青空@Archive
 船上の全員が全員、一斉に声のした方を振り向いた。
「げ」
「ああ、しまった。あまりに楽しくて、つい忘れていた……」
 藍が顔をしかめ、フック船長はポツリと呟くと、額に手を当てため息を吐く。
 注がれる視線の先には、カフスやスカートに派手派手なフリルの付いたパーティードレスを着た樽……ではなく、樽のようなボディの赤いオバサンが、これまた酒瓶のような右腕でアリスをがっちりと捕まえ、左手で逆手に持った短剣の切っ先を喉元に突きつけていた。
 それは見れば見るほど見る気が削がれ見なければ見ないほど見なくてはいけないような気になる一言で言うなら、目に毒。
 ハートの女王。
「おーっほっほほ!」
 ……せめて“ハート”は撤回して欲しい。いや、断固として“ハート”だけは撤回しなければいけない!
 という訳で赤の女王である。
「ちょっと! この女王からはいつもの気配がしないわよ、藍!」
 アリスが騒ぐが、再び喉元に刃をピタリと付けられ、うっと口を閉ざす。しかしその刃はゆらゆらと上下しており、このままではいつ誤って喉を貫通するかも分からない。
 女王は、焦点の定まっていない目を上に下にと泳がしながら、狂ったようにに笑う。笑う。笑う。
「おーっほッほほほホほほ。ひーっヒーッはは」
 本当に狂っているのかもしれない。
「マズいな……」
 船長は誰ともなく語る。
 けれど、目の前のオバサンが精神的にマズいのは、ボクにも見れば分かる。
 船長は続けた。
「ここは今、俺の船――“俺の世界”だ。あのアリスとかいう小娘の世界にあっても、この船の上はあいつの世界じゃあない。このままだと――」
「アリスが死ぬ」
 藍の口は、無表情の仮面の上でパクパクと動いた。
 ……ああ、そっちの話か。
 なぜかボクが一番冷静なようだ。命の灯が消えかけた経験をすると、人は案外肝が据わるのかもしれなかった。
 どうせ斬られたところで、隣に立つピーターのように首を抱えて戻って来るだけなのだから、一体藍は何が心配なのだろう。
 その答えは、図らずもすぐに出る事になった。
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