アンノウアブル!憧れだった先輩が部下になりました
 「ちょっと、紅葉!もう少し優しく運転できないの?」

 「先輩、うるせぇと事故る」

 「おうおう、事故れ、事故れ」

 後部座席から、警察官とは思えない野次を飛ばす蓮見に千里は「やめてよ、蓮見君まで」と突っ込みを入れる。

 無事、現場での聞き込みを終えた三人は被害者の花村唯が勤めていた大手IT企業へと車を走らせていた。
 もともと運転があまり得意ではなかった千里の代わりに、紅葉が運転を買って出てくれたのだが、まさか、こんなに荒い運転をするとは思ってもみなかった。故に千里は先ほどから助手席で喚いている。

 「こんなところで事故ったら今度こそ凛子さんに何て言われるかわからないわ!」

 「今んところ何も言われてねぇから問題ない…」

 「そういう問題じゃ無い!」

 「うるせぇ…」

 紅葉がわざとらしく自身の右耳を塞ぐ。

 「ちょ、ちょっと!片手運転はやめて!ちゃんとハンドル握って!」

 「聞こえねー」

 「聞こえてるじゃない!」

 後部座席で二人の騒がしいやり取りを聞きいていた蓮見は小さくため息を吐くと、寝不足気味の重たい瞼を閉じる。現場近くに着くにはまだ時間がある。それまでの間、眠りにつくことにした。

 ふと、先ほどの間宮のことを思い出す。

 車に乗る前、蓮見は約束どおり紅葉を間宮の部屋へと向かわせた。恐らく紅葉のことであるから、礼を言われたところで大して喜ぶ事もなかろうと様子を見守っていた蓮見であったが、意外なことに紅葉は微笑んでいた。

 間宮もそれをみて一安心したのか、二人は和やかな雰囲気の中で別れを告げた。

 これは蓮見の持論であるが、人は誰かに喜ばれるためにこの世に存在しているらしい。紅葉は恐らく、彼女にとって喜ぶことを無意識のうちにやっていたのだろう。

 (ったく、一々癪に触るやつ…)

 紅葉のような男は、わざわざ格好つけなくても格好がついてしまうのだから、同じ男としてはいけ好かない。

 きっとああいう無意識の優しさに、女は落ちてしまうのだろう。

 その時、蓮見の記憶の中に一人の女が思い浮んだ。

 『律!一緒に全国行こうね!』

 記憶の中で笑う女に、蓮見は苦笑する。

 (嘘つき女め)

 蓮見は記憶の中の女に一つ文句を垂れると、女は不機嫌そうな表情で姿を消してしまった。だが、不思議と気分は悪くない。

 蓮見は前方から聞こえてくる千里の声に耳を傾ける。

 (そう、この声だ)

 何故かその声に懐かしさを感じた蓮見はもう一人の女を思い出す。

 (また、会えた)

