角砂糖が溶けるように
9-8 二人の関係
カランコロン……カラン……
「いらっしゃいませ、あ、チヨさん、高木さん。おはようございます」
高校卒業から半月後。麻奈美は卒業から毎日、朝から大夢の手伝いをしていた。
平太郎はまだ麻奈美が店を継ぐことを反対しているが、それでも今までよりは麻奈美に丁寧に料理を教えるようになった。
「今日もやってるねぇ。平ちゃんもそろそろ、麻奈美ちゃんを認めてあげても良いんじゃないかい?」
「ダメですよ、まだまだ麻奈美には」
平太郎は厳しく言ったけれど、表情は嬉しそうにも見えた。
麻奈美はチヨと三郎に水とおしぼりを出してから、奥のテーブルに座っている先客にコーヒーを運んだ。彼はコーヒーを受け取ってから、にやり、と笑った。
「なんですか、先生……何かおかしいんですか?」
「いや……何でもないよ」
芝原はそう言ったけれど、エプロンを見て笑ったことに麻奈美は気が付いた。もちろん、芝原が選んだのは、大夢の雰囲気に合っているデザインで、特に変わったところはない。
「それより麻奈美ちゃん、今日、午後から予定ある?」
「ないですけど……」
「それなら──ドライブ行こう」
最後の一言は麻奈美にだけ聞こえるように言って、芝原は平太郎を呼んだ。何かを調理していた平太郎は、カウンターから顔だけ芝原のほうを向いた。
「なんだ、どうした」
「今日、午後から麻奈美ちゃんを借りて良いですか。来てほしい所があって」
芝原の言葉に平太郎は一瞬、眉を吊り上げた。
「良いですよね。じゃ、昼ごはん食べて一時で良いかな。僕もそれまでに仕事、片付けるよ」
「芝原……私の意見を聞いたんじゃないのか……まったく……やれやれ」
溜息をつきながら作業に戻る平太郎と、気合を入れ直して書類を眺める芝原。そして、二人の間で笑う麻奈美。チヨと三郎も最近の出来事を知っていて、もちろん平太郎ではなく芝原の味方をしている。
午後、芝原は一旦家に帰って昼食を食べてから、一時に麻奈美を迎えに来た。
二人で一緒に大夢を出て、車まではしばらく歩くことになる。
「先生、どこ行くんですか?」
麻奈美は何も考えずにそう聞いた。
半歩前を歩く芝原から、しばらく返事がなかった。
「──先生?」
「もう、先生はつけなくて良いよ。むしろ、付けてほしくないな」
卒業したんだから、と付け加えながら芝原は振り返った。
「あ……芝原さん」
「ははは、麻奈美ちゃん、硬いよ。敬語も何もいらない。普通で良いよ」
「しば……あ──」
芝原が何を言いたいのか、ようやく麻奈美も理解した。
二人きりになるのは卒業式以来だが、すでに正式に彼と恋人になっている。
「名前で良いよ。『くん』も『さん』も、何もいらないから」
意地悪に言いながら芝原はじっと麻奈美を見つめる。
「そ……颯太……くん……」
照れながら麻奈美がそう呼ぶと、
「──ははは! はははは!」
芝原は今までにないくらい、豪快に笑った。
「先生、キャラ違うじゃないですか!」
「こら、先生じゃないし、敬語もいらないよ。まぁ、良いか。行こう、麻奈美」
行こう、で麻奈美は歩きだしたけれど、すぐに足は止まってしまった。呼ばれ方が今までと違っていて、ものすごくドキドキした。
「ん? どうかした?」
「う、ううん……」
麻奈美は芝原に駆け寄って、彼の手を握った。初めて繋ぐわけではないけれど、大きくて、温かい手だった。
「ねぇ──颯太……くん……どこ行くの?」
「人に会いに行くんだ。麻奈美も多分、会いたいと思う」
颯太は麻奈美を助手席に乗せ、三十分ほど走った。カーステレオから流れる音楽が時々おかしくなるのは、カセットのテープが伸びてしまっているから。それもあまり気にならないくらい、二人は楽しく会話していた。
車を降りてから、颯太は麻奈美をアパートの一室に案内した。インターホンを押すと、中から聞き覚えのある声が聞こえた。
ドアを開けて姿を出したのは、浅岡だった。
「せ、先生……ご、ごめんなさい……!」
「やだ、麻奈美ちゃん、謝らないで。良いから、上がって。あんたも」
浅岡は本当に、数ヶ月前に芝原を呼び出した、と言った。自分の友人たちにはもちろん既に連絡を入れていて、芝原より本当は麻奈美に伝えて欲しかったから、と続けた。
「その時はそれで終わったんだけど、しばらくして──」
「僕が浅岡に連絡を入れた」
浅岡が続けるより早く、颯太が口を開いた。
「一人で決めた方がいいとは思っても、やっぱり、同じ女性のほうが、わかるだろうし。麻奈美のことも知ってるし、相談したかった」
「それでちょうど、選んでるときに麻奈美ちゃんに見られちゃったのよね。あんたが麻奈美ちゃんのこと考えて、ニヤニヤしてるからよ。ごめんね、こっちが謝らないと」
「いえ──先生にはお世話になったから。もう良いんです」
麻奈美は笑っていた。
「私が、もっと信じてれば……」
「芝原──あんた、これ以上麻奈美ちゃん泣かしたら、もう何も協力してあげないからね。わかった?」
「わかってるよ、もう……」
それならよろしい、と浅岡は言ってから、改めて麻奈美に海外転勤の話をした。颯太のことに触れなかったのは、聞かなくても様子でわかったからだろう。
