あの日、桜のキミに恋をした
「阿部さんと別れてから、阿部さんがいなくなってから、康介は心ここに在らずって感じで(しかばね)状態だったし、橘も橘で、何もなかったように明るく過ごしてたけど、急に阿部さんがいなくなった悲しみと喪失感を必死に隠していたのは見てれば分かった」


全てを話して堂々と学校を去るか、それとも何も言わずに去るか。


あの時の選択肢はそれしかなかった。


たられば話を考えることはあっても、自分の選択を後悔したことはない。


でも、私の自己中な選択がみんなの心に何かしらの影を落としていたのは本当に申し訳なかった。


その中でも特に沢村くんは、康介のことも美月のことも気にかけていたんだろうし、2人の間に挟まれて苦しかったこともあったんじゃないかと思う。


「ごめんね……本当にごめん」


私には謝ることしかできなかった。


「いや、俺こそごめん。ちょっと八つ当たりしたわ。別に謝って欲しかったんじゃなくて、会いたかったのは、あることを教えたかったからで……」


「あること?」


「これは阿部さんのためってより、俺自身のために言うけど……康介と橘は付き合ったりなんてしてないよ」


「え……?」


「康介の心にはずっと阿部さんがいたから、橘のことなんて見てもなかった。可哀想なくらいにね。だからさ……うん、そういうことだから!」


もう康介と私はなんでもないから、例え美月と付き合っていてもそうでなくても。


私には関係ないはずなのに……。


彼と美月が何でもないと知って、なんだそうなのか、と心の中でホッとした自分がいた。


「サイテーだよな、俺。橘に知られたら100パー嫌われそう。ここだけの話にしてくれると助かるわ」


沢村くんは自虐的に笑った。


きっと彼は今でも美月のことを想ってるんだ。


そんな、人を想う気持ちからくるものが、サイテーなわけがない。


それを言うなら、最低なのは私の方だった……。


妊娠が分かった頃から、恋人でもなんでもないのにずっとそばにいてくれて支えてくれたのは、他の誰でもない先輩だ。


いつも背中を押してくれて、困った時は助けてくれて。


不安で押しつぶされそうだったあの日々は、今思い出しても息が詰まりそうになる。  


だから屋上で初めて先輩に会った時、私がどれほど救われたことか。


それなのに、そんな恩も感謝も恋心も置いて、今私はどうしようもなく康介に会いたくなっていた。


その日家に帰って美月からきていた『ごめんね』のメッセージを見て、私はずるずる床に座り込む。


これ以上、この気持ちをなかったことにはできそうにない——。
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