。
「ところで芝原、仕事は見つかりそうなのか?」
「はい。来年の春に実習があって、それ次第です」
「ふむ……君なら大丈夫だろう。案外、君みたいな人間のほうが採用されるかもしれんな。頑張りなさい。麻奈美も応援してくれると思うよ」
「麻奈美ちゃんは、知ってるんですか?」
「いや、君が大学生だとしか言ってないよ」
あまりの情報の少なさに、芝原は驚いた顔をしていた。
「本当に、僕のこと何も知らないんですね」
「別に知らなくてもいいだろう?」
平太郎は、よく芝原に麻奈美の話をしていた。けれどそれは、ただの孫自慢。麻奈美のことを知ってもらおうとして話したのではない。
「僕は知ってるんですよ。不公平じゃないですか」
「だったら君から言えば良いだろう。本人から聞いたほうが信用されるんじゃないか? 私はそこまで親切じゃない。第一、言いだしたのは君だよ」
芝原は一瞬面食らったが、すぐに「そうですね」と頷いた。顔をあげて平太郎を見た目は、普段より真剣だった。まだ大学生だとは思えないほど、大人の顔をしていた。