アンノウアブル!憧れだった先輩が部下になりました
第一章【初恋の思い出】
「十番、イエローカード」
後半戦、残すところ15分。緑のフィールドにピピと審判のホイッスルが響き渡った。
カードを出された青年はやってしまったという表情で項垂れる。
東京都の一角にある、とあるサッカーフィールド。
そこでは全国大会への出場を賭け、ユニホームを見にまとった若い選手らが白熱した試合を繰り広げていた。
「蓮見先輩、しんどそうだね」
千里の隣に座る都子《みやこ》が先ほどイエローカードを出された十番をみて目を潤ませる。
蓮見律《はすみ りつ》、彼は当時私が通っていた北山中学の先輩だった。
私が入学したとき、彼は既に三年生だった。当時からサッカーが上手いことで有名で、校内で彼を知らない女子生徒はいなかった。
「蓮見先輩大丈夫かな?」
両手を握りしめながら蓮見を心配する都子はそんな蓮見に惚れている女子生徒の一人だ。
「大丈夫じゃない?彼、結構タフそうだし」
何となく相手にするのが面倒臭くて適当に返事を返す。
「でも、後十五分しかないよ?このままじゃ負けちゃう」
正直、スポーツに興味のない千里はいち早く家に帰りたかった。何故なら自分に色恋沙汰は向いていない。というより、蓮見のような男に惚れるだけ無駄だと感じていた。
きっと、ああいう種の人間はどこぞの美人モデルやアナウンサーと付き合うと相場が決まっている。
「十一番、トリッピング」
頭の奥底でそんなことを考えていると、再び審判がホイッスルを鳴らした。
どうやら相手チームが、やらかしてしまったらしい。
「やった!相手もファウル」
隣でよし!とガッツポーズを決める都子に千里は苦笑する。
「いい試合してるね」
フィールド内を忙しく駆け回る蓮見の姿に、応援に来ている女子達から黄色い声援が上がる。
スポーツマンらしい黒髪からは汗が滴り、ユニホームでそれを拭う姿はどこか色っぽい。
確かに彼のような恋人がいれば、退屈な人生も少しは華やぐのかもしれない。でも、それは漫画やアニメの世界の話であって、現実には程遠い。
「そういえば都子が蓮見先輩を好きになった理由って何?」
唐突に気になった。
「え?理由っていわれてもなあ」
問われた本人は顎に手を添えて考える。
「高身長なとこでしょ?イケメンでしょ?それにすごい一途そう!あとはサッカーが上手いところかなあ」
要するに身体的見た目がタイプということか。
サッカーが上手いのは後付けで、実際に一途かどうかなんてわからない。
「喋ったことないの?」
「あるわけないじゃん」
蓮見先輩と喋れる人なんて高橋先輩くらいだよ。
そういって、フィールドのベンチから応援している一人の女性を指差す。
彼女は北山中学サッカー部の美人マネージャー、高橋美弥《たかはし みや》先輩。蓮見の幼馴染らしい。
「羨ましいよね、蓮見先輩みたいな幼馴染がいてさ」
都子は両手に肘を置いて顔を膨らます。
「そうかな?あんな幼馴染いたら大変だと思うよ?」
「なんでよ?」
「蓮見先輩の幼馴染ってだけで、ひがまれそうじゃない」
「そんなの蓮見先輩が守ってくれるに決まってるじゃない」
「それって幻想」
「あんたって、なんでそんな冷めてるのよ」
「冷めてるかな?」
「冷めすぎよ、少しくらい夢見なさい」
やれやれといった様子の都子に千里は押し黙る。
夢を見ろと言われても困ってしまう。
結局見たところで…と負のループに陥った過去をいくつか思い出した。
都子と軽口を叩き合っていると、途端に会場が湧きたった。フィールドに視線を戻すと、そこにはボールを華麗に操りながら、ゴールコートへと向かう蓮見の姿が目に入った。
