アンノウアブル!憧れだった先輩が部下になりました
 お会計を済ませた紅葉は店の外に出ると、嬉しそうな表情で千里に近づく。

 「本当に待っててくれたんだ」

 「貴方が待ってろって言ったんじゃない…」

 千里はどこか恥ずかしそうにそっぽを向く。いつもの後輩キャラじゃなくなった紅葉にどうも調子が狂ってしまう。

 「コンビニ寄ってこ」

 紅葉はそういうと、ごく自然に千里の手に自身の手を絡ませる。所詮恋人繋ぎと言われる繋ぎ方に千里は混乱する。

 「ちょ、ちょっと…」

 「何?」

 「いや、その手…」

 「嫌?」

 「い、嫌じゃないけど」

 千里の言葉に紅葉は意地悪そうに口元を緩める。

 「嫌じゃないんだ」

 その表情に、千里のまともな思考が全てロックダウンする。

 「先輩は酒だと何が好き?」

 「え?えっと、ビールかな…」

 「じゃあ沢山買ってやるよ」

 そういうと、紅葉は絡ませた千里の掌の甲に小さくキスを落とす。

 「ちょ、紅葉…」

 お酒を飲んでから、様子の可笑しい紅葉の姿に軽い目眩を覚えた千里はぼんやりとした心持ちで手を引っ張られる。
 このイケメンはこんなに積極的だったろうか。

 「あ、ちなみに女入れんのあんたが初めてだから」

 「え?」

 「だから他の女には秘密にして」

 どうやら自身のファンに家のことを話すな、という事らしい。

 紅葉の自宅は電車を乗り継いですぐの所に位置していた。黒を基調とした綺麗なオートロックのマンションで、男の一人暮らしにしては十分な広さを兼ね備えていた。

 「どーぞ」

 ようやく紅葉の手が離れると、丁寧にスリッパを出して千里を招き入れる。

 (本当に来てしまった…)

 正直な話、ここに来るまではどうにか話をはぐらかして帰宅しようと企んでいた千里であったが、紅葉はそれを見越したようにずっと手を握ったままだった。

 「お、お邪魔します…」

 紅葉の部屋は想像以上に、シンプルなものだった。本当に生活に必要な最低限な物だけが置かれており、余計な装飾品が一切ない。 

 「うわー、すごい綺麗」

 自身の部屋とは違って、全てが綺麗に整えられているその空間はまるでビジネスホテルようだ。

 「先輩、ビールでいい?」

 紅葉が先ほどコンビニで買ったビール缶を袋から取り出して尋ねる。

 「うん、でも実はもう結構お腹一杯で…」

 先ほど沢山ビールを買って貰っておいて悪い話しだが、もうすでにお腹にお酒を流し込める容量は無い。

 「じゃあ、ジュースでも飲む?」

 「うん、それでお願い」

 千里の言葉に紅葉は微笑むと、冷蔵庫からグレープフルーツジュースを取り出す。

 「はい、どうぞ」

 「あ、ありがとう…」

 千里は紅葉からジュースを受け取る。

 「悪いけど、俺飲んでもいい?」

 紅葉はそう言って高そうなワインとグラスを取り出すと、千里の隣へと腰掛けた。

 「えぇ、どうぞ」

 少し酔いの覚めてきた千里だが、近くに座る紅葉の姿に再び頭がぼーっと思考停止する。

 「俺の顔に何かついてたか?」

 すると、紅葉はワイングラスを片手に千里の顔を覗き込んだ。突然近づいた紅葉の顔に千里は慌てて距離を取る。

 「な、何も…」

 何となく気まずい雰囲気に千里は話を変えようと辺りを見渡す。するとテレビの横にある小さな棚にひっそりと優勝カップらしき物が置いてある事に気がつく。

 「あ、あれ、もしかしてサッカーやってたときの?」

 千里は苦し紛れに、話を始める。

 「ん?あぁ、高校サッカーのときの」

 紅葉はそういうと、わざわざ立ち上がって、その優勝カップを千里へと手渡した。そこには小さな文字でMVP選手と書かれている。

 「M、V、P?」

 「最優秀選手に贈られる奴。まぁ、その年は結局決勝で負けたけどな…」

 紅葉は興味なさそうに答える。

 「すごーい!紅葉ってそんなサッカー上手かったんだ!」

 千里は優勝カップを見つめながら答える。サッカーをやっていたのも意外だったが、実力もそれなりにあったことに千里は驚きを隠せない。

 「別に、俺より上手いやつなんてプロ行けばいくらでもいる…」

 前髪を弄りながら、少し恥ずかしそうに答える。

 「で、でも凄いよ!私スポーツ全然ダメだったから…」

 だから、魔法のようにボールを操る蓮見の姿に目を奪われてしまったのかもしれない。

 「先輩、鈍臭いしな」

 「…おっしゃる通りで」

 紅葉の言葉に千里はわかりやすく肩を落とす。

 「でも、俺はそんな先輩がいい」

 「え…」

 少し赤らんだ顔で、肩に腕を回してくる紅葉に千里の身体が硬直する。

 「ねぇ、先輩は俺の事どう思ってんの?」

 紅葉は千里が逃げられないように、肩に回した手に力を込めて自身の胸元へと引き寄せる。

 紅葉の心音が千里の耳元で直に響き渡る。

 (あれ…なんか紅葉、緊張してる?)

 意外にも早く脈打つ心音に千里は戸惑う。

 「…俺は蓮見みたいな不躾な真似はしたくねぇ、だから教えて、俺のことどう思ってる?」

 「どうって言われても…」

 まさか、あの人気者にこんな風にされるとは予想だにもしていなかった千里は脳みそをフル回転させる。しかし、恋に不慣れな自分にとって、この場にあった最適解を見つけ出す事は不可能だった。

 「じゃあ、質問変える。俺のこと嫌い?」

 「き、嫌いじゃないけど…」

 「じゃあ好き?」

 嫌いか好きかで言われれば、嫌いではないのだから好きなのかもしれない。
 
 そう考えた千里は戸惑いながらも「好きに入るのかな…」と遠慮気味に答えた。しかし、この回答が非常に不味かった
ということを千里は後になって知る事になる。

 「紅葉…?」

 突然、紅葉が何も喋らなくなった。

 「ねぇ、紅葉」

 体調でも悪くなったのかと思い、紅葉の胸元から抜け出そうと顔をあげると、そこには顔を真っ赤に染め上げた紅葉が片手で口を覆いながら何やら耐えている。

 「え、どうしたの?気分悪いの?」

 あまり普段は見せない紅葉の反応に千里は焦る。

 しかし、紅葉は何を思ったのか、そのまま千里の腕を引っ張ってソファの上へと組敷だいた。


 (え?…)

 突然、視界が反転した千里は驚きのあまり声が出ない。

 「それ…、嘘じゃねぇよな」

 いつもは見せない、余裕のない表情に千里は息を呑む。

 「う、嘘じゃないけど…」

 「我妻…」

 まるで獲物を捉えた狼のようなその眼光に千里は身震いする。

 (あれ、私なんか不味いこと言った…?)

 
 「こ、紅葉?」

 「俺もあんたが好き…」

 その言葉を最後に紅葉は千里の唇を塞いだ。
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