 心の中でひっそりと呟くと、どこか安心しきった様子で微睡の中へと意識を手放した。

***

 花村唯の職場へと到着したのは蓮見が夢の世界へ落ちてから数十分後のことであった。

 突然急停車した車内で目を覚ました蓮見は助手席に座る千里の青い顔を見て、よほど荒い運転であったことを推察する。

 「おーい、大丈夫か?」

 「な、なんとか…」

 よろめきながら車を降りる千里に蓮見は手を貸してやる。

 「そ、それにしても随分人が多いわね」

 「お盆前だからな」

 三人は忙しなく人が行き交う入り口に足を踏み入れるとエントランスを抜け、大きな受付の前に辿り着いた。

 「お約束はございますか?」

 「えっと…」

 綺麗な受付嬢の質問に、千里は何と答えるべきか悩み口篭る。そもそも、ここの予約をどのようにとったのか千里は知らない。

 「本日、十五時より、管理部の外村様とお約束をいただいておりました。警視庁捜査一課の蓮見律と申します」

 蓮見が隣から助け舟を出す。

 「蓮見様ですね。お待ちしておりました。では、こちらに記帳をお願いします」

 受付嬢の指示に従い、記帳を済ませた三人は二十一階の来客スペースへと通された。

 白色一色で統一された来客スペースには無駄なものが一切無く、スタイリッシュな机と椅子だけが設置されていた。

 蓮見達は横並びに座ると、各々警察手帳を取り出して担当者を待つ。途中、小さな水が三人の前に置かれたが誰一人としてその水に口をつけるものは居なかった。

 一際大きく扉をノックする音が室内に響いたのはそれから数分後の事である。

 「お待たせしてすみません…、丁度インターンシップの最中でして」

 外村と言われた男は、懐から名刺を取り出すと丁寧に三人に挨拶をする。

 「いえ、こちらこそお忙しい中すみません」

 千里は申し訳なさそうに答える。

 「花村のことですよね…、彼女のことは本当に驚いているんです。発見者の高橋はショックが大きかったのか今日と明日は休みを取るそうです」

 高橋とは今朝方警視庁に連絡をしてきた花村の同僚である。現場指揮の凛子が彼女から聴取を一通り聴いたそうだが、動揺が激しく参考になりそうな情報は無かったらしい。

 「やはり、花村は事件に巻き込まれたんでしょうか?」

 少し前のめりに尋ねてくる外村に蓮見は口を挟む。

 「何故事件だと、お思いに?」

 「え、あぁ、こうやって刑事さんがお話を聞きにくるということは事件の可能性が高いのかと思いまして…」

 「事件でも事故でも、初動捜査では必ず聞き込みを行います。それより、外村さん。貴方のお名前は外村啓治《そとむらけいじ》さんと言うんですね」

 蓮見は今し方貰った名刺に目を通しながら答える。

 「はい、そうですが…」

 「他に同じ名前の方はいますか?」

 「ええ、我が社は従業員が千人を超える大企業ですのでそれなりに同じ名前の者はおりますが…」

 「管理部門の中では?」

 「…恐らく私だけです」

 「なるほど」

 「それが捜査に何か関係あるんですか?」

 外村は怪訝そうに尋ねる。

 「ええ、これで聞き込みの手間が省けました」

 蓮見は何かを確信したように涼しく微笑む。

 「一体、どういうことです?」

 「実はこの事件に関する唯一の証言がありまして、それがケイジという名前なんです」

 蓮見はま珍しく柔和な表情で微笑む。

 「そ、そうなんですか。それは驚きだ。いや、実はケイジという名前は以前、管理部門に数名いたんですよ。もしかしたらそちらの人間にも聞き込みを行った方がいいかもしれない」

 外村はそういうと自身のパソコンを立ち上げる。

 「いえ、それには及びません」

 「何故です?」

 いまいち的を得ない蓮見の受け答えに外村は困惑した表情を見せる。

 「我々にも順序というものがありますので、後ほど参考程度に連絡先をお伺いできればと思います。それより、外村さん。貴方は随分と身長が高いんですね」

 「ええ、まぁ…」

 「何センチあるんですか?」

 「に、二メートルニセンチですけど…」

 「それは凄い。さぞかし目立つでしょうね。スポーツはバスケか何かやられてたんですか?」

 「バスケは学生時代に少し、今はもっぱらゴルフですけどね…」

 「ほう、バスケはもうされ無いんですか?」

 「ええ、足を怪我してからはほとんど…」

 「では、その腕と額の怪我はゴルフで?」

 蓮見の指摘に千里は少し驚く。先ほどまで全く気がつかなかったが、外村の腕と額には僅かに引っ掻き傷のようなものが見て取れた。

 「ええ、まあ…」

 外村はどこか慌てたように傷跡を隠す。

 「なるほど」

 何がなるほどなのかー。

 「昨日の晩はどこで何をされていましたか?」

 蓮見は再び質問を変える。

 「き、昨日は業務を終えた後本屋に寄ってそのまま帰宅しました」

 「それを証言してくれる人は?」

 「本屋の店員さんなら覚えているかと…帰宅したことについては妻が証言してくれると思います」

 「ほう、奥様がいらっしゃるんですね」

 「ええ、まぁ…」

 「ご結婚されて何年ですか?」

 「今年で十年になります」

 外村は自身の結婚指輪を触りながら答える。

 「夫婦仲は?」

 「…悪くはないかと」

 「奥様のお誕生日は?」

 「六月の二十八です」

 「どこで出会われたんですか?」

 「あの、この話は事件に関係あるんでしょうか?」

 先ほどから的を得ない質問を投げかける蓮見に外村がいよいよ不快感をあらわにする。

 「ええ、関係あります。中でも男女関係は事件に発展しやすいものとして捉えています。ですので、かなり込み入ったところまでお伺いすることがありますが、何か不都合でもありましたか?」