彼は敵のディフェンスを華麗に交わしながら、まるで何かに取り憑かれたかのように直進していく。
敵のチームが何人か抜かれ、会場が一斉に盛り上がる。
ついに最後のディフェンスを抜いた蓮見は、そのまま自らシュートを放った。
本当に一瞬だったと思う。
サッカーボールは一直線にゴールコートへと進み、ポールギリギリのラインでゴールネットを波打たせた。
まるで映画のワンシーンのような光景に千里は息を呑む。
「すごい…」
思わず心の底から本音が漏れた。
とくに思春期真っ盛りの女子中学生にとって、そのインパクトは絶大なものであった。
押されていた北山中学は蓮見の華麗なプレーによって戦況を盛り返す。
それからの展開は非常に早かった。
後半戦、北山中学は相手チームから二点を取り返し、更に最後の一分、再び蓮見がゴールを放ち見事逆転勝利を収めたのだ。
「めっちゃかっこよかったね!最後の後半戦、私感動しちゃった!」
試合終了後、都子は興奮冷めやらぬ様子で千里の肩を叩いた。
「確かに最後の追い上げは凄かったかも」
ボールを生き物のように扱い、風を切って走る彼の姿は確かにかっこいいものだった。
あんな姿を見て惚れるなという方が難しい話である。
千里達が蓮見の活躍話に花を咲かせていると、前方に大勢の女子生徒が長蛇の列を作っているのが目に入った。
「うわ、何あれ」
あまりの人の多さに千里が驚きの表情を見せると、都子が、「あー!」と大声をあげて立ち止まる。
「しまった!蓮見先輩に渡す差し入れ、観戦席に忘れてきちゃった!」
都子はそういうと、千里に「すぐ行くから入り口のところで待っててくれる?」とだけいい残して今来た道を物凄いスピードで戻って行ってしまった。
全く、自分勝手な話である。
千里は一つため息を吐くと仕方なく、大勢の人混みを掻き分けて出口へと向かう。
どうやら、この人混みは蓮見のファンであるらしい。
皆それぞれの差し入れを手に、蓮見が控え室から出てくるのを待っている。
人気者は大変だな、とどこか他人事のように思いながら、千里は一番人気がない非常口付近で立ち止まった。ここなら、ファンの子の邪魔になることもないだろう。
非常口の扉に背を預けて、一息ついた千里は携帯電話を取り出して都子の帰りを待つことにした。
その時だった。
突然、背後の非常扉が勢いよく開かれた。
「え?」
あまりに突然の出来事に、携帯を握りしめた千里の体は後方へとバランスを崩していく。なぜこんなタイミングで非常扉が開くのかー。
千里はぎゅっと瞳を閉じ、硬いコンクリートへの衝撃を覚悟する。しかし、予想に反してその衝撃はやってこなかった。代わりに何者かが千里の体を受け止める。
人の熱を感じた千里はゆっくりと瞳を開いた。心配そうに顔を覗き込む男の顔に千里の心臓が脈うつ。
「大丈夫?」
そこににいたのは、先ほどまでフィールドを駆け回っていた蓮見律だった。
蓮見は慌てた様子で、千里の顔を覗き込む。
「悪りぃ、人居ると思わなくてよ…」
突然の出来事に千里はパニックになる。
生まれてこの方、男子とまともに喋ったことがないのだから当然と言えば当然なのだが、いきなりスーパースターに出会ってしまった衝撃と男子に不慣れな性格が相まって、千里の呼吸は異常なくらい早くなる。
「おい、大丈夫かよ。あんた北山中だよな?何年生?怪我してない?」
優しく問いかける蓮見の声に、千里は何か言葉を返さねばと必死に頭を回転させる。しかし、考えれば考えるほど息が上がってしまい、頭の中が、ぐるぐる回る。そして、ようやく出てきた言葉が、
「き、気持ち悪い」
「え?」
今思えば本当に最悪な出会いだったと思う。
< 1 / 41 >