「いらっしゃいませ、あ、チヨさん、高木さん。おはようございます」
高校卒業から半月後。麻奈美は卒業から毎日、朝から大夢の手伝いをしていた。
平太郎はまだ麻奈美が店を継ぐことを反対しているが、それでも今までよりは麻奈美に丁寧に料理を教えるようになった。
「今日もやってるねぇ。平ちゃんもそろそろ、麻奈美ちゃんを認めてあげても良いんじゃないかい?」
「ダメですよ、まだまだ麻奈美には」
平太郎は厳しく言ったけれど、表情は嬉しそうにも見えた。
麻奈美はチヨと三郎に水とおしぼりを出してから、奥のテーブルに座っている先客にコーヒーを運んだ。彼はコーヒーを受け取ってから、にやり、と笑った。
「なんですか、先生……何かおかしいんですか?」
「いや……何でもないよ」
芝原はそう言ったけれど、エプロンを見て笑ったことに麻奈美は気が付いた。もちろん、芝原が選んだのは、大夢の雰囲気に合っているデザインで、特に変わったところはない。
「それより麻奈美ちゃん、今日、午後から予定ある?」
「ないですけど……」
「それなら──ドライブ行こう」
最後の一言は麻奈美にだけ聞こえるように言って、芝原は平太郎を呼んだ。何かを調理していた平太郎は、カウンターから顔だけ芝原のほうを向いた。
「なんだ、どうした」
「今日、午後から麻奈美ちゃんを借りて良いですか。来てほしい所があって」
芝原の言葉に平太郎は一瞬、眉を吊り上げた。
「良いですよね。じゃ、昼ごはん食べて一時で良いかな。僕もそれまでに仕事、片付けるよ」
「芝原……私の意見を聞いたんじゃないのか……まったく……やれやれ」
溜息をつきながら作業に戻る平太郎と、気合を入れ直して書類を眺める芝原。そして、二人の間で笑う麻奈美。チヨと三郎も最近の出来事を知っていて、もちろん平太郎ではなく芝原の味方をしている。
午後、芝原は一旦家に帰って昼食を食べてから、一時に麻奈美を迎えに来た。
二人で一緒に大夢を出て、車まではしばらく歩くことになる。
「先生、どこ行くんですか?」
麻奈美は何も考えずにそう聞いた。
半歩前を歩く芝原から、しばらく返事がなかった。
「──先生?」
「もう、先生はつけなくて良いよ。むしろ、付けてほしくないな」
卒業したんだから、と付け加えながら芝原は振り返った。
「あ……芝原さん」
「ははは、麻奈美ちゃん、硬いよ。敬語も何もいらない。普通で良いよ」
「しば……あ──」
芝原が何を言いたいのか、ようやく麻奈美も理解した。
二人きりになるのは卒業式以来だが、すでに正式に彼と恋人になっている。
「名前で良いよ。『くん』も『さん』も、何もいらないから」
意地悪に言いながら芝原はじっと麻奈美を見つめる。
「そ……颯太……くん……」
照れながら麻奈美がそう呼ぶと、
「──ははは! はははは!」
芝原は今までにないくらい、豪快に笑った。
「先生、キャラ違うじゃないですか!」
「こら、先生じゃないし、敬語もいらないよ。まぁ、良いか。行こう、麻奈美」
行こう、で麻奈美は歩きだしたけれど、すぐに足は止まってしまった。呼ばれ方が今までと違っていて、ものすごくドキドキした。
「ん? どうかした?」
「う、ううん……」
麻奈美は芝原に駆け寄って、彼の手を握った。初めて繋ぐわけではないけれど、大きくて、温かい手だった。
「ねぇ──颯太……くん……どこ行くの?」
「人に会いに行くんだ。麻奈美も多分、会いたいと思う」
颯太は麻奈美を助手席に乗せ、三十分ほど走った。カーステレオから流れる音楽が時々おかしくなるのは、カセットのテープが伸びてしまっているから。それもあまり気にならないくらい、二人は楽しく会話していた。
車を降りてから、颯太は麻奈美をアパートの一室に案内した。インターホンを押すと、中から聞き覚えのある声が聞こえた。
ドアを開けて姿を出したのは、浅岡だった。
「せ、先生……ご、ごめんなさい……!」
「やだ、麻奈美ちゃん、謝らないで。良いから、上がって。あんたも」
浅岡は本当に、数ヶ月前に芝原を呼び出した、と言った。自分の友人たちにはもちろん既に連絡を入れていて、芝原より本当は麻奈美に伝えて欲しかったから、と続けた。
「その時はそれで終わったんだけど、しばらくして──」
「僕が浅岡に連絡を入れた」
浅岡が続けるより早く、颯太が口を開いた。
「一人で決めた方がいいとは思っても、やっぱり、同じ女性のほうが、わかるだろうし。麻奈美のことも知ってるし、相談したかった」
「それでちょうど、選んでるときに麻奈美ちゃんに見られちゃったのよね。あんたが麻奈美ちゃんのこと考えて、ニヤニヤしてるからよ。ごめんね、こっちが謝らないと」
「いえ──先生にはお世話になったから。もう良いんです」
麻奈美は笑っていた。
「私が、もっと信じてれば……」
「芝原──あんた、これ以上麻奈美ちゃん泣かしたら、もう何も協力してあげないからね。わかった?」
「わかってるよ、もう……」
それならよろしい、と浅岡は言ってから、改めて麻奈美に海外転勤の話をした。颯太のことに触れなかったのは、聞かなくても様子でわかったからだろう。