 どこか挑発的に聞き返す蓮見の態度に千里は生唾を飲み込む。本来、聞き込みは聞き込みであって、ここまで重たい雰囲気になることはそうそう無いのだがー。

 少し不穏な雰囲気の中、外村は先ほどまで触っていた指輪とは違う指輪を触り始める。

 お洒落だろうか?、よく見ると外村の指には結婚指輪の他に三つの指輪が嵌められている。

 「素敵な指輪ですね」

 重たい空気に耐えかねて、思わず千里が口を挟む。

 「え?あぁ、ありがとございます。願掛けみたいなもんでして」

 「確か、はめる指によって意味が変わってくるんですよね?」

 「よくご存知ですね、集中力と、心の安定、あと指導力アップの目的でつけてます」

 そう言って外村は自身の右手を見せてくれた。男性にしてはとても綺麗な手だ。

 「へぇ、そんな意味があったんですね。私もつけてみようかな?」

 「警察じゃあ結婚指輪意外の不要なアクセサリーは禁止ッスよ先輩」

 先ほどまで黙っていた紅葉が呆れたように横槍を入れる。

 「べ、別にプライベートでつける分にはいいでしょうが」

 「そのプライベートが無いって、一昨日まで残業して喚いていたのはどこの誰だよ」

 「私です…」

 紅葉のもっともな発言に千里は項垂れる。そんな二人のやり取りに外村が微笑む。

 「仲がよろしいんですね」

 「え?」

 「いやぁ、私も妻と出会った時はそんな感じだったなと思いまして…」

 「今はそうではないんですか?」

 「お恥ずかしながら、今は殆ど会話もしなくなってしまいました。お陰で家に帰っても常に一人でいる様な気分ですよ」

 「それで浮気を?」

 「え?」

 すかさず質問を投げかける蓮見に、千里と紅葉は驚く。どう考えたって今の話の流れ的にその発言はタブーである。

 「ですから、それで三人の女性と浮気を?」

 蓮見は外村の指輪を指差す。

 「な、何言ってるんですか!さっきも言った通りこれは願掛けです。いい加減にしてください!」

 「そうよ、蓮見君。いくらなんでも失礼よ」

 千里も思わず、蓮見の肩を叩く。このまま相手の機嫌を損ねて聞き込みできなくなるという状況は何としても避けたい。

 「確かにそうかもしれないが、こっちは客商売じゃねぇんだ。それに、外村さん。あんたも嘘をつくならもっとマシな嘘をつくんだな」

 「な、何だと、私は嘘なんてついていない」

 「そうか、じゃあ花村唯とは付き合って無かったんだな?」

 「か、彼女は私の部下だ!付き合うなんてそんなこと…」

 「本当に関係は無かったんだな!」

 「そ、それは…」

 「あ?どうなんだ!」

 そう言って机を叩く蓮見の姿は一昔前の刑事ドラマに出てくる刑事によく似ている。しかし、こんなやり方が、まかり通っていたのは自分達の親世代だけである。それに、警視総監の父は息子のこの姿を見てどう思うのだろうか…

 「わ、私は、ただ彼女に相談を!」

 「じゃあ本当に関係は持ってなかったんだな!」

 「もちろんだ!」

 そう最後にいい切った外村に千里は拍手を送りたくなった。ただでさえ、大声を出す人間相手にあんな圧力をかけられたら誰だって萎縮してしまうだろうに。

 千里は恐る恐る隣に座る蓮見に視線をやる。ただ一点を見つめたまま何やら考え事をしている様だが、そのあまりにも冷たい表情に鳥肌が立った。

 「そうですか、なら奥さんの連絡先を教えていただけますか?」

 「は?な、何でだ」

 「言ったでしょう。男女関係のもつれがないか奥さんにも聞いて確認するんですよ」

 「つ、妻は関係ないだろ」

 「なら教えて下さいよ。関係ないなら別にいいでしょう」

 蓮見は一歩も引かない。

 「…」

 「外村さん。貴方お子さんは?」

 「中学に入る娘が一人いますが…」

 「そうですか、娘さんは可愛くて仕方ないでしょう。花村唯さんもにもご両親がいます。今二人は娘の死に、酷く傷ついています。貴方がちゃんとした父親であるならどうか話して下さい。貴方が話してくれることで事件は解決に向かいます」

 珍しく情に訴えかける蓮見の姿に千里は内心驚く。

 「…」

 外村は腕を組んで深く息を吐いた。その姿はどこか悩んでいるようにも見える。

 そして、しばらくの沈黙の後、

 「花村さんとは、一年前からお付き合いしていました…、蓮見さんの仰る通り他複数の女性とも関係を持っていたこともあります」

 「え…」

 外村啓治はやはり花村と浮気をしていた。

 「じゃ、じゃあ、やはり貴方が!」

 「ち、違う!」

 驚く千里に外村は慌てて反論する。

 「ち、違います!関係を持っていたのは事実ですが、私は決して彼女を殺したりしていません!」

 「では、あの日何が起きたんですか?」

 蓮見は冷静に尋ねる。その眼差しは先ほどよりも一層強く、獲物を捉えた肉食獣のような鋭さにも似ていた。
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