あの日、桜のキミに恋をした



「俺さ、由奈にもう1度気持ち伝えようと思ってて」


俺がそう言うと、カウンターで隣に座っていた橘さんの動きがピタッと止まった。


彼女は口に持って行きかけていたグラスを静かにテーブルに置き直す。


お互いの仕事終わり。


俺は橘さんと前から一緒に行こうと約束していたビストロに来ていた。


バカだと笑われてもいい。


ただなんとなく、彼女には伝えておこうと思った。


「……でも由奈には先輩がいるんだよ?」


「うん、それは分かってる……」


そんなの分かっているけど、例え傷ついたとしても、この初恋だけは後悔で終わらせたくなかった。


彼女は往生際の悪い俺に呆れたのか、ため息をつくようにふぅっと息を吐く。


「私、もう佐々木くんが傷つくのは見たくない……私がずっと好きだったこと、知らなかったでしょ?」


「えっ……?」


彼女は俺の方は見ずに、グラスを見つめながら独り言のように呟いた。


音楽や話し声で賑わっているこの店内で、聞き取れたのが奇跡なくらいの(ささや)き声だった。


もちろん2人ともアルコールは飲んでいたけど、彼女も俺もそこまで酔っているわけではない。


もう1度聞き直したいほど、にわかには信じ難い話だった。


多分驚きのレベルで言えば、由奈に子どもがいると知った時といい勝負だと思う。


「やっぱりそうだよね。むしろ気づいてないフリされてたわけじゃなさそうで救われた……!」


呆気にとられた俺の顔は多分相当マヌケだったはずだ。


彼女はクスクス笑いながら明るく言った。
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