アンノウアブル!憧れだった先輩が部下になりました

 蓮見律という男は見た目以上に、いい男だった。

 顔を真っ青にした千里をおぶって救護室へと運ぶと、どこで覚えたのか迅速な処置で千里の体を冷やしていく。
 蓮見はあの一瞬で千里の熱中症状を見抜いたのだ。

 「スポドリ買ってきたけど飲めそうか?先生呼んでっからもう少し辛抱な」

 千里がベッドに横になっていると、どこで買ってきたのか遠慮気味にスポーツドリンクを差し出す。

 「す、すみません。ありがとうございます。」

 千里も先ほどより少し落ち着いたのか、差し出されたスポーツドリンクを受け取る。

 「ほんと、ごめんな。びっくりしたよな」

 眉を下げて謝罪する姿がどこか悪戯をして怒られた大型犬のようにも見える。

 「い、いえ!私の方こそ非常口の前に突っ立ててすみません…」
 「別にお前が謝ることじゃねえだろ」
 「いや、でもやっぱり立つべき場所を間違えました」

 あたふたと少し緊張しながら喋る千里に蓮見は微笑む。

 「あんた名前は?」
 「あ、我妻千里です」

 蓮見は「我妻か」といって、千里の前に右手を差し出す。

 「俺は三年の蓮見。よろしくな」

 そう言ってニカっと笑う姿に、千里の脈拍が再び上昇する。

 こんなの好きになるに決まってる。

 千里は恐る恐る差し出された手を握ると、遠慮気味に「よろしくです」と答えた。

 大きくてゴツゴツした掌が千里の左手をぎゅっと握る。まさか、蓮見と握手をする日が来るとは夢にも思わなかった。

 「一年生?」
 「は、はい。今年入学したばかりです」
 「学校には慣れた?」

 やはり、先輩だからだろうか。蓮見は椅子に腰掛けると慣れたように千里に質問を投げかける。

 「ま、まだ、覚えることが沢山あって大変ですけど、だいぶ慣れてきました」

 小学生の頃とは違って、慣れない環境に戸惑うこともあったが、それなりに落ち着いてきたのは確かだ。

 「そっか、大変だよな。俺も一年の頃は大変だった記憶しかねぇな」

 右斜上を見つめながら過去のことを思い出す蓮見に千里は驚いたように目をぱちくりとさせる。

「蓮見先輩にもそんな時期があったんですね」

 顔もかっこよくて、サッカーも上手、友達も多くて、手に入るもの全てを手にしてるような人気者はそう言ったものと無縁の人種だと思っていた。

 「そりゃそうさ。部活だって最初はレギュラーに擦りもしなかったしな」
 「え、そうなんですか?」
 意外な話である。
 「最初からレギュラー取れるほど北山中のサッカー部は甘くねえ、なんてったってうちは強豪校だからな、最初は応援席でとにかく応援。これが一年坊主の役割みたいなとこあったな」

 驚いた。どうやら蓮見は最初からサッカーが上手かった訳ではないらしい。

 「でも、凄いですね。そんな先輩も今じゃ北山中のエースじゃないですか」
 「まあ、ようやくって感じだよ。まだまだ俺が目指す場所へは遠いけどな」

 そう言って試合で疲れた足をポンポンと叩く。サッカーをやっている割にはスラリと長いその足は程よく筋肉があり、無駄な肉がどこにもない。

 「それより、我妻はなんであんな場所にいたんだ?彼氏と待ち合わせ?」

 唐突な質問に千里は「あ!」と声をあげて携帯の画面を確認する。
 画面には何件もの不在着信が入っていた。
 慌てて、都子に状況の説明と今いる場所をメールで伝える。すると、「今から行くから先輩のこと捕まえといて!」と返信が返ってきた。

「捕まえといてって…」

 相変わらずな都子の様子に、千里はため息を吐く。

「何を捕まえんの?」
「へ?!」

 声が漏れていたことに気が付かなかった千里は再び携帯を落としそうになる。

「大丈夫かよ、それで?彼氏さんとは連絡ついた?」

 蓮見が心配そうに千里の顔を覗き込む。

「か、彼氏じゃないです。ゆ、友人が今からここに来るそうです」

 蓮見の仕草に一々ときめいてしまう。

「そっか、良かったな」

 再びニカっと笑った彼の表情に千里は釘付けになった。顔が火照り身体中が熱くなる。もはやこれは熱中症の熱ではない。

 ああ、神様、どうか今だけ、この状況を楽しませてください。

 千里は震える手をぎゅっと握りしめる。

 自分には縁のない人だと思っていた相手。

 一緒にいたいと思った相手。

 初めて恋をした相手。


 先生が現れたのはそれからすぐのことであった。

 蓮見は一通り状況を説明すると、先生に頭を叩かれる。

「そもそもお前は何してたんだ。非常口は非常時以外使っちゃいかん」

 後でわかった事だが、先輩はファンの差し入れを回避する目的で、あの非常口から脱出を図ったらしい。

 先生から、一通りのお説教を食らった蓮見は「すんません」と小さく謝罪すると、大きなスポーツバックを持って救護室を後にした。
 去り際、「じゃあな」と手を振ってくれたことを千里は今でも覚えている。

 蓮見と入れ違いになった都子は終始残念そうに差し入れを抱えていたが、先輩が誰からも差し入れをもらってないことを伝えると、すぐいつもの調子に戻った。

 あれ以来、蓮見と会話をすることはなかった。もちろん、何度かサッカー部の応援には出向いたものの、人気者の蓮見と会話するきっかけを掴めずに蓮見は中学を卒業してしまった。

 彼は県内有数のサッカー強豪校へと進学し、そこでもエースとしての活躍を見せた。千里も後を追うように同じ高校へ入学したが、この時既に蓮見は遥か遠い存在となっていた。
 高校サッカー期待の新人ルーキーとしてメディアに取り上げられ、彼の周りにはいつもファンクラブの取り巻きが壁を作った。

 結局、高校在学中もきっかけが掴めぬまま、蓮見は高校を卒業してしまう。流石に大学まで追いかけるわけにもいかなかった千里の初恋は早くもここで終息を迎えた。

 これは漫画ではない。
 これは現実なのだ。

 初恋の相手は初恋の相手として記憶の中に留めておこう。 高校時代の千里が心に決めた事である。

 それから十五年以上の月日が流れ、千里は二十九歳の誕生日を迎えた。
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